充電と放電の毎日

今迄のブログのように『…だったらいいな…』ではなく
『絶対に…の為に』

馬鹿馬鹿しい俺の人生に俺は火をともすぜ 弱弱しい俺の魂に火をともすぜ というようなことを心の底から本気で思う人生などそうそうないと思いますが 私にはそれが…ある…という

2019年12月30日 10時32分10秒 | ささやき…だったらいいなではなく絶対の為に…
私にとっては本当に厳しい一年でした
現実を思い知らされた
心の糧も
夢いくつも破れ、期待も無残に裏切られ
苦しい一年でした
いいこといっぱいあったハズなのですが今思い出せない位に

まさに『転』 毎日起伏の激しい一年でした
気分転換もうまくいかず
調子狂いっぱなしの一年でした
耐えに耐え抜くという一年であったと思います

…それでも、どっこいまだ俺は元気に生きている
なんとか耐え抜けたということでしょう

2020年は、起承転結の、結の始まりの始まりの年 になりそうな予感です
ずっとそういう予感を感じていながらも厳しい一年だった
もう少しだ、あともう少しだと、そういう意識がマイナスに働いたのかも
今迄の数年の方がよっぽどきつく厳しく苦しかった筈なのですから

もう少しだ、あともう少しだという焦りが
精神を疲弊させて
体を重くさせたのかもしれない

これはこのままではいけない
このままではいけない
という時にまた…試練が
調子が最後の最後まで戻らないまま一年を終えようとしています

しかし
けれど
それでもどっこい未だ俺は生きている!!!
どうやらまあ元気は残っているようです
要は気持ちの問題だけですね

弱弱しい俺の魂に火をともすぜ
この体ひとつ
馬鹿馬鹿しい俺の人生に俺は火をともすぜ


弱弱しい俺の魂に火をともぜ
この体ひとつ
馬鹿馬鹿しい俺の人生に俺は火をともぜ




令和元年はもう終わろうとしています
令和2年から 勢いよく1234で行きたいです

だったらいいなではなく絶対の為に

もう僕らは扉を叩いてしまった 鋭き真冬の風感じながら 生と死の間を行き交う心… それぞれに…ふさわしい 傷だらけの夜明けに 

2019年12月28日 07時00分00秒 | 音楽も歴史も…きっと生き続ける
誰も気が付いていない場所で落書きのような日記とはいえ
年の終わりのご挨拶というのを毎年やってきました
誰かがどこかできっと待っていて見ていてくれるかも知れない という 願い
だったらいいなという気持ちで…

一応…このブログ日記としては本年最後になるかもしれないので
大切な読者の皆様に区切りのご挨拶をと思いました…
ツイッターでは機会あればギリギリまで呟きますが


エレカシ以外にも毎日沢山の曲を聴いています、きました
大好きな曲はエレファントカシマシの楽曲の数百倍もあります…多分

ふるい曲とか、あたらしい曲とか、ランキングに残る名曲だとか
売れた売れていないとか関係なく、
一時的に流行っていたとか否かも全く関係なく
(寧ろ、流行っているからと言われて聴いても好きにはなれない曲の方が多いのかもしれませんが)
昔から好きな曲は意識せず好きなだけであって嫌いにはなれないので、何も考えず今でも聞いています
特に拘りはないのでジャンルなんか関係なくいろんな曲が好きです…
要するにたまたま好きになってたまたまハマっていっただけです
といっても…
紹介されなければ、目立たなければ一生聴く機会はないし
偶然聴くにも、そこそこは主要メディアで流れている曲であるから、聞いたのは間違いないと思います

それらの曲には、今でも毎日心を潤わせてもらっています
砂漠のなかのオアシスというか、ココロニ花をもたらし続けてもらっているのは当然です

それでも
エレファントカシマシを特別、特別扱いしておりますが訳があります
エレカシの楽曲との出会いがなかったら、今の私はないかも知れない と思えるほど

なんともいえない…シンクロニシティsynchronicity な 部分
古い曲でも、いまを生きている自分 達 にを重ねられる歌詞が飛びぬけて多い…と思えるからかもしれません
最近は『宮本浩次』さんという音楽家の楽曲にも心奪われっぱなしです

だからこうやってわざわざ歌詞を引用して語らしてもらってきました

エレカシの楽曲にはそれだけの魅力と将来性を感じた
このままでは勿体ない、残念だ と感じていた
日本の歴史にも世界の歴史にも沢山の音楽家がいる
今を感じて楽曲を世に送り出して来た歴史上の音楽家
そういう音楽家達と今の芸術家との違いはなんだろうか?…私にはわからない


勿体ない、もっと部分的に、目的を持って、野心を持って拘っていいのではと

最近になって『宮本浩次』としても大活躍していると思います

それにしても凄い楽曲数 と楽曲の密度…
だからこそですが、もの足りない部分がある
特にライブでは聴くというより鑑賞するという表現が似合いそうな音楽家なのだから勿体ない
喉も体も大事にしてほしいものだ
そして、時間も

今を生きている僕ら…
この人生、この時間、皆限りある同じ時間しか共有できないのだから
CDとは違いライブというのは
その瞬間で放つ音源が歴史として残っていくことを考えれば

ここからも素人の個人的感想です
素人にはわからないのですが
歌詞を覚えるのはプロにとって大したことではないのだろうか?
楽譜はみなくても、歌詞は?
ライブの為に練習を相当しないといけない?している?
それは歌詞を覚えるプロとして当然のことなのかも知れないけれど
一人でも多くの人に聴かせる音楽家としては
クラシックのコンサートのように楽譜を見て歌詞を見て歌い上げても
音楽として芸術性にはなんら影響がないと思うのに


練習、覚える、暗記する という 形に縛られず
その分、それ以上に無限の可能性という一発勝負のライブの魅力を表現するというか
そういう芸術的な志向・思考のライブもあっていいのになと思うばかりです
クラシックのコンサートと比較するのもおかしいのですが(笑)

音域・音圧・喜怒哀楽という表現において…
それを、とことん表現する為に専念する
それもまた芸術だと
一人でも多くの人に
聴かせる為に、聴かせることに拘ったライブも
見てみたいものです
そういうところがもったいないと思ったりしています


そういう意味で
私のような素人からしたら変な拘束から解放されれば
エレカシにも『宮本浩次』にも
まだまだ行ける 伸びしろが感じられる ということ だと思えます
行けただ行け!とことん まだまだ物足りない!行ける!!!
と思います



エレファントカシマシの名曲『傷だらけの夜明け』…

を借りて語る…


よるとあさの間に浮かんだ雲を 青く澄んだ遠いあの山波を

そして真冬のこの町の空を

ふさわしい傷だらけの夜明けに


行く先は誰も知らない 多分幾世代にも亘る長い人の歴史の 
そのまた果てに佇む僕ら
古くて新しいこの気持ち
言って見りゃそんなとこだろう

ふさわしい傷だらけの夜明けに

行く先は誰も知らない
鳥が空に飛び立つように
僕らも再び山を越え行こう

もう僕らは扉を叩いてしまった
鋭き真冬の風感じながら
生と死の間を行き交う心

ふさわしい傷だらけの夜明けに



もう僕らは扉を叩いてしまった
鋭き真冬の風感じながら
生と死の間を行き交う心

ふさわしい傷だらけの夜明けに

藻搔きながら手探りで
扉を探していたけれど、ようやく 見つかった
叩こうか叩くまいか?
開ける決心をして、扉の先にあるものを確信して
僕らは迷わず扉を叩いた 鋭き真冬の風という抵抗感じながら…


良い年というのは人によって違います
しかし、目指す場所が一緒の僕らにとっての 良い年 というのは
特別なものです

特別ではあるけれど
『僕ら』だけでなく、『普通の人達』にとっても 国籍や性別・年齢も何ら関係なく
喜ばしい事であり、歓迎できることです
それを喜べない・歓迎できないのはそれなりの特別な人だけの筈です

どうせなら『意識して』『歴史』ではなく『現在進行形で』最高の瞬間を分かち合う為に…

意識して ここに 訪問してくださってこられたみなさま…
良いお年を


この日記は…だったらいいなでは なく 絶対の為に…

2019年12月03日 20時32分10秒 | ささやき…だったらいいなではなく絶対の為に…
たまに
なんでこんなことをしているのかと
自己嫌悪に陥ることもある
こんなことをしていていいのかと。。。。


このくだらない、いわばポエムのような『日記』は
誰の為でもなく自分の為に書いています

歌を創った人が自分の歌に励まされるように…
自分で後で読み返したとき
自分が自分に励まされるような感じになるという
意外なメリットがあるからです

けれど
それだけではそうそう続きません
誰かどこかで私を頼っている人がいるかもしれない

それが一人でもいたら簡単にはやめられないなという思い込みもあります

共感をもって読んでくれる人を
励ますことになったりしていたり、力になっていること を
どこかに期待してしまってやめられません

歌を創っている人がそうであるように

だったらいいなでは なく 絶対の為に…



ありもせぬおとぎ話追いかけまわしているうちに ここまでたどり着いた…行こう、おひさまは東から、俺は この場所から 

2019年12月03日 20時00分00秒 | 音楽も歴史も…きっと生き続ける
頑是ない子供の日も空は青かった
あの頃も風は木々を揺らしていた

わたしは何度も生まれ変わりそして歩いてきたのさ
わたしは今でも何度も 生まれ変わるように生きている

生まれ変わるというのは
わたしにとっては 大袈裟な事ではなくて…
躓いて転んで、ああやっちまったもう駄目かなというところから、
たちあがって走り出して、失った自信をもういちど取り戻していくようなものです

ただ
生まれ変わってきたといえるくらいの
その清々しさを心から感じれた時こそ、生まれ変わったと思えるのですが

まあ、それでも
それほどの思いで生まれ変わっても
順調にはいかず、またこけてしまう、或いは調子に乗りすぎて脱線したり失敗してしまう
その度何度も生まれ変わっている
生まれ変われたようにこけても立ち上がってきたということになると思います
もう駄目なのかなと思う位にそれくらい不安になったり落ち込んだり先行きが見えなくなっているところから
再び蘇るように リスタート できた時に、生まれ変わった位の清々しさを得られる
そんな繰り返しを最近でもやっている

何もせずじっとしていれば
こけることも転ぶこともないと思う
けれどそんな感じだったら多分生まれ変わるほどの高揚感爽快感は得られていないであろうと思う
理想が高く頭の中に渦巻ていて
焦ったりじっとしてられない
だから動いてしまう、そうすると失敗したり躓いて
昨日まで順調だったのに迷路に嵌っていく
苦しんだり、不安も大きくなる
調子が悪かったり、躓いたり失敗が重なった時
些細な事がきっかけでも無力感・脱力感・絶望に見舞われることもある

いずれ滅びる命なら
まだ 俺の生涯の歴史絵巻の巻きは閉じられていない
曇り空の向こうに青い空が見えていて、胸に渦巻いていた理想がまたじわじわと…


人それぞれツボがあって
考えられないほどのくだらない些細な事をきっかけとして立ち直れる 時 もある

ただ…
理想が高ければ高いほど夢がでかいほど
再び蘇るように立ち上がった時は
生まれ変わったと思える位の清々しさがあります
些細な事、何気ない事でも簡単に生まれ変わる瞬間もある(笑)


最近は体調も崩し、いろいろと不安を感じたり失敗したりしていました
ちょっと、かなりいい知らせがあったからというのもあるけれど
今日も生まれ変わる位の清々しさを感じました
久しぶりに
ちょうど体調も良くなって、少しいいことあった時に この曲を聴いて
また生まれ変わりました

エレファントカシマシの曲を久しぶりに外を散歩しながら聴いていた
電車やバスや人混みの中では大音量で聴けない
自転車や単車もそれができない
危険がない道、歩行者しか通らない道を選びゆっくり散歩していた
イヤホンで音量を大きめにして聞いていたのですが
そうするとエレカシの楽曲の情報量が生で聴いているような錯覚で脳にダイレクトに伝わってくるのです

『RESTART』 『今を歌え』 を大音量で聴いた
『RESTART』を大音量で聴くとあの時の感動が蘇ってきた
皆それぞれ何考えてるかわかる訳がないのですが、あの時は会場全体がまるで同じ思いでひとつになったかのような?
歩きながら聞いているのに、立ち止まって軽く飛びはねているような錯覚に囚われた


冬の花…録画されていた
冬の花も 情報量が凄い楽曲だと 
テレビ通じてもじわじわ伝わってきた
いつか生で聴ける日を楽しみにしています