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123便事件当時の総理大臣、中曽根氏が死去の報道

昨日、1985年の123便事件発生当時の総理大臣、中曽根康弘氏が死去との報道がありました。この報道により「中曽根は123便の秘密を墓場まで持って行った」みたいな言論が飛び交うことになるかと思いますが、本ブログと長くお付き合いの皆様ならお分かりの通り、123便事件とは、たった一人の総理大臣が全容を把握し切れるような、底の浅い陰謀などではありません。むしろ、中曽根氏本人も聞かされてなかった出来事がいくらでもあったはずです。そもそも、中曽根氏が本当に死去されたのか、そちらの方が私はむしろ気になります。

中曽根康弘元首相が101歳で死去 国鉄民営化進める
2019年11月29日13時06分


「戦後政治の総決算」を掲げ、5年間にわたる長期政権で国鉄分割民営化などに取り組み、原発政策や憲法改正論議にも大きな影響を与えた中曽根康弘(なかそね・やすひろ)元首相が29日朝、東京都内の病院で死去した。101歳だった。
(以下略)

引用元:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASMCY45NTMCYUTFK00K.html


123便事件について広範囲にその背景を知りえた著名人を1人あげるなら、それは旧陸軍参謀出身で元伊藤忠商事会長の、故瀬島龍三氏でしょう。中曽根氏のブレーンと言われてましたが、実際は中曽根氏に指示が出せる関係であったことは、同氏について書かれた書籍などに多くの証言が寄せられています。


写真:(左)故瀬島龍三氏と(右)伊藤忠本社ビル

そして、123便事件の秘密は現在の伊藤忠商事内にも存在するであろう仮称「瀬島機関」、私は個人的に伊藤忠情報部と呼んでいますが、そこにまだ残っているだろうと推測しています。何故なら、123便事件の痕跡はあまりにも大きく、一人二人の主要人物がこの世を去ったくらいでは全てを消し去ることなど到底不可能であると思われるからです。その端的な例が、本ブログでも紹介しているミサイルや軍機等の夥しい破片なのです。

また、中曽根氏と言えば、1959年に科学技術庁長官で初めて入閣という、歴代総理大臣としては稀有な出世コースを歩んでいることがあげられます。それはまさに、中曽根氏こそが日本に原子力を導入した立役者の1人であることを象徴しています。行革による国有資産の切り売りだけでなく、氏の推し進めた原子力政策こそが2011年の福島原発事故に見られるように、現在の日本を苦しめているとも言えるのではないでしょうか。

以上の様な観点から、本ブログは中曽根氏を123便事件のキーマンとして特別重要視してませんが、唯一氏が主役となる関連記事をプラザ合意と絡めて書いています。それを再掲することで、ご本人への餞にしたいと思います。

関連記事: 
 JAL123便墜落事故-真相を追う-見えざる人々と神の鉄槌(3)

参考:
 黒霧123便関連記事ガイド

※追記(2019/11/30 08:12)
 今回取り上げた中曽根氏・伊藤忠商事を通して、123便事件と静岡県の沼津市が繋がります。そしてその沼津こそが、メディアではこれまで一切報じられることがなかった、御巣鷹山西側隠蔽ルートの主要拠点であることが分かってきました。関連記事については「駿河湾・沼津関連記事ガイド」を参考にしていただきたいのですが、ここではその中から2点の記事をご紹介します。

 ・沼津、ラブライブサンシャインの聖地と伊藤忠
 ・123便事件へと繋がる沼津防衛人脈


QUIA PERSECUTUS EST INIMICUS ANIMAM MEAM HUMILIAVIT IN TERRA VITAM MEAM CONLOCAVIT ME IN OBSCURIS SICUT MORTUOS SAECULI
敵はわたしの魂に追い迫り
わたしの命を地に踏みにじり
とこしえの死者と共に
闇に閉ざされた国に住まわせようとします
(新共同訳聖書 詩編 第143編3節)


キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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