1956年のユーロビジョン・ソング・コンテストは、基本的に「自国語で歌う」ということなのですが、ヨーロッパはご存じのとおり使用言語も結構複雑ですね。ですので、フランス、ルクセンブルグ、ベルギーが2曲ともフランス語で、スイスはフランス語とドイツ語を1曲ずつ・・・と言うようなエントリーでした。
この当時から、ルクセンブルグはフランスシャンソン界の実力者やこれからヒットしそうな歌手をエントリーしています。一方フランスは予選を開いていたはずです。イタリアはコンクール好きの国民性で、サンレモなどポピュラー音楽のコンクールを数多く開いていましたが、フランスは正反対。一時期アンギャンかどこかでサンレモのようなコンクールが開かれたように記憶していますが、程なく中止になったようで、やはり国民性なんでしょうね?
それはそれとして、第1回のユーロビジョン・ソング・コンテスト、ルクセンブルグ代表はなんとミッシェル・アルノーです。ご存じのとおり1919年トゥーロン生まれ1998年に亡くなっています。私の大好きな歌手で、ブログでも何度か取り上げていますね。
この曲も日本ではほとんど知られていないと思いますが、1956年のポピュラーソングの傾向は、戦争を経て大きな変化をしたというより戦前からの傾向を引き継いだロマンティシズムに溢れた曲作りのように感じます。当時のポピュラーミュージックの世界は音楽の傾向・リズムなどの大きな流れと言うよりも、エディット・ピアフやジュリエット・グレコ、ティノ・ロッシなど歌手の魅力の方が強い世界、歌手が導く世界と言っても良いのかもしれませんね?
Les Amants De Minuit