ラヂオ惑星モルファス

戦争なるものに関連して

8月15日は「終戦記念日」と称していますね。
でも、戦争が終結した日ではないことは、ほとんどの方が知っていることでしょう。
戦争は、戦争を終結する条約が成立して初めて「法的な交戦状態が終わった」訳ですから、8月15日は交戦国の一部であるアメリカや英国との事実行為としての交戦状態が原則として終わった、ということなのでしょうか?

私は戦後の生まれですが、幼いころ戦争の傷跡はまだまだ残っておりました。小学校の庭に「進駐軍」の水陸両用車が乗り付け、皆が興味津々と眺めたことがありました。もちろん非武装の車両でしたが、今となってはどのような車両なのか具体的には分かりません。さすがに我々小学生も「ギブミーチョコレート」などとは言いませんでしたが。

近くを走る私鉄には、まだ蒸気機関車がけん引する貨物列車が残っていましたが、ひときわ目を引くのは白い帯を付けた電車が走っていたことです。
・・・父親のカメラを黙った持ち出して写真を撮るようになった中学生以降にはさすがに走っていませんでしたので、残っている電車の写真にはそこまで古いものは一つもありませんでした。貧しい家庭の子供にとって、一日数枚の電車の写真を撮るなんて贅沢をしたので、父親からはこっぴどく叱られ、カメラを黙って持ち出さないように置き場所を変えられてしまいました・・・
これが、「進駐軍」専用の車両なんだとは、ずいぶん後になって知ったことです。ただし、乗っている米兵の姿を見たことはありませんでしたが。

今年は、安倍首相は靖国神社に参拝しなかったととこと、様々な意見がるのでしょうが、靖国神社は天皇家のために死んだ軍人を祀る社であるはずですね。ですから「朝敵」として国内の内戦で死んだ西郷隆盛のような方は当然祀られていないのは当然です。しかし、明治維新の功労者としての西郷への尊敬の念は、靖国に祀られているかいないかとは関係なく強いものがあります。やはり宗教施設でもありますから、「私的に」参拝することは大いに結構ですが、いったん公的国家的な存在になった場合には、公的、国家的に行為としては疑問があると感じています。

こうした問題への韓国や中国の人々のの昨今の言動や、それに関する自分自身の反応、或いはネットで交わされる様々な意見を見ても、日本人は、というか中国人や韓国人も、「冷静に、論理的に、科学的に、事実収集し、分析的に」思考することは苦手なのかもしれないですね。
ヨーロッパにおけるルネサンスの著作などを読んでも、当時のフランスやオランダ、イタリアの人間が必ずしも科学的ではないでしょうが、今から思えば想像もつかない様な「神学」を、おそろしく論理的に組み立てていたのですから、やはり我々アジアの人間とは思考回路が異なるのかなと思うのです。

思うに、本当に大事なのは、なぜ戦争に至ったか、どんな形で戦争を始めたか、戦争中どのような事実があったか・・・亡くなった方は、日本人、日本人以外の人、具体的には何人だったのか・・・などなど、数字や書類等で検証でき、特に、自分たちには不都合なことを自らの手で明確にすること、なのではないかなと思います。

分かりやすい言葉で感情的に白か黒かを言い立てる方がいともたやすいことですし、相手の意見を小ばかにして見下すことが最大の自己防衛になってしまいます。先に言ったような、「冷静に、論理的に、科学的に、事実収集し、分析的に」は、自分自身も裸にしてしまう危険性があるはずですが、それを逃げない態度が一番肝心だと思います。

二度と戦争は起こしません・・・と誓う事より、なぜ起きたか?なぜ回避できなかったか?を検証することの方がずっと大事だと思います。

ですから、「慰安婦」の問題も、感情的になって声高に言い募るような一部の韓国の方のようなやり方はどうなのでしょう。きちんと事実を検証し、日本も韓国も、自分に不都合なことに目をつぶらない、態度が必要だと思いますが・・・領土問題は、もしかすると人類の歴史はじまって以来、永遠の対立課題でしょうけれど。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日々の随想録」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事