
前回の、ダニエル・ギシャールに続いて紹介されたのは、カトリーヌ・フェリーの「Un, deux, trois」(1.2.3)です。
先ず、カトリーヌ・フェリーですが、1953年7月、パリ近郊のイヴリ・シュル・セーヌの生まれですから現在64歳です。フランスのウィキでも余り詳しい書き込みはありませんが、イヴリ・シュル・セーヌは現在ではヴェトナム人が多く住んでいる地区だそうです。
(余談・・・ヴェトナムはフランスの植民地だった歴史もあり、日本が「仏印進駐」つまりフランスがナチスドイツに降伏したことに乗じてフランス領ヴェトナムを侵略したことが太平洋戦争(大東亜戦争)の引き金になったことは、周知のことと思います。)
1975年に「Julia mon cœur」という曲を出しているようですが、彼女がメジャーになったのは翌年の1976年、オランダで開かれた第21回ユーロビジョン・ソング・コンテストで2位になったからでしょう。
この年に開かれたヤマハ国債歌謡祭にも出場して「Ma Chanson D'Amour」(邦題:愛のシャンソン)を歌い入賞しています・・・日本だからでしょうか?ユーロビジョンは各国別の得点がはっきり出ていますので総合何位かが分かりますが、この歌謡祭はグランプリが二つあったり・・・よく分かりませんね。
しかし、この頃の日本も次々に海外のタレントが来日し、コンサートなどもあり日本が世界的な音楽市場となった時代です。
(余談・・・一方、現在は・・・日本だけの世界に閉じこもっているような気がします。世界のタレントが日本でコンサートを開くことも少ないし、日本のタレントは相変わらず日本の中だけでアイドル、アジアで活躍する人はいくらか居ますが全世界には通用していないような気がします。)
ただ、彼女はこの「Un, deux, trois」以外に大きなヒット曲には恵まれていないようです。HPにも2010年以降の活動は書かれていませんし、1989年に「Manille」というレコードを最後にディスコグラフィにも新しい曲は出ていません。様々な事情はあるのでしょうね。
いずれにしても、この曲は印象的で忘れがたい佳曲です。
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