わが国の国旗であります、通称「日の丸」。
今回はこの日の丸についてお話したいと思います。
1.歴史
日の丸の歴史は実に古いものであります。しかしながら国旗という概念はわが国が開国以来のことであり、国際社会での日本国の地位を確立するためには、どうしても国旗が必要となったわけであります。そこで水戸藩主の徳川斉昭と薩摩藩主の島津斉彬とが、古くから存在する日の丸を国旗にするよう幕府に主張し、以来わが国の総船印や御國印(国旗)として用いられるようになりました。
ではなぜ日の丸が採用されたのでしょうか。
冒頭、日の丸の歴史は古いと述べましたように、今から約1300年前の大宝元年(701)、朝賀と言われる天皇陛下御即位式に日像幢(ニチドウゾウ)と言われる太陽をかたどったものが使用されました。
そして現存する最古の日の丸としては、元弘3年/正慶2年(1333)の建武の中興で知られます後醍醐天皇が錦の旗印として用いられたものです。
その後も戦国時代の大名たちが使用し、江戸時代には徳川幕府の朱印船の旗印としても用いられ、さらに万延元年(1860)には、勝海舟ら遣米使節団を乗せた威臨丸が日の丸を掲げ見事太平洋を横断し、ニューヨークのブロードウェーにて大歓迎を受けます。この時日の丸と星条旗が掲揚され、世界で初めて日の丸が海外で翻ったのであります。
こうした長い歴史をもつ日の丸こそがわが国の国旗に相応しいと、明治3年(1870)、当時の新政府は旧幕府の経緯を受け継ぐ形をとり、正式に国旗へと採用されたのでした。
世界の国々からも歓迎を受け、わが国は歴史ある日の丸とともに、その後の激動の時代へと突き進んでいくことになります。
2.日の丸は軍国主義の象徴?
「日の丸は軍国
主義の象徴であり、戦時中に被害を受けた人たちに対して申し訳がない。」
という理由で日の丸を否定する人たちがいます。確かに日の丸が戦時遂行に使われていたことは不幸の事実ではありますが、国際社会の中において国旗はいつ如何なる時も掲げられることは当然のことであります。良い時だけ国旗を掲げ、都合が悪い時は掲げないのでしょうか?否定する根拠があまりに論を外しているとしか言いようがありません。
日の丸を思い受かれば、白地に赤い丸があるだけです。
この丸は太陽を意味しますが、わが国は古来より稲作を通じて太陽の恵みに感謝の心を抱いてきました。そしてこの太陽にちなんで「日本」という国の名が生まれ、「日の丸」が生まれたのです。
まさに「日本」の象徴であり、世界の国々の国旗の中でこれだけの歴史をもつ旗は存在しません。
「それでも軍国主義の象徴には変わりない!」
というのであれば、赤旗はどうなるのでしょう?社会主義や共産主義のシンボルである「赤旗」は、様々な国において、数多くの生命を粗末にしてきました。その数は一億人以上とも言われています。
私は当時を知りませんが、赤旗を見ると凄惨な過去の歴史を思い浮かべてしまい吐き気がします。だからといって旧ソ連や中共や北朝鮮の国旗を否定したりはしません。
どの国にも歴史があり、由緒ある国旗なのです。
この先、胸を張って誇れる「日本」そして「日の丸」を共に構築していかなければならないものを、意味もなく否定し、国旗をすげ替えさえすれば済まされるという安易な発想は止めて頂きたいものであります。
3.日の丸に敬意をもちましょう。
日の丸に対する敬意の念は、そう易々と抱けるものではありません。事実私は反日教育により自虐史観を徹底的に植え付けられ、日の丸どころの話ではありませんでした。ですから、町の中で日の丸を掲げている人を見かけても心の底からの信頼には成りえないのです。
私は日本人の本当の素晴らしさは「和」を貴ぶ姿にあると信じるようになりました。
いくら日の丸を町の中で掲げていようとも、その人物がどのような思考のもとに日の丸を掲げているのか、とても気になるところであります。
愛国者と称し日の丸を掲げていても言動が伴わなければ、それはわが国の損益となります。そして保守ブームに乗っかり日の丸を掲げるものもいますが、そうした安易なものはいずれ損益となることでしょう。
日本人として生まれてきたことに感謝し、産んで下さった父母に感謝し、先祖に感謝し、そして先人に感謝することが出来れば、本当の意味での敬意に繋がっていくのでしょうが、戦後の我が国の教育方針は、それら全てを否定したものでありますから、当然日の丸に対する敬意など持てるはずもありません。
日本という国は、本当に本当に奥の深い国なんだと改めて感じさせられました。
感謝。感謝。