相談が入りましたので、
この場で回答させていただきます。
「おもしろいことが見つかりません」
「自分が何をしたいかもわからなくなってきました」
「このままでいいのかという、漠然とした不安があります」
「このまま時間ばかりが過ぎていくかと思うと、とても怖くなります」
「何かを変えようと思っても、何をすればいいかわかりません」
なるほど、
当事者にとっては深刻な悩みのようですね。
こんなときはあの方に聞いてみましょう。
それではネペン姫、
よろしくお願いします。
うむ
よく聞けこわっぱ。
お前のことだから、
周囲の人間に、
なにかおもしろいことはないか聞いていることだろう。
そして聞いたあと、
必ずこう訊ねるはずだ。
「それっておもしろいの?」
はっきり言おう。
この質問はお前にとって、
想像を絶する愚かな問いであると
よく聞け。
おもしろいかおもしろくないかは、
個人の主観であって、
お前が求める答えはまず返ってはこないのだ。
海の青さと空の青さを延々と聞いて回ってるようなものだ。
そして返ってきた答えに、
「本当に青いの?」
と聞いているようなものなのだ。
真に聞くべきは、
「あなたにとってそれは、どの辺がおもしろいと思ったの?」
という相手の人間性を問う質問であり、
その行為や思想を主体とした質問をすべきではない。
そしてお前のその質問自体が、
相手にとっていかにウザいか、
聞く前にもう一度考え直す必要がある。
いいか。
これから言うことは、
非常に大事なことだ。
これから生きていく上で、
このことだけは常に念頭において行動していけ。
いいな。
ハッキリ言おう。
おもしろいことなど最初から存在しない。
今までそう感じたことは、
錯覚と思った方がいい。
じゃあ何がおもしろさと感じさせるのか。
その答えこそが人生なのだ。
苦労であり、
つらさであり、
悔しさであったりするのだ。
その中で見つけ、
感じたものの中から、
自分でおもしろいと思ったものこそ、
お前が求めていた答えなのだ。
そしてその答えですら、
人生の中のほんの一部の答えにすぎない。
すなわち、
人生の喜びとは、
自分でおもしろいと思ったことを、
おもしろいものとして選択でき、
おもしろいものとして判断できるということなのだ。
最初の問いに戻ろう。
「それっておもしろいの?」
いいな。
どうしてもこの質問をしたかったら、
心の中でこう自分を戒めてから聞け。
その戒めとは、
人生の喜びを、
他人の判断に委ねるような愚行はおかすな
ということだ。
おもしろさも楽しさも、
苦労やつらさの中でしか存在しない。
わからなかったら、
もっと単純に考えろ。
毎日一人で食う焼肉と、
食べたいのを我慢して、
数ヶ月に一度、
みんなで楽しみにしていた焼肉を食いに行くことと、
どちらの焼肉がうまいかを。
お前が毎日一人で焼肉を食って幸せを感じるようならば、
こんなには悩まないだろう。
本当に自分を変えたいと思うなら、
今日、
今からやることは一つ。
他人の話しには無条件に「なるほど」と言って頷け
それだけだ。
これは練習が必要だ。
何度でも何度でも繰り返し練習しろ。
生理的に受け付けないものは別としてでも、
逆に言えばそれ以外はすべて、
相手の話しを受け入れろ。
「なるほどね」
「そうなんだ」
会話の中に自然と出てくるまで練習しろ。
ここまで言っても、
お前は実行しないまま明日を向かえ、
月を越し、
年が明け、
歳を取るだろう。
もう一度だけチャンスをやる。
いいな。
本当に変わりたいなら、
お前はただひたすら、
なるほどと言って話しを聞いていればいいんだ
でも、
いや、
そうかな、
はあ?
そういった返しはすべて、
「確かに」
に変えろ。
何もない日常から変化は突然起こる。
お前の見えないところで何かが動いていく。
目に見えるようになるまで、
何年もかかるかもしれない。
だがそれでいいんだ。
変化を受け入れられるくらいにお前が成長していないと、
数多と降り注ぐチャンスをすべて逃してしまうかもしれない。
今はまだじっくりと力を蓄える必要がある。
焦るときは、
変化を感じてるときだ。
ここはどっしりと腰をすえて、
なるほどと自分に言え。
初めてのことをやると必ず失敗する。
絶対に失敗する。
なぜそう言えるかといえば、
昔から行われている方法でも、
幾度となく失敗しているからだ。
成功しているように見えるのは、
失敗をリカバリーする方法を確立しているだけであって、
水面下ではほぼ毎回失敗している。
失敗という過程までも含めて成功法と呼べるのであり、
実際のところ成功法なんてものは存在しない。
だからお前は失敗に対して何も心配しなくていい。
心配すべきことは、
失敗を回避できる方法が見つからないときではなく、
失敗を挽回できる方法が見つからないときだ。
そしてそれが厄介なことに、
何回も失敗しないと見つからないのだ。
その苦しいとき、
つらいときに、
なるほどという言葉は必ずおまえを助けてくれる。
もしこの先、
お前の話しになるほどと言う人物が現れたら、
お前はこう言うだけでいい。
「あなたの話しは興味深くておもしろい。今度じっくり話しませんか」
と。
そう堂々と言える頃に、
昔のお前と同じように、
「それっておもしろいの?」
と言う人物が現れたら、
お前はきっとこう言うだろう。
「私はおもしろいと思うけど、あなたはつまらないと思うよ」
と。
ここまで話せば、
今から何をすればいいかが見えてくるはず。
わからないなら、
「なるほど」と言うには相手が必要だということ、
そして「なるほど」と言うには、
相手は自分が知らない他人ではなければならないと言うこと。
以上だ。
人生のおもしろさが見えるようになるよう、
ずっと祈っている。
ネペン姫、
ありがとうございました。
なるほど、
そういう考え方もあるわけですか。
お悩み解決の参考になるといいですね。
人の数だけ解決方法があるのでしょうから、
どれが正しいのか私もわかりません。
でもまぁ、
やってみて損がなさそうなものだったら、
ちょっとやってみませんか?
どうせ何やっても失敗するんだし、
何もしなければ悩んでるだけなんだし、
少しでも楽しそうにしている人が、
あなたに楽しいと思うことを教えてくれるわけですから、
それが法にも思想にも触れない範囲なら、
なるほどと思って聞いてみるのも一興かもしれませんよ。
この場で回答させていただきます。
「おもしろいことが見つかりません」
「自分が何をしたいかもわからなくなってきました」
「このままでいいのかという、漠然とした不安があります」
「このまま時間ばかりが過ぎていくかと思うと、とても怖くなります」
「何かを変えようと思っても、何をすればいいかわかりません」
なるほど、
当事者にとっては深刻な悩みのようですね。
こんなときはあの方に聞いてみましょう。
それではネペン姫、
よろしくお願いします。
うむ
よく聞けこわっぱ。
お前のことだから、
周囲の人間に、
なにかおもしろいことはないか聞いていることだろう。
そして聞いたあと、
必ずこう訊ねるはずだ。
「それっておもしろいの?」
はっきり言おう。
この質問はお前にとって、
想像を絶する愚かな問いであると
よく聞け。
おもしろいかおもしろくないかは、
個人の主観であって、
お前が求める答えはまず返ってはこないのだ。
海の青さと空の青さを延々と聞いて回ってるようなものだ。
そして返ってきた答えに、
「本当に青いの?」
と聞いているようなものなのだ。
真に聞くべきは、
「あなたにとってそれは、どの辺がおもしろいと思ったの?」
という相手の人間性を問う質問であり、
その行為や思想を主体とした質問をすべきではない。
そしてお前のその質問自体が、
相手にとっていかにウザいか、
聞く前にもう一度考え直す必要がある。
いいか。
これから言うことは、
非常に大事なことだ。
これから生きていく上で、
このことだけは常に念頭において行動していけ。
いいな。
ハッキリ言おう。
おもしろいことなど最初から存在しない。
今までそう感じたことは、
錯覚と思った方がいい。
じゃあ何がおもしろさと感じさせるのか。
その答えこそが人生なのだ。
苦労であり、
つらさであり、
悔しさであったりするのだ。
その中で見つけ、
感じたものの中から、
自分でおもしろいと思ったものこそ、
お前が求めていた答えなのだ。
そしてその答えですら、
人生の中のほんの一部の答えにすぎない。
すなわち、
人生の喜びとは、
自分でおもしろいと思ったことを、
おもしろいものとして選択でき、
おもしろいものとして判断できるということなのだ。
最初の問いに戻ろう。
「それっておもしろいの?」
いいな。
どうしてもこの質問をしたかったら、
心の中でこう自分を戒めてから聞け。
その戒めとは、
人生の喜びを、
他人の判断に委ねるような愚行はおかすな
ということだ。
おもしろさも楽しさも、
苦労やつらさの中でしか存在しない。
わからなかったら、
もっと単純に考えろ。
毎日一人で食う焼肉と、
食べたいのを我慢して、
数ヶ月に一度、
みんなで楽しみにしていた焼肉を食いに行くことと、
どちらの焼肉がうまいかを。
お前が毎日一人で焼肉を食って幸せを感じるようならば、
こんなには悩まないだろう。
本当に自分を変えたいと思うなら、
今日、
今からやることは一つ。
他人の話しには無条件に「なるほど」と言って頷け
それだけだ。
これは練習が必要だ。
何度でも何度でも繰り返し練習しろ。
生理的に受け付けないものは別としてでも、
逆に言えばそれ以外はすべて、
相手の話しを受け入れろ。
「なるほどね」
「そうなんだ」
会話の中に自然と出てくるまで練習しろ。
ここまで言っても、
お前は実行しないまま明日を向かえ、
月を越し、
年が明け、
歳を取るだろう。
もう一度だけチャンスをやる。
いいな。
本当に変わりたいなら、
お前はただひたすら、
なるほどと言って話しを聞いていればいいんだ
でも、
いや、
そうかな、
はあ?
そういった返しはすべて、
「確かに」
に変えろ。
何もない日常から変化は突然起こる。
お前の見えないところで何かが動いていく。
目に見えるようになるまで、
何年もかかるかもしれない。
だがそれでいいんだ。
変化を受け入れられるくらいにお前が成長していないと、
数多と降り注ぐチャンスをすべて逃してしまうかもしれない。
今はまだじっくりと力を蓄える必要がある。
焦るときは、
変化を感じてるときだ。
ここはどっしりと腰をすえて、
なるほどと自分に言え。
初めてのことをやると必ず失敗する。
絶対に失敗する。
なぜそう言えるかといえば、
昔から行われている方法でも、
幾度となく失敗しているからだ。
成功しているように見えるのは、
失敗をリカバリーする方法を確立しているだけであって、
水面下ではほぼ毎回失敗している。
失敗という過程までも含めて成功法と呼べるのであり、
実際のところ成功法なんてものは存在しない。
だからお前は失敗に対して何も心配しなくていい。
心配すべきことは、
失敗を回避できる方法が見つからないときではなく、
失敗を挽回できる方法が見つからないときだ。
そしてそれが厄介なことに、
何回も失敗しないと見つからないのだ。
その苦しいとき、
つらいときに、
なるほどという言葉は必ずおまえを助けてくれる。
もしこの先、
お前の話しになるほどと言う人物が現れたら、
お前はこう言うだけでいい。
「あなたの話しは興味深くておもしろい。今度じっくり話しませんか」
と。
そう堂々と言える頃に、
昔のお前と同じように、
「それっておもしろいの?」
と言う人物が現れたら、
お前はきっとこう言うだろう。
「私はおもしろいと思うけど、あなたはつまらないと思うよ」
と。
ここまで話せば、
今から何をすればいいかが見えてくるはず。
わからないなら、
「なるほど」と言うには相手が必要だということ、
そして「なるほど」と言うには、
相手は自分が知らない他人ではなければならないと言うこと。
以上だ。
人生のおもしろさが見えるようになるよう、
ずっと祈っている。
ネペン姫、
ありがとうございました。
なるほど、
そういう考え方もあるわけですか。
お悩み解決の参考になるといいですね。
人の数だけ解決方法があるのでしょうから、
どれが正しいのか私もわかりません。
でもまぁ、
やってみて損がなさそうなものだったら、
ちょっとやってみませんか?
どうせ何やっても失敗するんだし、
何もしなければ悩んでるだけなんだし、
少しでも楽しそうにしている人が、
あなたに楽しいと思うことを教えてくれるわけですから、
それが法にも思想にも触れない範囲なら、
なるほどと思って聞いてみるのも一興かもしれませんよ。
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