今朝は少し涼しいかなと思いましたら、最低気温が25.6℃でやはり少しいつもよりも気温が低かったようです。
教会で、ベトナムからいらした神父様が水遣りをなさっていました。
今は、多分、日本語学校に通われながら、夜のごミサを中心になさっているのかなと思いますが、もうお一人のベトナム人の主任神父様は過労の為に一度倒れられたと聞きました。
東の空はこんな感じでしたが、
青空も見られました。
私がお手本にしているお宅のぶどう
我が家のお花
今朝の果物
今日の母は起きた時から呼吸が荒く過呼吸気味。
7時にいらしたヘルパーさんが急なことでびっくりされてお台所に私を呼びに来られました。
今日のヘルパーさんは寡黙な男性で母のペースで優しくケアをして下さるので、母の一番のお気に入り。
昨夜「明日は誰かな」と聞いて、ほっと安心したようでした。
過呼吸は「大丈夫だから」と落ち着くように言いましたが、益々激しくなって。。。
痰が絡んでいたようでしたので、サルタノール(気管支拡張剤)を1プッシュ。
あとはお薬を飲んで寝ました。
30分後、元気になって目を覚まし、ベッドでそのまま朝食。
後は新聞を読んだりしていましたが、看護師さんが1時半に来て下さる前に昼食を済ませていようと台所に誘いました。
手すり伝って歩いていましたので、大丈夫かなと思っていたところ、大丈夫ではありませんでした
椅子まで手が届かなかったのか、椅子が回ったかで、尻もちをついてしまいました。
階段の前でしたので腰を打ったかと一瞬びっくりしましたが、それは大丈夫でもたれていただけでしたが、立たせるのが一苦労。
足首に力が入らず、靴下も穿いていますのですべってしまいます。
でも、何とか起こして、座らせました。
昼食はしっかり食べてくれましたが、終わった頃から又、過呼吸。
朝よりもひどい感じでした。
表装のフォトブックが出来て以来、母はそのことばかりを言います。
結局、何もかも全部捨てたくないわけで・・・
私は何も捨ててはいませんが、本の中にないから捨てたと言います。
これも何度も言います。
ショートに行っていても表装の話。
夕方のヘルパーさん(朝と同じ方)に「あげる」と言い出したり。
「飾る場所がないですから」とヘルパーさん。
そんなことでは諦めません。
「壁があればどこで飾れる」
私の友人にも「10本あげる」
もらっても実際皆、困ると思います。
こういうことをずっと前からしていて、ご近所のお寺のお坊さんにウオーキング中「持って来られたけれど困るから返す」と言われて返されたこともあります。
また、この時の過呼吸は「死んだら無になる」と思っていることも原因のようでしたので、又、母に言いました。
今まで積み上げてきた経験や技術は何一つ失われるものはなく、そこから又スタート出来ることや、死んだらどうなるかという私が今まで多くの本や人々のお話から学んできたほぼ間違いなくそうだろうと思っていることについて又、話しました。
「そんなこと信じられなん」
そうでしょうねぇ。。。
今まで97年間、死んだら無になると思ってきたわけですから。
「でも、とにかく死んだら驚くわ。そして、そう言えば私がそんなことを言っていたなあって思うと思うよ」と言いました。
苦痛に顔を歪める母を見ている私もしんどい。
とにかく、薬を飲ませ落ち着くように、もうすぐ看護師さんが来て下さるしと言いつつ、「マニキュアが剥げてきたから塗って」と言っていましたので、紫のラメ入りのマニキュアを塗りながら話をしました。
そこへ、看護師さんがいらして下さいました。
母の過呼吸の原因は「死」だけではなくもっといろいろなことが絡んでいるのではないかと言われていました。
母は朝も苦しくて寝ている時にいきなりショートの話を始めました。
冷ややっこが出たから「お醤油を下さい」と言ったら「もう入っています」と男性スタッフに言われたそうです。
でも、その冷ややっこは水が出て、お豆腐が浮いているような状態で、もう食べなかったと言っていました。
そして、昨日も言いましたが、今日も「明日もまだ家に居ることが出来るん」と聞きます。
よほどショートに行きたくないようです。
ちょうど看護師さんがいらしたのは一番息苦しかった時で、看護師さんの問いに「どこのショートも一緒だから、どこも行きたくない。家に居たい」と言いました。
それが本音だろうと思います。
行きたくないのに行かないといけないなんて悲し過ぎる。
「もう出来るところまで家で看ようかな」と看護師さんに言うと、私が倒れたらそれこそ施設行きでしかも今はコロナだから面会もままならない状態になるから、「それはダメ、絶対にダメ」。
母は看護師さんにマッサージをして頂きながらお薬も効いてきたようで落ち着いてきましたが、私は段々と気分がダウンしてきました。
介護は7割の力でするようにとよく聞きますが、もちろん全力疾走しているわけではありませんが、どういう風にこういう場合7割にしたらいいのか。
看護師さんが帰られたあと、「和室へ連れて行って」と言いました。
そこに掛け軸がまだ残っているはずだと言い張ります。
全部写真を撮る為に渡してあると何度言ったことか。
夜にはお風呂に入っている時まで声が聞こえてきました。
「そこへ一緒に取りに行こうか」
もうこの時には私の心は限界に達しようとしていました。
以前、どのタイミングで施設に入るかドクターが言われたのは「どちらかの限界が来た時」。
私も何だか心がすさんできて、もうどうなってもいいわ。
倒れたら母も納得するかもしれないと思ったり。
私、よほど疲れているんだと思いました。
友人が心配して、ラインをくれていました。
「以前兄嫁から何回か聞いたんだけど京都の兄の知り合いの人、有無を言わさず荷物をほとんど捨てて片付けてしまったとか。
私にそのくらいしろといいたかったのか。
そんな人もいるんだから〇〇は優しいよ。」
優しく言われると何だか泣けてきました。。。
お昼にお盆なので質素ですがお花を飾りました。
やはり、備前焼が好きです
夕方のお水遣りの時。
今日は岡山市は「大雨洪水警報」が出ていましたが、私が住んでいるのは市内でも南の方で全く降らず。
かんかん照りでした
多分、北区の方が降ったのではないかと思います。
(岡山駅より北の方)
一輪ユリが倒れて咲いていましたので、切って生けました。
そして、今日も出会った豚ちゃん。
名前が知りたいと思っていましたら「いちじく」を持って来て下さいました。
そこで、2階の窓を閉めていましたが、カメラを持って慌てて降りていきました。
「みゆきちゃん」と言うそうです。
以前は(一代目の時)「豚がペット」と遠くから見ていただけですが、最近は我が家の前を通られます。
そして、このみゆきちゃん、何故か私にとっても懐いてくれて
このかわいい顔を見て下さい
撫でると「この子は誰にでも撫でさせないんですよ」
そして、お散歩を続けるから行こうとされても、またまた、激しく鳴いてUターンして私の方へ戻ろうとします。
何ともかわいい
頂いたいちじく
みゆきちゃんの顔を見ていたら癒されて元気が出てきました
かわゆい
★致知一日一言 【今日の言葉】
困難に立ち向かっている方へ
困難と失敗を同一視することほど
危険なものはない。
いまはまだ困難なだけで、
失敗ではない
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鍵山秀三郎(イエローハット創業者)
月刊『致知』より
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◎鍵山秀三郎が語る、
前橋育英高校を甲子園優勝に導いた
「凡事徹底」の力
「凡事徹底というのは、
本当に取るに足らない
些細なことを大事にしていくところから
積み上げていかなければいけないこと
だと思っております」
鍵山先生の講演録から一部抜粋して
お届けします。
☆鍵山秀三郎先生も『致知』をご愛読☆
世の多くの出版物が、ことさらに
人を誹謗中傷する内容を売り物とする中、
『致知』誌の編集方針は
ひときわ異彩を放っています。
日本は経済的に豊かになった半面、
心の荒みが深まっていることを
私は憂慮していますが、
『致知』を読み、
素晴らしい人物に出逢う度に、
こういう人がいる限りは、
日本もまだ大丈夫だと希望を与えられます。
日本で唯一の人間学誌として、
努力、勤勉、謙虚、忍耐等々、
私たち日本人が失ってはならない
尊い精神性に光を当て、
それを守り続けておられる『致知』誌に、
私は深い敬意を表します。
鍵山秀三郎 氏
(イエローハット創業者・日本を美しくする会相談役)
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