【世界動向】 未来志向と温故知新とのちがい ①
■ 発展途上だったころを思い出し、初心に帰る勇気も必要だと思うのだが
『盛者必衰の理をあらわす』というように、繁栄したものはいつか必ず衰えるのが世の習わしであり、実際、これまで幾多の高度な国家文明が崩壊していった。
この論理でいえば、現代でいうところの所謂『先進国』と呼ばれる国家でさえも、いつかは衰え崩壊の道を辿ることになるというのである。
ではなぜ、滅びの道を辿ることになるのか…。
それは恐らくだが、繁栄した国家というのは、他の国々よりも優れた経済・軍事・技術を常に維持していなければならず、より経済成長を、より軍事拡大を、より高度な技術を、といった具合に常に前進あるのみであった。
ところが、前進してばかりではいられない弊害にぶち当たることもあるわけで、例えば自然災害による経済的損失であったり、資源不足による技術力の低下であったりと。
そして、そうした弊害が長引いてしまうと、他の国々がどんどんと力をつけ、やがては国力のバランスが逆転し、軍事的に崩壊させられてしまったりするわけである。
このことからも、滅びの道を辿らないためには、弊害にぶち当たったときには、どういった対策を講じ経済的損失を和らげ国力を低下させずに維持していくのか、ということに重点を措かなければならない。
しかしながら近年、先進国と呼ばれる国々をみていると、弊害にぶち当たっているにもかかわらずに常に「前進!前進!」で、しかし当然として弊害があるわけだから、一向に前進などしていない。むしろ、同じ場所で威勢よく足踏みしているだけ…、としか思えない状況だ。
おそらくは、足踏みしている当の本人たちは前へ進んでいるように錯覚しているのかも知れないが、端から見れば「なにやってんのかな…」「もしかして何かの奇策か…」「こいつら侮れないかも…」というように、警戒されるか馬鹿にされるかのいずれかである。
では次に、所謂後進国や発展途上国と呼ばれる国々はどうであろう。
こうした国々というのは、先進国を見習い発展させることが一般的だと思われるわけだが、しかし、後進国同士が争ってみたり、また、手を繋いでみたりと、一向に発展していかない国が多いように思われる。
次に発展途上国と呼ばれる国々においては、何をもって発展途上と呼ぶのかは分からないが、今のところ人口の多い国が途上国としてその地位を占めているように思われる。
そんな途上国というのは、人口の多さも相まって、工夫次第で如何様にも経済発展と軍事拡大を図ることもできる。しかしながら、どうしても先進国からは警戒されてしまい、一向に先進国としては扱ってもらえない現実も含んでいる。
さて、先進国の人々からは一向に認めてもらえない国として、一番に挙げられるのが、現在のシナ中共である。
今年、建国して100年目を迎えるシナ中共は『第14次五カ年計画 』という未来的戦略を打ち立て、それを目標として、現在の途上国の地位から一気に世界を担う存在になっていこうというのだ。
しかも、五カ年というのは建前上であって、計画書の本質的なところは『国家百年計画』といっていいほどに充実したものといえるだろうが、当然のことながら、その中身を公表するはずはない。
しかしなぜ、充実したものであるといえるのかは、習政権が発足して以降の国内情勢と、先進国との交わり、またそれ以外の国々との交わりを観ればわかることで、しかも、100年先を見越した国家計画を打ち立てられるというのは、国家と国民との信頼関係が固く結ばれてこそ掲げることのできる、極めて質の高い政治運営であることが伺える。
2020年に小康〈ややゆとりのある〉社会の全面完成で偉大な歴史的成果が得られ、貧困脱却堅塁攻略の決戦で決定的勝利が得られた。
われわれは極度貧困の堡塁に総攻撃をかけ、最もかじりにくい「硬い骨」をかじり砕いた。
8年を経て、現行の基準で1億近い農村貧困人口がすべて貧困を脱却し、832の貧困県がすべて貧困のレッテルを剥がした。
この数年、私は全国14の広域特別困窮地区を巡ったが、現地の人たちの愚公山を移す意気込み、貧困救済に情熱を傾ける広範な幹部の献身ぶりは、いつも脳裏に浮かぶ。
われわれはまだ青山(せいざん)ニ咬(か)ミ定メテ放鬆(ほうしょう)セズ、足を地につけて頑張り、郷村振興の壮麗な絵巻を描き上げるよう努力し、共に豊かになる目標に向かって着実に前進しなければならない。
(※習近平主席の2021年新年祝辞より一部抜粋)
上記は、習主席のシナ人民に対しての祝辞の言葉ではあるが、その中で特に『愚公(ぐこう) 山を移す』という故事を用いたことには大きな意味があると思われる。
それは、かつて毛沢東もこの故事をシナ人民に対して用いたことで有名になったわけであるが、毛沢東のいう ”愚公" とは共産党軍を意味し、 "山" は国民党軍と旧日本軍を意味しているといわれている。よって、『共産党軍、国民党軍と旧日本軍を移す(追い払う)』ということである。
しかし、習主席のいう『愚公 山を移す』には、 "愚公" は現地の人々を意味し、 "山" を意味するものとして考えられるのは、現地の人々にとって弊害となっていたもの、すなわち、公職員の汚職であったり、治安の悪さであったり、また近年では新型ウイルスがそれに当たるのではないかと考えられる。
【習近平が導く 疫病との戦いー二つの決戦】
以上、このように所謂発展途上国における経済(経世済民)対策というのは、弊害にぶち当たりながらも、尚、前進!前進!を決め込んでいる先進諸国も見習う点が多いにあるのではないだろうか。
時には、発展途上だったころを思い出し、初心に帰る勇気も必要だと思うのだが。
つづく・・・