~先週金曜からの続き
週またぎでガッツリ紹介している絶滅した駄菓子屋もんじゃ。
長年レッドデータブックに載っている店舗としてので絶滅危惧種だと
言ってきたのだが、ついにその日が来てしまった。
詳細はこれまでの1~4に記載したが、
気が付けば妙な一見のKYにもほどがある詳細バラシブログがあがってて
営業が続いていても常連的には不愉快極まりないもので、
やめた今となっては、さっさと当該記事を下げて欲しいと思ったり、
単純にサクライとの出会いから、元々の駄菓子屋もんじゃである
私が行っていた所から、その発祥の事までも記してきた。
そんな中、最後の訪問や長期休業や数日前の会話などもUPする前に、
もう一つ忘れてはならない店があった。今日はそこを紹介する。
それが冒頭画像のチクもんだ。もんじゃチクだからチクもん。
これはその入口だが、カッティングシートか何かで
思いっきり「もんじゃ」と書かれているそれは、
確実に通ればここはもんじゃ屋なんだと判る。
しかもサクライは目の前の道は乗用車1台が精一杯の狭い道。路地だな。
でもチクは乗用車がすれ違える程度の広さの道。
だからということでもないが、良くチクの前はワゴン車が止まってて、
中で食ってるのだが、車でなんか来ないでチャリで来いよと思うが、
もしかして遠くから来ている客なのかも知れないし、
逆に今客が居るなという目印で、時間ずらすかと遠くから判ったりと
そういう目安には判りやすかった。
でもこの辺の駄菓子屋もんじゃは厳密にはもんじゃ屋だ。
だって駄菓子売ってないんだもん。ドリンク程度で。
でも価格帯とその中身が駄菓子屋もんじゃのそれであって、
それは間違いがないのだけど、私の幼少期の地域では
全ての店が駄菓子も売っていて、もんじゃも提供していた。
なんでここらはこうなのかというと、サクライは違うと思うが、
チクはやめた駄菓子屋もんじゃの台を譲り受けて始めた
後発の駄菓子屋もんじゃだからだと思う。
どういうことかというと、私が幼少期に居た地域のように、
元々駄菓子屋がそれを始めていた。
駄菓子は儲からないので、主に高齢の持ち家の年金暮らし、
或いは持ち家が買える50代以上の専業主婦が自宅を改装して
道楽や、子どもと触れ合いたいとか、社会との繋がりとか
営利以外の何かの目的でやっていたものが圧倒的。
だから年齢的には長くは続かない。
60歳で始めても10年すれば70歳だ。商売もしんどい。
なのでやめる人が後を絶たずに続発すれば、その台もあまってくる。
そしてサクライのおばさんだかに、アンタんトコもやればいいのよと言われ
元々サクライなどの駄菓子屋などに飲料水を卸していたのだが、
自宅の一部が飲料の倉庫と冷蔵庫がある場所で
その一角を改装して、譲り受けた台を持って始めたのだと思う。
だから駄菓子屋ではなく、飲料水卸がやってた駄菓子屋もんじゃなのだ。
それがこのチクもんなのだった。
これはメニューだが、やはり後発だけに中身は一緒。
でもベビーラーメンではなく、しっかりとラメックと書かれているのが
非常に嬉しい。一番左上の300円は具沢山ね。具の大盛。
一番左下は実は良く知らない。「こぬき」とあるが
多分「たぬき」なのではないかと思うが、
それを知ることに興味は全く無かったのだ。
だって以前書いたように、ひと世代下の常連たちが
卵焼きとか言って卵ふんだんに入れたもんじゃをスペシャルだと
もてはやして食ってたが、もはやそんな贅沢品は、
各もんじゃ屋でのいろんなもんが入った新メニューと変わらず、
まして私は自分が散々小中学生の頃に食ってきたあの味だけが大好きで
それを味わいたいのだから、妙なもんには全く興味が無いからだ。
なのでチクもサクライの1/4~1/5回程度だったなりにも
回数的には結構行っていたのだが、一度も何なのか聞いたことが無い。
だからそれが何だったのかは今も解らないままなのだ。
そしてラメックが書かれた右側中段に横線で消されているのがチェリオ。
前回などに書いた飲料問屋に扱いがなくなったというのは、
こういうことで、チク自体がそれだったのでサクライにも卸していた。
ここに入らなければサクライにも無く、
サクライにないならば当然チクにも無いのだった。
でも晩年は飲料問屋もお父さんの腰の具合だかでやめていた。
この頃は飲料問屋やめて2年目だったかと。
まだ店の隣には大きな業務用冷蔵庫はしっかりとあり、
その雰囲気のままだった。
これがチクの店内だが、手前にもう1台あるのだが、
そっちを映した画像が無い…。撮ったはずだけどいつだったか??
これが画像手前の席は、もう一台の席と背中がぴったり付いていて、
両方とも大人数で来ると背中密着。
思えば千住の創業130年の居酒屋大はしも隣同士密着なので、
知らぬ同士の密着は昔ながらの下町には全然ありかと。
チクの200円の大盛。ラメック5個かな?6個かな?
サクライのそれと量も味も一緒だけど、
実は若干味は違うんだよね。なんかチクのほうごま油っぽい。
それこそ鉄板に敷く油がごま油だったか!?
ちなみにチクのほうが狭かったが、椅子はこっちのほうがやや高く
主に高校生とかと会うのはこっちのほうが多かった。
200円のが手前の私ので、向かいに150円がかみさんので、
左に娘と元親友のナナコが並んで80円の食ってる。
娘とナナコは背格好が同じで、顔は結構違うんだけど、
どこに連れて行っても「双子ちゃんですか?」と聞かれた。
もう仲違いして険悪ではないものの遊ばなくなったのだから、
時の流れって凄く残酷…。本当にわが子のようだったのに…。
で、実はチクはこの翌年に自宅を改築した。
その際に新しい家は新しい臭いで色も綺麗だから、
結構ソースの臭いが付いてしまうもんじゃは、
チクのおばさん的には常連の希望もあるし、
サクライと仲がいいのでともにやっていきたかったのだが、
今イニシアチブがあるのは子ども世代になっているので、
ザ・クイズショウ宜しく「イニシアチブ俺」となってしまい、
もう臭いも付くし、汚れていくからこれを期にやめてくれと切望され
自らの意思ではなくやめることになってしまったのだ。
それで今後はサクライだけになるので、
これまではサクライが混んだら「チクさんとこ行きな」と
隣町同士なんであっちにこっちに常連も渡り歩いていたのだが
それが無くなることは単純に懸念されたが仕方ない。
それよりもサクライのほうが1軒だけになるので
長くやって欲しいと思い、サクライのおばさんにも
おばさんのほうが長くやってるのでこう言うのもなんだけど、
チクさんがやめてしまった分、おばさんには出来る限り長く
頑張って欲しいと思うと話をして、そうよね~頑張るわと言ってた。
この時はその2~3年程度後で終わるとは全く思いもせず。
年は年だが、そういうわけでスクーターも乗り回し、
腰も曲がってない元気そのもののおばさんがそんなに早くやめるときは
事故で大怪我とか無くなる以外考えられなかった。
ともかくこの画像にの時点では、互いに同じような年で
友達関係でもあるサクライとチクの2軒の駄菓子屋もんじゃは
互いに互いを支えあいつつ隣町同士で営業してきた。
しかし後発だったチクは改築という理由でそれをやめることとなり、
私の中では当に絶滅していた駄菓子屋もんじゃは、
ここの地域では生き残っていてレッドデータブックレベルだと
絶滅から生存発見として記したわけだったが、
これで完全なる絶滅に向けて1軒だけとは、
黄色信号が赤に変わったのだった。
店を閉めたときに、常連が台をもらったらしいが
その後数回使っただけで、後は殆どやらずに邪魔なだけになってるらしい。
そんなもんかもね。真似してもソースまではどうにかなっても
ラメックが無いしね。
ちなみにチクやサクライの常連は鍋持って来る人が居るのだ。
それは店ではもう大人なので居心地が悪いとか、
混んでいるのでラメックまで含んで焼くだけの具材を
その鍋に指定の量作ってもらって持ち帰るのだ。
そういう常連も何人も見て、ここでは当たり前だった。
でも私はそれはしないのかサクライのおばさんに聞かれたことがあるが
もんじゃの臭いが付いてしまうのでうちではやらないと話した。
まして鉄板は無くホットプレートだからはがしも使いづらいし、
確実に鉄のそれではなく、セラミックか何かのを探さないとならないし
それも面倒だしあっても高そうだし、しかも臭いが付くなら
そんなもん家では出来ないしやらないと昔から決めてるのだ。
まぁそれは駄菓子屋もんじゃだけでなく、酒も飲める一般店も行くし
(飲みながら食いたいときもあるがね。今となってはそっちのほうが…。
でも味的には駄菓子屋もんじゃがダントツなので行っていたのだ)
そうなればいくらでもどこかで食えるんでね。
だから家でやる必要はないのだよね。
でももし、駄菓子屋もんじゃのそれそのものが味わえるのなら
店が無いなら家でやりたいよ。
実際うちにはソースはあるんだよね。普通の料理に使ってる。
でもラメックだけはどこにも無い。
業務用の大量のそれは、食いきる前に油が劣化してしまう。
だから個人ではどうしても無理が生じる。
…自分で店やるか!?…でも自宅でなければ赤字だし無理だな。
明日最終回、サクライの最期へ続く
週またぎでガッツリ紹介している絶滅した駄菓子屋もんじゃ。
長年レッドデータブックに載っている店舗としてので絶滅危惧種だと
言ってきたのだが、ついにその日が来てしまった。
詳細はこれまでの1~4に記載したが、
気が付けば妙な一見のKYにもほどがある詳細バラシブログがあがってて
営業が続いていても常連的には不愉快極まりないもので、
やめた今となっては、さっさと当該記事を下げて欲しいと思ったり、
単純にサクライとの出会いから、元々の駄菓子屋もんじゃである
私が行っていた所から、その発祥の事までも記してきた。
そんな中、最後の訪問や長期休業や数日前の会話などもUPする前に、
もう一つ忘れてはならない店があった。今日はそこを紹介する。
それが冒頭画像のチクもんだ。もんじゃチクだからチクもん。
これはその入口だが、カッティングシートか何かで
思いっきり「もんじゃ」と書かれているそれは、
確実に通ればここはもんじゃ屋なんだと判る。
しかもサクライは目の前の道は乗用車1台が精一杯の狭い道。路地だな。
でもチクは乗用車がすれ違える程度の広さの道。
だからということでもないが、良くチクの前はワゴン車が止まってて、
中で食ってるのだが、車でなんか来ないでチャリで来いよと思うが、
もしかして遠くから来ている客なのかも知れないし、
逆に今客が居るなという目印で、時間ずらすかと遠くから判ったりと
そういう目安には判りやすかった。
でもこの辺の駄菓子屋もんじゃは厳密にはもんじゃ屋だ。
だって駄菓子売ってないんだもん。ドリンク程度で。
でも価格帯とその中身が駄菓子屋もんじゃのそれであって、
それは間違いがないのだけど、私の幼少期の地域では
全ての店が駄菓子も売っていて、もんじゃも提供していた。
なんでここらはこうなのかというと、サクライは違うと思うが、
チクはやめた駄菓子屋もんじゃの台を譲り受けて始めた
後発の駄菓子屋もんじゃだからだと思う。
どういうことかというと、私が幼少期に居た地域のように、
元々駄菓子屋がそれを始めていた。
駄菓子は儲からないので、主に高齢の持ち家の年金暮らし、
或いは持ち家が買える50代以上の専業主婦が自宅を改装して
道楽や、子どもと触れ合いたいとか、社会との繋がりとか
営利以外の何かの目的でやっていたものが圧倒的。
だから年齢的には長くは続かない。
60歳で始めても10年すれば70歳だ。商売もしんどい。
なのでやめる人が後を絶たずに続発すれば、その台もあまってくる。
そしてサクライのおばさんだかに、アンタんトコもやればいいのよと言われ
元々サクライなどの駄菓子屋などに飲料水を卸していたのだが、
自宅の一部が飲料の倉庫と冷蔵庫がある場所で
その一角を改装して、譲り受けた台を持って始めたのだと思う。
だから駄菓子屋ではなく、飲料水卸がやってた駄菓子屋もんじゃなのだ。
それがこのチクもんなのだった。
これはメニューだが、やはり後発だけに中身は一緒。
でもベビーラーメンではなく、しっかりとラメックと書かれているのが
非常に嬉しい。一番左上の300円は具沢山ね。具の大盛。
一番左下は実は良く知らない。「こぬき」とあるが
多分「たぬき」なのではないかと思うが、
それを知ることに興味は全く無かったのだ。
だって以前書いたように、ひと世代下の常連たちが
卵焼きとか言って卵ふんだんに入れたもんじゃをスペシャルだと
もてはやして食ってたが、もはやそんな贅沢品は、
各もんじゃ屋でのいろんなもんが入った新メニューと変わらず、
まして私は自分が散々小中学生の頃に食ってきたあの味だけが大好きで
それを味わいたいのだから、妙なもんには全く興味が無いからだ。
なのでチクもサクライの1/4~1/5回程度だったなりにも
回数的には結構行っていたのだが、一度も何なのか聞いたことが無い。
だからそれが何だったのかは今も解らないままなのだ。
そしてラメックが書かれた右側中段に横線で消されているのがチェリオ。
前回などに書いた飲料問屋に扱いがなくなったというのは、
こういうことで、チク自体がそれだったのでサクライにも卸していた。
ここに入らなければサクライにも無く、
サクライにないならば当然チクにも無いのだった。
でも晩年は飲料問屋もお父さんの腰の具合だかでやめていた。
この頃は飲料問屋やめて2年目だったかと。
まだ店の隣には大きな業務用冷蔵庫はしっかりとあり、
その雰囲気のままだった。
これがチクの店内だが、手前にもう1台あるのだが、
そっちを映した画像が無い…。撮ったはずだけどいつだったか??
これが画像手前の席は、もう一台の席と背中がぴったり付いていて、
両方とも大人数で来ると背中密着。
思えば千住の創業130年の居酒屋大はしも隣同士密着なので、
知らぬ同士の密着は昔ながらの下町には全然ありかと。
チクの200円の大盛。ラメック5個かな?6個かな?
サクライのそれと量も味も一緒だけど、
実は若干味は違うんだよね。なんかチクのほうごま油っぽい。
それこそ鉄板に敷く油がごま油だったか!?
ちなみにチクのほうが狭かったが、椅子はこっちのほうがやや高く
主に高校生とかと会うのはこっちのほうが多かった。
200円のが手前の私ので、向かいに150円がかみさんので、
左に娘と元親友のナナコが並んで80円の食ってる。
娘とナナコは背格好が同じで、顔は結構違うんだけど、
どこに連れて行っても「双子ちゃんですか?」と聞かれた。
もう仲違いして険悪ではないものの遊ばなくなったのだから、
時の流れって凄く残酷…。本当にわが子のようだったのに…。
で、実はチクはこの翌年に自宅を改築した。
その際に新しい家は新しい臭いで色も綺麗だから、
結構ソースの臭いが付いてしまうもんじゃは、
チクのおばさん的には常連の希望もあるし、
サクライと仲がいいのでともにやっていきたかったのだが、
今イニシアチブがあるのは子ども世代になっているので、
ザ・クイズショウ宜しく「イニシアチブ俺」となってしまい、
もう臭いも付くし、汚れていくからこれを期にやめてくれと切望され
自らの意思ではなくやめることになってしまったのだ。
それで今後はサクライだけになるので、
これまではサクライが混んだら「チクさんとこ行きな」と
隣町同士なんであっちにこっちに常連も渡り歩いていたのだが
それが無くなることは単純に懸念されたが仕方ない。
それよりもサクライのほうが1軒だけになるので
長くやって欲しいと思い、サクライのおばさんにも
おばさんのほうが長くやってるのでこう言うのもなんだけど、
チクさんがやめてしまった分、おばさんには出来る限り長く
頑張って欲しいと思うと話をして、そうよね~頑張るわと言ってた。
この時はその2~3年程度後で終わるとは全く思いもせず。
年は年だが、そういうわけでスクーターも乗り回し、
腰も曲がってない元気そのもののおばさんがそんなに早くやめるときは
事故で大怪我とか無くなる以外考えられなかった。
ともかくこの画像にの時点では、互いに同じような年で
友達関係でもあるサクライとチクの2軒の駄菓子屋もんじゃは
互いに互いを支えあいつつ隣町同士で営業してきた。
しかし後発だったチクは改築という理由でそれをやめることとなり、
私の中では当に絶滅していた駄菓子屋もんじゃは、
ここの地域では生き残っていてレッドデータブックレベルだと
絶滅から生存発見として記したわけだったが、
これで完全なる絶滅に向けて1軒だけとは、
黄色信号が赤に変わったのだった。
店を閉めたときに、常連が台をもらったらしいが
その後数回使っただけで、後は殆どやらずに邪魔なだけになってるらしい。
そんなもんかもね。真似してもソースまではどうにかなっても
ラメックが無いしね。
ちなみにチクやサクライの常連は鍋持って来る人が居るのだ。
それは店ではもう大人なので居心地が悪いとか、
混んでいるのでラメックまで含んで焼くだけの具材を
その鍋に指定の量作ってもらって持ち帰るのだ。
そういう常連も何人も見て、ここでは当たり前だった。
でも私はそれはしないのかサクライのおばさんに聞かれたことがあるが
もんじゃの臭いが付いてしまうのでうちではやらないと話した。
まして鉄板は無くホットプレートだからはがしも使いづらいし、
確実に鉄のそれではなく、セラミックか何かのを探さないとならないし
それも面倒だしあっても高そうだし、しかも臭いが付くなら
そんなもん家では出来ないしやらないと昔から決めてるのだ。
まぁそれは駄菓子屋もんじゃだけでなく、酒も飲める一般店も行くし
(飲みながら食いたいときもあるがね。今となってはそっちのほうが…。
でも味的には駄菓子屋もんじゃがダントツなので行っていたのだ)
そうなればいくらでもどこかで食えるんでね。
だから家でやる必要はないのだよね。
でももし、駄菓子屋もんじゃのそれそのものが味わえるのなら
店が無いなら家でやりたいよ。
実際うちにはソースはあるんだよね。普通の料理に使ってる。
でもラメックだけはどこにも無い。
業務用の大量のそれは、食いきる前に油が劣化してしまう。
だから個人ではどうしても無理が生じる。
…自分で店やるか!?…でも自宅でなければ赤字だし無理だな。
明日最終回、サクライの最期へ続く