感譚

日々感じたこと、ふと思ったことをつらつら。

何者でもない誰か

2020-07-12 22:23:00 | 日記
自分は自分でいいって言うけれど。
いつも自分じゃない誰かに憧れている。


自分が嫌いなわけじゃない。
ただ、自分の中に自分ではない誰かを憧れる気持ちがある。

別に誰ってわけでもない。
僕自身もよく分かっていない。
たぶん、誰でもないんだろう。自分の中にいる誰か。
自分が思い描く理想像。

自分の中のその誰かだって、時々刻々と変化していく。
自分が変わっていくのに伴って、自分の中の彼も変わっていく。
ある時は、クールで冷静な誰か。
またある時は、すごく変わっている、一見関わりたくないような誰か。
間違いなく言えることは、自分にはない美を持っているということだけだ。


この、何者かに対する憧れは、何が起きても、いつになっても消えることはないだろう。
例え、僕が自分じゃない誰かになれたとしても。心の中には、また違う誰かがいる。
自分が自分である限り、消えない感情だ。
人は、自分にないものを求めてる。
それは決して満たされることがない、人間の性だ。


だから、僕はそんな誰かに憧れながら、自分にないものを求めながら、何者でもない自分になろう。
自分にしかなれない者に。
誰かの心の中の誰かに、自分が少しでもいるように。


ひと月記念

2020-07-10 21:20:06 | 日記
時が過ぎるのは早いもので、ブログを始めてからはや一か月が経った。

まずこの取るに足らないブログの、一記事でも読んでくださった皆さんに感謝を示したい。
ありがとうございます。


僕は、かなりの飽き性なので、よくもまあ一か月続いたな、と内心驚いている。
やはり、アクセスが増えていって、少しでも多くの人が読んでくれている、というのが大きいだろう。

僕はブログに何を望んでいるのだろう。
僕自身面白くはないので、笑えるようなブログはかけないし、稀代の小説家のように度肝を抜くような文章を書くこともできない。
でも、僕が普段考えていることが、思っていることが、一人でも多くの人たちの考えるきっかけになったり、共感を呼んだり、逆に違う意見をぶつけてくれたら。
そんなことを頭に思い浮かべながら、つらつらとブログを書いているのだろう。

もちろん、これからも、少しでも笑えるような文章であったり、興味をそそるようなテーマを試行錯誤しながら、書いていけたらと思う。

とりあえず一か月。
誰も周りに褒めてくれる人はいないので、自分で自分を盛大に褒め、自己肯定感を高めながら、これからのモチベーションを保つ自分である。

哲学と数学

2020-07-09 20:17:10 | 日記
僕は哲学的な話が好きだ。
物事の本質を、見定める目を持ちたい。

こんなことを言うと、きっとこれを書いている人は、頭の固いクソ真面目で、恋愛経験なしの、青春時代を思い返せば勉強しか出てこない、暗い青年を思い浮かべるかもしれない。
それは、ご想像にお任せしよう。


さて、哲学は、言葉で物事の真理を解明しようとする学問だ。
一方で、僕が専攻している数学という学問は、名前の通り数字で真理を解明しようとする学問である。
一見すると、対比的な反対に位置する学問のように思われる。

だが、どちらの学問もものすごく論理的である。そこが僕の気に入っているところだ。
僕は、論理的な性格なのだろう。
話に飛躍があったり、一旦理解できないところが出てくると、理解できるまで粘りたい。
納得したい。
そこが、僕の良さであり、今一つ突き抜けられない要因だったりもするのかな、と思ったりもする。

とにかく、数学も哲学も一つ一つ、納得のいくまで吟味し深く掘り下げていきながら、答えを探し求める。
その過程が好きだ。
間違うことが当たり前。間違いを正していく。
その一つ一つの間違いに、一歩一歩の成長を感じるチャンスがあふれている。
間違いや悩んでいたことが腑に落ちた時のあの快感はたまらない。病みつきだ。

ちょっと話がそれるが、僕は日本という国に、もっと間違いを望んでいる。
間違うから人は成長するのだ。
みんなもっと堂々と自信をもって間違えよう。


西洋の哲学者は、数学者でもあったりする。
やはり、哲学と数学は似ているのだろうか。


哲学、というと堅苦しいイメージで、とっつきにくいと思うが、実際に触れてみると全然難しいことは言っていないし、自分との対話ができるようで楽しい。
今の人たちは忙しく、なかなか一番大切な存在である自分と対話する機会などないだろう。
哲学の本でも読んで、自分と対話してみてはいかがだろうか。

最後にお勧めの哲学の本を何冊か紹介して終わる。
僕も、趣味で哲学の本を何冊か読んだだけなので、そんなに偉そうなことは言えないが、これを読んでいる人の世界が少しでも広がることを願って。

「14歳からの哲学」 池田晶子
「正義の教室」 飲茶
「嫌われる勇気」 古賀史健・岸見一郎
1冊でも気になるものがあれば。

自己中のすすめ

2020-07-08 22:38:16 | 日記
皆さんは、自己中心的な人についてどう思うだろうか。

あの人は、人の話を聞かないでいつも自分のことばかり…。
自分がすべて正しいと思ってるのよね…。
自分がよければいいんだわきっと…。

うんうん、分かります。
こう思われる人にはなりたくないし、あまり関わりたくもない。
僕もそう思う。


がしかし、自己中が他人にとって利益になっているとしたらどうだろうか。
例えば、ものすごく奇抜で天才のデザイナーがいたとする。
彼の作る服は、今までこの世に存在しないほど独創的でおどろおどろしく、かつ美しい。
だが、彼は一筋縄ではいかない。
自分がいいと思った服しか作らず、他人の意見や要望は一切受け入れない。
自分が一番だと思っている完全なる自己中心的人物だ。

こんな人物をあなたはどう思うか。
やはり自己中心的だし、嫌うだろうか。
それとも、この人の作る服に少し興味を持っただろうか。

そう。自己中を突き詰めていくと、他人に利益をもたらすことがある。
自分が一番だと信じて疑わず、自分のためだけに行動し続ける。それが、カリスマ性に繋がってくると僕は感じるのだ。


自分だけの道を行く人。世の中に振り回されず、自分の正解を求めて突き進む人。
そんな人に僕は魅かれる。
そして、そんな人になりたいといつも思っている。
世間の声に惑わされないということは至難の業だ。
何をするにしても、周囲からの声は消えない。

そこで負けるな。
他人がよいと思うものを作ろうとするな。
自分がよいと思うものだけを。芯を貫け。
そうすれば、誰かはあなたに魅せられる。
自己中になって、自分という存在で、世の中を魅了していこう。

生きづらさ大国日本

2020-07-07 21:50:32 | 日記
僕は、日本人だ。
外国の俳優さんを見ていると、やっぱり日本人とは体つきや顔のパーツが違うなあとうらやましく思うが、差し当たり日本人であることに不満はない。
外国人に生まれても、イケメンに生まれる自信もない。

日本という国は素晴らしい国だし、ほかの国に誇れるものがたくさんある。


しかし、日本であるが故の生きづらさを感じることも多い。
日本では、他人を立てることが大切になっている。
目上の人を敬ったり、自分の立場をわきまえて行動することはもちろん大切だ。
だが、日本人は自分の存在を低くしすぎではないか。
敬語を見ても分かる。
謙譲語だ。なぜ、相手を尊重するために、自分という存在を下げなければいけないのか。
尊敬語や丁寧語は分かる。相手への敬意を表すためには必要だ。
謙譲語は別だ。謙譲語という敬意の形を、いまいち僕は受け入れられない。

日本人は謙遜する人が多く、それが美徳ともされる。
でも、もっと自信をもって、誇りをもって自分という存在をアピールすべきではないか。

自分を下に見る、自分の価値を下げることが当たり前になっているから、日本には自信が持てない人が多いのだろう。
普段から、自分の存在を、能力を低く低く見ていたら、本当にそうなってしまう。


あなたは素晴らしい。
自分を下げることなんてしなくていい。
自信がある人は素敵だ。自信をもって。

生きづらさを感じるということは、それだけ問題があるということだ。
生きづらさを当たり前だと思うな。
生きづらさは現状をより良い方向に転換できるチャンスかもしれない。