今回から「ユーロビジョン・ソングコンテストで歌われたフランス語の歌」と称して、日本では妙な分類がされている「シャンソン」・・・フランス語ではご存じのとおり単に「歌」、全ての世界を含んで「歌」・・・がどんな変化をしてきたかを見てみようかな・・・と思います。
ユーロビジョン・ソング・コンテストは、イタリアのサンレモ音楽祭を参考に、欧州放送連盟加盟国による国際的な歌謡コンクールとして1956年に第1回が開かれました。ですので、比較的分かりやすい普遍的で誰もが歌いやすいポピュラーソングを選ぼうとする企画です。ある意味では歌から欧州の一体感を得ようとする、ある意味ではEUのポップス版のようなかなり挑戦的な企画だったようですね。
勿論、放送連盟とは全く無関係なアメリカや日本での知名度はとても低いのですが、1960年代は日本でもフレンチポップスやカンツォーネが全盛期だった所為もあり、私のような年代の者の中には知っている者もいるようです。
では、早速第1回の1956年だ1回ユーロビジョン・ソング・コンテスト・・・スイス(ロマンド地方だけ参加)で開催され、参加国はスイスの他にフランス、ベルギー、ルクセンブルグ、西ドイツ、イタリア、オランダでこの年だけ各国2曲ずつ歌が提出されていました。明らかにフランス語が大勢力でしたね・・・
その中でフランスの参加曲のうちの1曲です。マテ・アルテリは1927年生まれ現在94歳で存命です。
歌は当時のフランスで歌われていた「シャンソン」そのものですが、日本ではソプラノよりもアルト・・・それも相当低めの・・・の方が受けるようですね。
Le Temps Perdu - Mathé Altéry - France 1956 (Audio)