1~2年生の頃は出かける時間も早かったので、当然のことに大変なラッシュ・・・昭和40年代は250%以上は当たり前でしたから。できれば茅場町まで、悪くても銀座駅までには何とか座って居眠りするのが通例でした。
しかし、帰りの時間は相互乗り入れの直通始発列車に乗れますので1時間以上座ったまま、しかも窓の外は真っ暗。当然本を読む以外の道はなく、星一つの岩波文庫は片道で、星二つのものは2日で読み切っていました。
最近はまとまって本を読むことも少なくなり・・・これ以上本を買っても読まないまま旅立たねばならないことになることに気付き・・・図書館から本を借りてくることが多くなりました。
で、最近借りた本から。
佐藤優氏の名前は皆さん覚えていると思います。例の鈴木宗男議員の事件に連座して逮捕起訴され、その後2005年に『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』出版し一連の容疑・判決を「国策捜査」であると主張しました。この著書は第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞しています。
まあ、この人物や主張については賛否両論ありますが、テーマによってはなかなか良い議論を展開することもあります。ただ、同志社大学の神学修士であるのですが宗教関係については創価学会との関係など首をかしげる部分も相当感じますが・・・
2015年6月出版ですからちょっと前の本ですが、この人物による『知性とは何か』(祥伝社)を読みました。佐藤優氏は大変に優秀な能力を持った人物ですが余りにも沢山の著作物を発表しており、本来もっと議論されても良いのでしょうが、山のような言葉の洪水の中で重要な部分も見過ごされ、軽くなってしまうような気がします。
さてこの著作は著者のかねてからの主張・・・国家によるインテリジェンス(知性、知力という意味と情報、情報収集分析力と言う意味)の充実、について、我が国の状況に警鐘を鳴らすものでもあります。
反知性主義とは何でしょうか?
ウィキペディアがまとめたところによると『その語感より、しばしば誤解されるが、反知性主義に対置するのは知性そのものというよりは、(中略)知的権威やエリートとされる層である。データやエビデンスよりも肉体感覚やプリミティブな感情を基準に物事を判断するといった面も間違いではないが、古くは聖書理解において高度な神学的知識を必要と考える知的権威や、時代が下がれば政治においてはエリートによる寡頭政治を志向する層への反感が反知性主義の原点であり、ただ単純に知性そのものを敵視する思想信条ではない。』でありますが、この言葉が生まれた1950~60年代から下って現在においては、佐藤優が本書で記述している『実証性や客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度』と理解することが間違いの少ないところかと思います。
佐藤も指摘しているとおり、現代の政治的・知的エリートたちこそこうした反知性主義に毒されています。聞き心地の良い「右翼的な割り切りの良い言葉を使い」、「左翼的で歯切れの良い言葉など使えず、手間暇をかけて議論し実証していかなければならない」人権や民主主義を蔑ろにするのは、作家・評論家などの知的エリート、世襲的なエリート政治家、高所得の家庭に育まれたエリート官僚たちではないでしょうか?ですから、今ではまさに知的権威やエリートこそが反知性主義に陥っていることが問題であり、ファシズムや日本を戦争に向けていった「実証することより空気を読む」ことに繋がっていると思います。
良い例が、このブログでも取り上げた「森友問題」です。明確で合理的な議論を封じ込め、あまつさえ証拠をねつ造、改ざんまでしてしまう日本のエリートたち。おそらくもう一度「戦前」に向かっているのかもしれません・・・・・
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