元は大阪市内に生まれ、終戦から復興までの流れを見続けてこられ、現在は京都、兵庫で余生を暮らすという御歳80代半ばの老婆二人にお話を聞くことが出来ました。
お二人は数年ぶりに大阪市内へ出て来られ、高いビルが増えたことに、まずは驚いておりましたが、お話は住民投票が間もなく実施されることになる"大阪都構想"についてであります。
ひとりの老婆がまず私に
『住民投票頑張って下さいね。』
と仰ってこられました。
私は、「えっ?あぁ都構想の話ですか?実際どうなんでしょうかね?元々は大阪市民だったお二人はどう感じられますか?」
『難しいことはわかりませんよね。けれど、なにも府と市を解体しなくても良いとは思います。折角、市長さんも知事さんも同じ党の人が就いているんですから、そこできちんと話し合って、役割とか決めていけば良いだけやと思います。大体の地方自治の方々は、そうした話し合いで物事を決めているように思いますが、どうなんでしょう?』
私は老婆のお話に深く頷いてしまったと同時に、この老婆の考えこそ、日本型の民主主義だと強く感じたのです。
民意で選ばれた政治家が、自身の目指す政策のために、再び民意を問うというのは如何なものでしょう。そこに政治家としての"質"を疑ってしまいます。
話し合いで解決出来ない、または目指す政策が実行出来ないという安易な理由だけで、住民投票による責任を市民に押し付ける遣り方は、まさに卑怯千万、鬼畜生の所業といえ、民主主義という特定個人の価値観を、市民に押し付けているだけに過ぎません。
(新自由主義者と言われる人物の特徴)
そして日本型の民主主義というのは、"力"を重視するのではなく、"徳"を重視することで政治家の"質"は問われます。"徳"があれば何事も話し合いで解決が出来、"徳"があれば民意を問う必要もありません。
私は都構想を反対だと訴える団体や個人に対しても同じようにその"質"を見ています。
ひとことで"大阪"といっても、大阪人のためだけの"大阪"ではありません。西日本一の巨大都市である大阪は、わが国の中心都市のひとつでもあります。過去に二度の大きな博覧会を催し、まさにわが国の経済の中心を担っていたといっても過言ではありません。
そんな大阪の誇りを忘れてしまったのでしょうか?
悲しみもあり、辛いこともあり、楽しいこともあり、そして笑いもある。それが大阪だと思いますし、それが人情というものであります。
楽しいことや笑いだけでは、人情とは言えませんからね。それではただの阿呆というものです。
都構想について、推進する者、反対する者、どうでも良いと思う者、皆さん方それぞれでしょうが、やはり大阪を大阪という狭い枠だけで見ないで頂きたいのです。地方があっての大阪であり、大阪があっての地方でありますからね。
そうした相互扶助精神は、人間の心を豊かにし、格差のない社会を創造し、互いに尊重し合える世の中となります。
大阪維新の党も、それに異を唱える組織や団体の人たちも、何が最も大切なのか、それを語らずして推進も反対もない・・・。
私はその後も二人の老婆から、終戦から復興へと進む大阪のお話を聞きながら、純粋にそう思いました。
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