一般的には、擬声語(擬音語、擬態語)などをいうことばである。文部科学省が版行する『学術用語集』は「onomatopoeia」を「擬声語」としているので包括的に日本語では「擬声語」とするのかもしれない。また一方で、古代ギリシア語の「ὀνοματοποιία(オノマトポイーア)」を英語は「onomatopoeia」、フランス語は「onomatopée」だが、このフランス語の「オノマトペ」が日本語としても定着しつつあるようだ。
今日の句会ではこのオノマトペで激論になってしまった・・・全く本意ではないのだけれど・・・
今日の句会に出した私の句の中七に「・・・ぴとぴとの手に・・・」という言葉があった。指導者は『「ぴとぴと」はどのような状態なのか意味不明である、読み手の理解を得られない。「べたべた」なのか「べとべと」なのか皆に理解してもらえるような言葉を選ぶべきである。』と指摘した。
わたしは、『そもそもオノマトペには「意味」がなく、そこにあるのは語感・・言葉から感じる読み手の感性しかない。意味のある言葉であれば詠み手と読み手の間に大きな認識の違いの無いように、誤解の無いようにすべきであるが、オノマトペは作者が感じた音や声や状態を音にしたものなので、基本的には意味の共通性は存在しないので、結局、詠み手がどう感ずるかになる。「ぴとぴと」という音をきいて今度は読み手がどう感じたのか、感性には言葉を聴いて何も感じないという状態はないはずである。』と主張した。
しかし、指導者や多くの参加者は「ぴとぴと」というオノマトペには何も感じるものがない、今まで聞いたこともないので分からない・・・」とのことであった。
うむ・・・「何も感じない」と言われてしまってはそれ以上の言葉は無い。そうですかと引き下がる他無いのだが・・・皆「俳句」を作ろうとしているのだよな?自分の心に映ったものを言葉にしようとしているのだよな?何だか少し残念な気持ちがしたのだが・・・