最近何かあるごとに誰かに対して怒りを向けている。
それは各々好きにすればよいと思うが必要以上に怒っているように思う。
森氏の発言はあり得ないのはその通りなのだが、どこまで怒りを向けるのが正しいんだろう。
そんなことから正しい怒りの量というものを考えている。
あの発言が炎上したのは何も時代だけのせいではないと思う。我々を取り巻く環境、直接に言っちゃえばSNSが個々の怒りを増幅している気がしている。
何か腹立たしいニュースを見てそれをずーっと何日も何日も引きずっている気がする。
それは元々の問題を超えて自分から腹を立てて怒りに向かっている気がする。
そういう仕事ならわかる。世相を気にする学者はライターとか。でもそうじゃなくてただ怒るために怒っている人がいるように思う。
こういうとお前は怒らないのか冷笑系なのかと思われそうだがそうではない。
そりゃ腹立たしいことはあるし、怒りを向けることもある。問題は程度の問題である。
どれくらい怒れば気持ちが収まるのかというのをそれからずっと考えている。
人間の感情の中で怒りがもっともコントロールするのが難しいと聞いたことがある。
これくらいのことにはこれくらい怒るというそんな指標はないわけで、人によって許せる範囲も違う。
しかし概して自分に直接の利害がない限りはそこまで腹を立てない方がいいのではないかと思う。
極論だがニュースも新聞も見ない方が精神的にはよいだろう。ただそこまで無関心を貫くのもなんだか社会的動物としてどうなんだというのもある。
時々資本主義の権化みたいな人でそういう人いると思うんですが、そこまで行くと単なる自己実現モンスターにも思えてしまう。
社会で起きていることも知らない、なにそれ?ってひたすら金だけを求めるのもなんだかなぁ。
話を戻して正しい怒りの量とはどこなんだろうか?
怒りはコントロールが難しいから基本的には怒ろうと思えば、無限に怒れると思う。
かと言って押さえつけるとどこかで爆発する。
適度に怒りながらここまでと切り上げる潔さも必要な気がする。
僕も人よりは怒らない方だと思っていたが、結局それは諦めに近いものでもあった。本当は怒ってもいいところでも、まぁ怒ったところでな、仕方ないなという諦めの気持ちがあった。
そういう感情が澱のように溜まって心の奥底で渦巻いて、なにかをきっかけとして噴出する時がある。
特にコロナ禍では気づかないうちにストレスを溜めそれをなんらかのニュースをきっかけにSNS上でぶつけているようにも思う。
自分が何に対して怒っているのかひょっとしたらわかっていないのかもわからない。
本当にそのニュースに怒っているのか、別に何かあってそれに対して怒るべきところをニュースにぶつけているのか。そういうこともあるかもないかもということで。
まぁでもとにかく僕は情報を極力シャットアウトしていく方向で、それでいて無関心にもならず、それなりに余裕ができたらまた深く社会と関わっていこうと思う。
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