「朝鮮通信使」は後の研究者が付けた名称であり、本来「朝鮮来聘使」だとコメント欄に頂き、その通り。
「来聘(らいへい)」には「貢物を献上する」という意味を含みます。
*外国から使節が来朝して貢ぎ物を献ずること。
*江戸幕府は朝鮮通信使の来日については琉球使節と同様に「貢物を献上する」という意味を含む「来聘」という表現をもっぱら用いており、使節についても「朝鮮来聘使」・「来聘使」・「朝鮮聘礼使」・「聘礼使」と称し、一般にもそのように呼ばれていた。
「朝鮮来聘使」という正式名称を提示すれば、その実体が日本に貢物をする集団であったことが一目瞭然なのに、「朝鮮通信使」と名を改ざんした学者は、稲作が朝鮮半島から日本に伝わったと大ぼらをふく左翼なのでしょう。
学会は左翼の巣窟です。日本人がいかに優秀であったのかを証明する縄文時代を教科書から外してしまったのも、その一派でしょう。
朝鮮通信使は「文化の高い韓国が、未開の日本に文化を授けてやった」というのは、彼らの得意な裏返し。
私達日本人は、朝鮮通信使というのは「文化の低い、糞尿泥道の朝鮮から文化文系度の遥かに高い日本へのご機嫌伺いの一行であった」と正しく認識、これを広めましょう!
黙っていると、彼らはやり放題です。
【朝鮮通信使は朝貢①】韓国歴史教科書は嘘だらけ
韓国の歴史教科書には、朝鮮通信使について捏造された嘘の歴史が書かれている。
【嘘①】江戸時代に、朝鮮から来日した朝鮮通信使は、徳川幕府が経済的に困窮に陥ったために、先進文物を取り入れようと、李氏朝鮮王に懇願して招いたものだった。
【嘘②】日本は朝鮮を文化の先進国と考え、使節を派遣するよう要請してきた。これに対し朝鮮では通信使を派遣したが、その一行はおよそ400余人になり、国賓として待遇を受けた。
【嘘③】日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった。したがって通信使は外交使節としてだけでなく、朝鮮の先進文化を日本に伝播する役割も果たした。
・・という内容であるが、事実は真逆である。李氏朝鮮からは、江戸時代を通じて、都合12回、朝鮮からの特使(朝鮮通信使)が、来日している。しかし江戸幕府は、朝鮮通信使の来日の目的については「貢物を献上する」という意味を含む「来聘(らいへい)」という表現を専ら用いており、使節についても「朝鮮来聘使」と称するのが一般的であった。
・・・・・YouTuberの方の尽力に感謝しつつ、ここまで
なぜ糞尿まみれの未開国朝鮮から、当時世界でも有数の清潔な文明都市であった江戸に何の「文化を教えに来た」のやら?
乳出しチョゴリを禁じたのも、名前のなかった李氏朝鮮の女たちに名前を与えたのも併合後の日本です。
道は脱糞だらけ。むろん小のほうも垂れ流し。
一方の日本には厠あり
エベンキ・ワイ族。
濊(わい)
中国の史書である『三国志』や『後漢書』などに記されている古代民族。要するに汚穢族。汚穢とは糞尿のこと。文字通り古代より糞民族なのでした。(罵っているわけではありません。歴史的呼称として述べています。朝鮮が捏造で日本を侮辱して来なければ、敢えて中国では”クソ・ションベン族”などと呼ばれていたことを暴きはしないのですが)
1906年に書かれた「最近朝鮮事情~朝鮮の人々」より。
日韓併合前夜に朝鮮半島を視察した当時の衆議院議員荒川五郎によって書かれた「糞食い族」についてのルポタージュ。
・衛生観念は全く無く、獣に近い
・勤勉とか責務という観念は全く無く、雨が降ったらそこらじゅう、水だらけで仕事を呆然としている。 雨具が無い。治水と言う概念が無い。
・雨が降って水が濁っても、濁ったままの汚い水を使う。とにかく衛生観念が無く、伝染病がはびこっている。
・濁っている汚い水だろうが、小便や糞が混ざっている汚い水でも平気で飲む。とにかく不潔で、味噌も糞も朝鮮人にとっては 一緒だ。
・壁は馬糞を混ぜる。壁が固くなるそうだ。
・肺結核や解熱として小便を飲む・いよいよ病気が酷くなると、大便を食べる。
・穴で暮らしているから夏は暑く、家の外で寝るが、顔の近くを大便や小便が流れているが、朝鮮人とっては臭くないらしく平気で寝る。
・小便壺が家の中にあり、客がいても平気で小便をする。また痰を吐くときは口の近くに壺を持ってくる。
・婦人が洗濯をしているので見てみると小便水と見分けの付かない汚い黒い水に洗濯ものを揉んだり打ったりしている。
江戸 ↓
妻籠。長野県南木曽市の重要伝統建造物保存地区。江戸時代から変わらぬ町並み。
李氏朝鮮の橋
日本最古の橋
錦帯橋。国内最古の木造5連アーチ橋。1673年(初代落成)
葛飾北斎描く、錦帯橋。絵師がわざわざ絵に残すほどの橋は朝鮮にはなかったということです。画材も画力も。
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祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え
静岡市清水区にある清見寺(せいけんじ)
https://seikenji.com/index.htmlは朝鮮通信使が滞在したお寺で、朝鮮来聘使の残した文書が数多く残されており、それを朝鮮通信使関係資料48点を含む、日韓合計111件333点の資料が、2016年(平成28年)3月、日本と韓国の民間団体(NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会と財団法人釜山文化財団)によりユネスコ「世界の記憶」に共同で申請され、2017年(平成29年)10月31日、国際諮問委員会の審議を経て登録が決定されました。
文科省のHP
日本ユネスコ国内委員会http://www.mext.go.jp/unesco/006/1354664.htm
静岡市HPの中の「さきがけミュージアム」 この中の「清見寺朝鮮通信使史書一覧」というところに史書がすべて載っています。ここのコンテンツの利用は許可がいるとの事なので、リンクは張りませんので、検索でお願いします。
清見寺は歴史的にも文化的にも貴重なものがあり、五百羅漢もあって、よく私は訪ねていたのですが、そういえば「朝鮮通信使」の文字が寺の入り口の門に大きく書かれていたのを思い出して、調べてみたら、なんとなんと!ユネスコに登録って!絶句です。