歯科医物語

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俳優の山本圭さんが肺炎のため死去

2022-04-25 21:50:53 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
俳優の山本圭さんが肺炎のため死去 81歳 ドラマ「若者たち」「ひとつ屋根の下」などで活躍



 



 ドラマ「若者たち」やシェークスピア劇などで活躍した俳優の山本圭(やまもと・けい)さんが3月31日午前9時20分、肺炎のため死去した。81歳。大阪府出身。所属事務所が25日に発表した。


 所属事務所によると、通夜・告別式は、遺族の意向で近親者だけで執り行った。喪主は長女慧美(えみ)さん。


 建築家だった勝巳氏の次男として生まれ、兄の學、弟の亘も俳優として活躍した。


 1959年に俳優座養成所に入所。叔父の薩夫監督がメガホンをとった1962年の映画「乳房を抱く娘たち」で銀幕デビューした。


 両親を亡くした兄弟の生きざまを描いた66年の青春ドラマ「若者たち」では三男の佐藤三郎役を好演。知名度をあげ、映画版では毎日映画コンクール助演男優賞を受賞。銀幕やテレビ、舞台など幅広く活動の場を広げた。


 舞台俳優としては「ハムレット」「リア王」などのシェークスピア劇に出演。93年のフジテレビ月9ドラマ「ひとつ屋根の下」では江口洋介、福山雅治、酒井法子らが演じた「柏木兄弟」を支える「ゆきおじさん(広瀬幸夫)」を演じた。NHK大河「天地人」のほか、「白線流し」「リング~最終章~」「SP」シリーズなどのドラマで脇役として存在感を示した。


 私生活では囲碁棋士だった小川誠子さん(2019年に死去)と1977年に結婚。誠子さんから囲碁の指導を受けたのが出会いだった。


 
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知床遊覧船事故 と ロシア

2022-04-25 19:59:30 | ☆エッセイ・コラム
知床遊覧船事故 と ロシアは 関係ないだろうな  🙏 m(__)m
(小型観光船「KAZUI」)


 

小型観光船「KAZU I」
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世界最高齢・119歳の田中カ子さん死去 

2022-04-25 15:06:16 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
世界最高齢・119歳の田中カ子さん死去 福岡市、1903年生まれ
4/25(月) 14:02配信



ギネスワールドレコーズから「存命中の世界最高齢」と「存命中の世界最高齢女性」に認定され、ポーズをとる田中カ子さん=2019年
 世界最高齢に認定されている福岡市の田中カ子(かね)さんが19日午後に死去したことが25日、分かった。市が同日、確認した。119歳だった。 【写真】好物のコーラを飲む田中カ子さん=2020年  日露戦争開戦の前年、1903(明治36)年1月2日に生まれ、明治から令和まで五つの時代を経験した。最近は市内の老人ホームに入所し、職員と身ぶり手ぶりでコミュニケーションを取り、計算問題にも挑戦する日々を送っていた。
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「那須与一」

2022-04-25 02:54:42 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
那須与一は1166~1169年のいずれかのあいだに、那須家初代当主・那須資隆の十一男として生まれました。
本名は宗隆むねたかといい、与一というのは十一男という意味の通称。
下野国那須郡(栃木県那須郡那珂川町)にあった神田城にて、育ったとされています。



幼いころから弓の腕前は隋一だった

与一は史上でも稀な弓の名手として語られますが、その才能は幼いころからすでに片鱗を見せていました。
幼少時代に兄たちの前でその腕前を披露し、父を驚かせたという伝説が残っています。
幼少からといわれると生まれつきセンスがあったように感じさせられますが、それ以上に与一は相当な努力家でした。
なんでも、弓を練習しすぎて左右の腕の長さが違っていたのだとか…。
また11歳のころには、のちに源平合戦で仕えることになる源義経とも出会っています。

 

このとき父の資隆が、兄の十郎為隆じゅうろうためたかと与一を源氏の兵として従軍させることを義経と約束したとのこと。
与一はこのときも弓の練習中だったということで、たまたま通りかかった義経が彼の腕を見込んだのかもしれません。
11歳の子どもが戦力になると判断されるとは…末恐ろしいですね。



源平合戦に従軍し「屋島の戦い」「壇ノ浦の戦い」で活躍

1185年になると、父が義経と交わした約束通り、与一と兄の為隆は源氏の兵として「屋島の戦い」「壇ノ浦の戦い」に参加します。
ここで登場するのが、与一の逸話でも特に有名な「扇の的伝説」です。
屋島の戦いにて源氏側に意表を突かれ、海上へ敗走した平家は「負けを認めたくない」という考えから、船上に扇を掲げて源氏側に射貫かせる余興を行いました。



要は挑発なのですが、これを射損じてしまえば、源氏の軍を率いていた源義経の立場がありません。
そのおり、弓の名手として与一に声がかかり、彼は70メートルも先の波間に揺れる小さな扇を見事射落としてみせたのです。
これにより源氏は勝機をつかみ、続く壇ノ浦の戦いで平家を追い詰め、勝利をものにします。

 


この活躍によって与一は源家当主の頼朝から、5ヵ国に荘園(私有地)を賜り、那須家の地位を一気に台頭させたのです。
幼少より積んで来た弓の訓練が、このときすべて報われたわけですね!
実は兄のほうが弓は巧かった?

幼少期の逸話や扇の的伝説を見ると、与一は那須家でも特別弓が巧かったように思えます。

 

しかし「実は兄の為隆のほうが、弓が巧かったのでは?」という推測があります。
というのも、屋島の戦いで扇の的が掲げられたおり、最初は与一ではなく、為隆に声がかかっていたという話があるからです。
このとき為隆は自分が怪我をしていることを理由に、弟の与一を指名したといいます。





考えてみれば兄弟でこの2人だけが源氏の兵として従軍したわけです。
為隆と与一は弓の腕が特に優れている2人として、兄弟でも取り沙汰されたのでしょう。
そう思うと兄から先に声がかかるのも道理で、兄のほうが巧かったというより、実力は甲乙つけがたかった…とも考えられます。
那須家の家督を相続・罪に問われていた兄たちに領土を分け与える

源平合戦を経て源頼朝に引き立てられた与一は、十一男でありながらも父の資隆から家督を継ぎ、那須家の2代目当主となりました。
これは戦での活躍ももちろんありますが、残りの兄たちが全員平家側の味方をして、罪に問われてしまったからだといいます。
ちなみにともに源氏の兵として従軍した為隆も、義経の命に背いたため罪に問われてしまったのだとか。

 


どうして兄弟間で意見が割れてしまったのかははっきりしませんが、兄たちは才能をもつ与一に嫉妬していたのでは…など、なんとなく想像できますね。
そして与一が弓の腕だけではない、人格者だったことを示すエピソードがここから。
当主になって那須家の領土を受け継ぐと、与一は罪に問われていた兄たちを助け、それぞれに分け与えたというのです。
この行いで那須家はさらに繁栄し、後世へと続いていくことになります。
まじめな努力家で、兄想い…
権力にも奢らなかったその性質が那須氏の基礎を作ったわけです。
死後各地に作られた与一の墓

善人ほど早く亡くなってしまうということなのか、与一の生涯は約20年と、非常に短いものでした。




あまり記録が残っていないのは、早死にだったことも関係しているのではないでしょうか。
亡くなったのは山城国(京都府)の即成院とされています。
兄のひとり、資之すけゆきが分骨を別に埋葬したといい、代々受け継がれていった現在は栃木県大田原市の玄性寺げんしょうじが本墓とされています。
安土桃山時代に22代目当主の那須資景すけかげが建立したものということで、ほぼ間違えありません。



 
実はこのほかに兵庫県神戸市の碧雲寺宗照院へきうんじしゅうしょういんにも、与一の墓はあります。
墓ではありませんが、





・神戸市の須磨神社
・山形県米沢市の西蓮寺
・岡山県井原市の永祥寺
など、与一を祀った寺や神社は全国各地に点在しています。
分骨を埋葬したのは資之だけではなく、供養はさまざまな場所で行われていたということですね。
それだけ多くの人に慕われていたのでしょう。


昔「那須与一」のマンガが家にあった たぶん祖父のもの 
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「鉢かつぎ姫」

2022-04-25 02:17:42 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
むかし、むかし。
河内国(かわちのくに)の交野(かたの)のあたりに、
気立てが良くて美しいお姫様がいらっしゃいました。
 
そんなお姫様の幼い心を悩ませるのは、長いこと病気で寝込んでいるお母様のこと。
一方、お母様も、自分が亡き後の、幼いお姫様の行く末を案じ、観音様にお祈りしていらっしゃいました。
 

 
ある夜。
なんと、お母様の夢枕に、
観音様がお立ちになられたではありませんか!
 
「汝(なんじ)の願いを聞きつけよう。
姫君の頭に鉢をかぶせるがよい」
 
お母様は、観音様のお告げをありがたく思い、
さっそくお姫様の頭に鉢をかぶせました。
 
可愛らしいお姫様の顔を、あごの下まですっぽりと覆い隠してしまうくらい、大きな鉢です。
 
「どうか、この子が、幸せでありますように…」


 
 
そんな強い願いを鉢に託して、お母様は、それから幾日も経たないうちにお亡くなりになりました。
「お母様…、お母様…」
お姫様は、しくしく泣きました。
 
しかし、お母様の葬儀が終わると、お父様はおっしゃいました。
「そんなみっともないもの、取ってしまいなさい。」
 
さっそく家来達が集められ、無理やりお姫様の頭から鉢を外そうとしました。
が…
 
どうしたことでしょう。
何人かかってひっぱっても、鉢は一向に取れそうもないのです。
 
それからしばらくして、お父様は再婚なさいましたが、継母も
「なんて奇妙なものをかぶっているんでしょう。気味の悪いこと。」
そう言って、鉢かづき姫を蔑んで笑いました。
 
ある寒い冬の日。
とうとう継母は、家来に命じて、鉢かづき姫を遠くに捨て去ってしまいました。
 
鉢かづき姫は、重たい鉢をかぶったまま、あちこち、さまよい歩きました。
しかし、どこへ行っても、気味悪がられ、可哀想に、鉢かづき姫は散々な目にあってしまいました。


 

 
数年後。
鉢かづき姫の心も身体も、もうすっかりくたくたになっていました。
「母上様。姫はもう、これ以上生きているのが、つろうございます。
どうか、母上様のところへ連れて行って下さいませ…」
そう言って、鉢かづき姫は、とうとう、川の中へ身を投げてしまいました。
 
ところが…
 
鉢のために、鉢かづき姫の身体はぷかりと水に浮いてしまい、死ぬこともままなりません。
鉢かづき姫は、そのまま、川下へと流されていきました。
 
翌朝、家来を引き連れたお武家様の若君が、鉢かづき姫を発見しました。
若君は家来に命じて鉢かづき姫を助けると、優しく声をかけました。
が、鉢かづき姫は、自分の生い立ちについて何も語ろうとはしませんでした。
 
「…まぁ、よい。
あてがないのなら、私の館へ来て働きなさい。」
 
こうして姫は若君の館で働くことになりましたが、決して楽な暮らしではありませんでした。
朝暗いうちから、夜、館の人が寝静まってしまうまで、鉢かづき姫は、一生懸命に働き続けました。


 
 
ある夜のことです。
用を言いつかって入った蔵の中で、鉢かづき姫は、ひとはりの琴を見つけました。
鉢かづき姫はそっと手に取ると、琴を弾き始めました。
こんなに静かで懐かしい気持ちを、どれだけ長い間、忘れてしまっていたことでしょう。
しかし…
 
「誰じゃ。そこで琴を弾いているのは」
若君が起きてきてしまいました。
 
「すみません。今すぐ片付けます…」
鉢かづき姫が慌てて頭を下げると、若者は優しく言いました。
「いやいや、止めずとも良い。もっと聞かせておくれ」
 
若君は、こんなに美しい琴の音を、生れて初めて聞きました。
「そなたは、きっと、高貴な生まれのお方であろう。
私に、そなたの生い立ちを話してくれぬか?」
 
鉢かづき姫は問われるままに、今日までの出来事を若君に話しました。


 
 
ある秋のことです。
若君に縁談が来ました。
 
ところが、若君はこの話を断り、
なんと、鉢かづき姫と一緒になりたいと言うではありませんか!
 
「あのような娘を嫁にするなどと、断じて許さん!」
「他にいい娘が、いっぱいいるではありませんか!」
と、驚いたのは、両親ばかりではありません。
 
一番驚いたのは、鉢かづき姫でした。
そして、若君に対して心がときめくのを感じました。
しかし…
 
池に映った鉢をかづいた自分の姿を見て、
鉢かづき姫の心は、またもや闇の中に閉ざされてしまいました。
 
(自分がこれ以上ここへいると、若君が不幸におなりになる…)
 
鉢かづき姫は、こっそり旅立つ決心をしました。
しかし、若君はそれに気づき、慌てて鉢かづき姫を引き止めました。
 
「そなたが家を出ていくのなら、私も一緒に家を出よう。
私はどんなことがあっても、そなたと一緒になるつもりなのだから」
 
「若君様…!?」
 
驚きのあまり、二の句を告げない鉢かづき姫に、若君は、こくり、と深くうなづきました。
 
「ええい! 何を言う!!
自分というものをわきまえろ!!」
 
怒ったお武家様は、鉢かづき姫に刀を振り上げました。
すると…
 
なんという不思議なことでしょう。
鉢が光り輝き、めりめりとヒビが入ったかと思うと、
ぱりん!と粉々に砕けたではありませんか。
 
中からは、この世のものとも思えぬ、美しく成長したお姫様があらわれました。

 

「姫… そなたは…」
「若君様…」
 
若君とお姫様は、こうして、めでたく結ばれました。
 
思えば、何もかも災いのもとであったあの鉢が、今こうして2人を結びつけ、姫に幸せをもたらしたのでした。
それから2人は、いつまでも幸せにお暮らしになった、ということです。



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昔母に この絵本を読んでもらい 泣いてしまったのを覚えている


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