論語を現代語訳してみました。
泰伯 第八
《原文》
子曰、巍巍乎、舜禹之有天下也、而不與焉。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、巍巍〔ぎぎ〕 乎〔こ〕たり、舜〔しゅん〕 禹〔う〕の天下〔てんか〕を有〔たも〕つや、与〔あずか〕らず。
《現代語訳》
孔先生が、次のようにも仰られました。
〈なんともな。現在の周王朝や諸侯とくらべ、〉天高き山をも見上げる思いじゃよ。
舜や禹が天子となっていたころは、自〔みずか〕ら政〔まつりごと〕を采配〔さいはい〕することはなかったが、それでも先の王朝はよく治まっていたのだよ、と。
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
この語句を語訳するにあたっては、いかに文明が栄えた現代国家のなかで生きていようとも、称えるべき先人はきちんと称えよう、とする孔子の気持ちみたいものを表現してみました。
このことによって国(王朝)は違えども、けっして悪く罵ってみたり、蔑んだりすることのないように、と。また、そうした過去(歴史)があるから現在があるんだ、ということの認識を弟子たちに伝えたかったのかもしれません。
なにより孔子は、古代の書物などを通じて、国(王朝)だけでなく、民に対する思いやりをも忘れてはならないのだよ、とする意味合いも含まれていると思われます。
それは、「貴族や為政者と比べて、たとえその身分の低い民であっても、敬いの心を忘れてはいけないよ。また、そうした文明の栄えていない古代に生きた人を蔑むことは、いま現代、身分の低い民をも蔑む(傲慢な心に支配される)ことにも繋がっていくんだよ」と、です。
よって孔子は、こうした古代の書物や詩書などを通じながら、いま現代を生きる人々の人格形成に役立たせようとした、第一人者だったともいえます。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考