一昨日フィーチャーして紹介するといった話がこれ。
これは何に見えるだろうか?
大方鶏の胸肉のフライとか思うよね?
でもそう思った人は残念。そんなのわざわざ紹介する価値は無い。
前のところで以前紹介したことがあるが、一昨年の大師の盆踊りか?
確かそうだったと思うが、足立区発祥の幻の露店食「文化フライ」だ!!
そんなもん知らん!という人が全国的には90%以上だと思う。
でも店主の若いころは関東の大き目のお祭りなどにはあちこち行っていたので、
関東を外れた近県でも中年以降の縁日好きの人には超懐かしい代物だ。
これは実は元となったのは確か浦安のほうの方のオリジナルらしい。
それはサーターアンダギーのようにボール型をしていたそうで、
それが揚がるのに時間がかかるとかでこの形状を考案したのが
足立区の梅島に住む女性の方なのだ。
それが50年前頃に始めて、その頃はあちこち出没していたが
(なので自分の地元が発祥だと勘違いしている地域の人も居る)
年輪を重ね、そのパワーも無くなり、徐々に地元地域だけになり、
それもここ10年前にはもう出すことすらなくなった幻の露店なのだ。
(2006年に長谷川さんは他界されたそう)
もっともその方に教わったのか、何名か同じものをやったが、
今は北西地域の方のみで、この露店は多分その方だと。
本家の方はもうおばあちゃんだからだ。
でも自宅では商店として営業をしていて、
TEL1本でチャリで行ける区内だったら出前をしてくれる。
もう70代になるだろうおばあちゃんがだ。
でもそれもそろそろ限界かなというところ。
その方は今は普段大師ではラムネを売っている。
そんな50年来のこの土地発祥の名物で、久しく屋台を出していなく、
一昨年のこの時期に物凄く久々に出したものの、
昨年は出さずに、今年また出してくれたという、
コアな関東の縁日好きの中年以上にはお涙物の屋台なのだ。
これが一体何のフライなんだといわれれば。小麦粉だ。
いや、そんなつなぎや衣みたいなもんでなく中身はと言う無かれ。
中身は小麦粉だ。
これも発祥はもんじゃ同様に貧乏食なのだろう。
きっと中身が何もなかったけど、揚げ物を作ったのだ。
昔ながらの丸い揚げ物だと4つ切りや8つ切りにしたジャガイモの
ポテトフライが昔からあったが(そういや最近見ないな)
その芋すらなかったのだろう。それがこの発祥の浦安での背景かも。
そしてさながら足立区の文化フライは鶏肉やハムが無くて、
その衣だけ揚げたかのような代物だ。
ただ、全く素の小麦粉では味気ないので甘い味が少しついている。
それは砂糖ではない。シュガーカットだ。
昔だと水あめなどだったのかもしれないが、1970年代にこれが出て、
あの小麦粉を溶いたドロドロを思い出してもらえば解るが、
砂糖は溶けずにじゃりっとするし、水あめも抵抗感が強い。
それがこれはガムシロのようにサラサラで使いやすかったと思われる。
シュガーカットは今でも売ってるそうだが、時代を感じる。
そして味はその甘さと、甘辛い特製のしょうゆタレがマッチし、
口の中では甘めの揚げパンを食べているような感じだ。
では画像でその様を紹介。
光っていてよく解らないが、「特製ジャンボ文化フライ」とあり、
「愛され続けて五十年」と書かれている。
ちなみにこの名称は文化包丁のような文化○○が世の中で流行っていた
新しいものが次々と文化的に生まれた時代に用いられていたそれを
この商品でも用いたらしい。
屋台の様子はこんな感じ。
この時点で12人ぐらい列になっていた。
年配が群がって居るのかと思うとそうでもなく、
中学生や乳幼児の母親など想定される世代より若い人が目立っていた。
ちなみに右から生地を完成させる人、揚げる人、タレをつけて売る人という
役割分担で3人で回していた。
反対から見るとこんな感じ。
しょうゆの様なボトルが特製のタレで、それが入ったステンのトレイが見える。
一晩寝かしているのかどうかは解らないが、
練って仕込んだ小麦粉の生地を小麦粉にまぶして(笑)肉団子を作る要領で
子どものこぶし大の大きさにちぎって行く。
それをパン粉の上でギューっと手のひらで押しつぶして平たくする。
この画像を撮った直後にこの女性は「何枚撮るねん?!」と言うかのように
私のほうを顔を上げて見た。
その平たくなったものを縮まぬうちにフライヤーの鍋に投入。
正味2分もかからず両面が狐色になって揚がりきる。
バーガーショップのほんの2分半や3分半より速くて回転がいい。
そして揚げられたら最後の人が左端のタレを半分ぐらいにつけて袋に入れて
販売する。という感じ。
それで冒頭の画像を見て欲しい。
その場で食べずに1枚だけ残して翌日にチンして、
柔らかくなっちゃったので、その後少しだけオーブンで焼いたもの。
下半分程度が色が濃いでしょ?
これがタレをつけられた部分よ。
言えばもっと全体につけてくれるけど、
私はタレ無しの部分とタレありの部分が食いたいのでこれでいいのだ!
そして生まれて初めて文化フライを食べた娘。
第一声は「美味しい~~~~!!!」だって。
この日も食べたくないって言ってた。
でももう前回のようなことは今度いつ会えるか(?)解らんので
娘がどう言おうが買うつもりでその通りにしたのだが、
これもこの地域の子が、これ食ったこと無いようじゃダメだといって
とりあえず一口食ってみなと食わせたときがこの状態。
そして↑の第一声だ。
追い討ちを掛けるように聞いてみた。
前にパパがこれ買おうって言った時に要らないって買わなかったじゃん。
それを今思うとどう思う?と。
すると「食べれば良かったって思った!」って後悔してた。
やっぱ気に入ったか…。
そういうわけでやたらウマいもんでもなんでもなく、
これよりウマいもんは世の中にやたらあるのだが、
これが妙にウマいのよ。何故かウマいのよ。不思議なことにウマいのよ。
これはこれ以上の説明ができない。
実際食わないと、文字や言葉では伝えられない味なのよね。
これ、大師だけでもいいからこれからも続けて欲しいなぁ。
以前紹介したアド街にも出た駄菓子屋もんじゃと共に。
どっちもこの地域の伝統と文化だもん。
これは何に見えるだろうか?
大方鶏の胸肉のフライとか思うよね?
でもそう思った人は残念。そんなのわざわざ紹介する価値は無い。
前のところで以前紹介したことがあるが、一昨年の大師の盆踊りか?
確かそうだったと思うが、足立区発祥の幻の露店食「文化フライ」だ!!
そんなもん知らん!という人が全国的には90%以上だと思う。
でも店主の若いころは関東の大き目のお祭りなどにはあちこち行っていたので、
関東を外れた近県でも中年以降の縁日好きの人には超懐かしい代物だ。
これは実は元となったのは確か浦安のほうの方のオリジナルらしい。
それはサーターアンダギーのようにボール型をしていたそうで、
それが揚がるのに時間がかかるとかでこの形状を考案したのが
足立区の梅島に住む女性の方なのだ。
それが50年前頃に始めて、その頃はあちこち出没していたが
(なので自分の地元が発祥だと勘違いしている地域の人も居る)
年輪を重ね、そのパワーも無くなり、徐々に地元地域だけになり、
それもここ10年前にはもう出すことすらなくなった幻の露店なのだ。
(2006年に長谷川さんは他界されたそう)
もっともその方に教わったのか、何名か同じものをやったが、
今は北西地域の方のみで、この露店は多分その方だと。
本家の方はもうおばあちゃんだからだ。
でも自宅では商店として営業をしていて、
TEL1本でチャリで行ける区内だったら出前をしてくれる。
もう70代になるだろうおばあちゃんがだ。
でもそれもそろそろ限界かなというところ。
その方は今は普段大師ではラムネを売っている。
そんな50年来のこの土地発祥の名物で、久しく屋台を出していなく、
一昨年のこの時期に物凄く久々に出したものの、
昨年は出さずに、今年また出してくれたという、
コアな関東の縁日好きの中年以上にはお涙物の屋台なのだ。
これが一体何のフライなんだといわれれば。小麦粉だ。
いや、そんなつなぎや衣みたいなもんでなく中身はと言う無かれ。
中身は小麦粉だ。
これも発祥はもんじゃ同様に貧乏食なのだろう。
きっと中身が何もなかったけど、揚げ物を作ったのだ。
昔ながらの丸い揚げ物だと4つ切りや8つ切りにしたジャガイモの
ポテトフライが昔からあったが(そういや最近見ないな)
その芋すらなかったのだろう。それがこの発祥の浦安での背景かも。
そしてさながら足立区の文化フライは鶏肉やハムが無くて、
その衣だけ揚げたかのような代物だ。
ただ、全く素の小麦粉では味気ないので甘い味が少しついている。
それは砂糖ではない。シュガーカットだ。
昔だと水あめなどだったのかもしれないが、1970年代にこれが出て、
あの小麦粉を溶いたドロドロを思い出してもらえば解るが、
砂糖は溶けずにじゃりっとするし、水あめも抵抗感が強い。
それがこれはガムシロのようにサラサラで使いやすかったと思われる。
シュガーカットは今でも売ってるそうだが、時代を感じる。
そして味はその甘さと、甘辛い特製のしょうゆタレがマッチし、
口の中では甘めの揚げパンを食べているような感じだ。
では画像でその様を紹介。
光っていてよく解らないが、「特製ジャンボ文化フライ」とあり、
「愛され続けて五十年」と書かれている。
ちなみにこの名称は文化包丁のような文化○○が世の中で流行っていた
新しいものが次々と文化的に生まれた時代に用いられていたそれを
この商品でも用いたらしい。
屋台の様子はこんな感じ。
この時点で12人ぐらい列になっていた。
年配が群がって居るのかと思うとそうでもなく、
中学生や乳幼児の母親など想定される世代より若い人が目立っていた。
ちなみに右から生地を完成させる人、揚げる人、タレをつけて売る人という
役割分担で3人で回していた。
反対から見るとこんな感じ。
しょうゆの様なボトルが特製のタレで、それが入ったステンのトレイが見える。
一晩寝かしているのかどうかは解らないが、
練って仕込んだ小麦粉の生地を小麦粉にまぶして(笑)肉団子を作る要領で
子どものこぶし大の大きさにちぎって行く。
それをパン粉の上でギューっと手のひらで押しつぶして平たくする。
この画像を撮った直後にこの女性は「何枚撮るねん?!」と言うかのように
私のほうを顔を上げて見た。
その平たくなったものを縮まぬうちにフライヤーの鍋に投入。
正味2分もかからず両面が狐色になって揚がりきる。
バーガーショップのほんの2分半や3分半より速くて回転がいい。
そして揚げられたら最後の人が左端のタレを半分ぐらいにつけて袋に入れて
販売する。という感じ。
それで冒頭の画像を見て欲しい。
その場で食べずに1枚だけ残して翌日にチンして、
柔らかくなっちゃったので、その後少しだけオーブンで焼いたもの。
下半分程度が色が濃いでしょ?
これがタレをつけられた部分よ。
言えばもっと全体につけてくれるけど、
私はタレ無しの部分とタレありの部分が食いたいのでこれでいいのだ!
そして生まれて初めて文化フライを食べた娘。
第一声は「美味しい~~~~!!!」だって。
この日も食べたくないって言ってた。
でももう前回のようなことは今度いつ会えるか(?)解らんので
娘がどう言おうが買うつもりでその通りにしたのだが、
これもこの地域の子が、これ食ったこと無いようじゃダメだといって
とりあえず一口食ってみなと食わせたときがこの状態。
そして↑の第一声だ。
追い討ちを掛けるように聞いてみた。
前にパパがこれ買おうって言った時に要らないって買わなかったじゃん。
それを今思うとどう思う?と。
すると「食べれば良かったって思った!」って後悔してた。
やっぱ気に入ったか…。
そういうわけでやたらウマいもんでもなんでもなく、
これよりウマいもんは世の中にやたらあるのだが、
これが妙にウマいのよ。何故かウマいのよ。不思議なことにウマいのよ。
これはこれ以上の説明ができない。
実際食わないと、文字や言葉では伝えられない味なのよね。
これ、大師だけでもいいからこれからも続けて欲しいなぁ。
以前紹介したアド街にも出た駄菓子屋もんじゃと共に。
どっちもこの地域の伝統と文化だもん。
返って隣の千葉とかのほうが行ってたらしい。
可能性としては江戸川の花火大会に出していれば知ってるかも知れないけど、
それには行っていなければ出てないので知らないと思う。
その人たちが大師まで来たことがあれば見たことがあるかもしれないけど。
北海道では見た事も聞いたこともない食べ物だわ。
おいしいんだろうなぁ。
先日訪問した、夫の従兄弟達に聞いたら知ってるだろうね。泊めてもらった従兄弟の奥さんとか…(どちらも江戸川区で育ってるから)
50年も続いているならぜひ今後も残してもらいたいところですね。
しかし私より若い君の年代が知っているわけは無いのです。
実際私らの世代でも殆ど馴染む機会が少なかったので。
なので正しいと思います。
出会ったことが無ければ想像もつかないだろうし、
味もわかんないと思う。
それもこれ以上の説明が出来ないので、
百聞は一見にしかずということで、食うしかないのよね。
でもこっちに来て食べて感動した人が、
模倣して地方に持って帰らない限り、
口にする機会はまず絶対無いと思います。
登場して50年。
地方であるという声を聞かないので、
今後もこっち以外で見つけることはないと思います。
価格は今は200円。昔は50円だった。
時代によって変貌しているのよね。
つい5年ぐらい前に見かけたときはまだ150円だったと思った。
一昨年から200円になった印象。
うわ~なんだか、想像しきれないんですけど、
きっとおいしいんでしょうねぇ。
タレがどんなふうにマッチするのかな。
もしも、その屋台を見つけたら、即買いですね。
ちなみに、おいくら\なんでしょうか。