BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

終戦記念日に思う

2019-08-15 | 日記

あなた方のお陰で私達は生きています。

あなたの繋いだ命の礎を私も護りたいと思っています。

あなたはどうか光になって私達を照らしてください。

日本という国を命を賭して守ってくださった先人がいらしたことを私は決して忘れません。

今私達はあなたを思うことしか出来ませんが、あなたがいたから今の日本の平和はあるのです。

辛く苦しい選択をさせられ、散った若い命に最敬礼することしか出来ません。

日本の国の尊厳は、あなた方の思いを引き継いで次代に受け継ぐのが、今の我々に出来ることです。

桜の花びらが散るように、人間もいつか必ず死にます。

私の人生は良い人生だったと最後に言える人間に私はなります。

人が受け継ぐ命のバトンを次に繋ぎます。ぜひ見守ってください。

日本という国は誇りある国だと堂々と他国に言える時代を創ります。

大きな感謝を込めて。

神風特攻隊員たちの遺書

 余談ですがNHKの東京五輪応援ソングのパプリカの子どもたちが私はどうしても馴染めませんでした。意味不明のどこの国の服なの?という格好に、あからさまに変な振り付けで、歌唱力の劣った子どもたちのうるさいだけの曲。歌詞すら耳に残らない国籍不明の曲だと。

そういう印象でパプリカという曲を最低だと思っていましたが、作詞作曲の米津玄師のMVを観たら、元歌はテーマが家族で命を繋ぐという楽曲でした。何故NHKはあんな変な歌に改変してしまったのでしょうか?私が冒頭に書いた「あなた」が別の人生を歩んでいたらこういう生き方もあったのですね。

映像と歌を観て涙が溢れました。

米津玄師 MV「パプリカ」Kenshi Yonezu / Paprika

コメ欄は承認制です。承認しない場合があります。以上でよろしければ内容要約のタイトルを入れ、他とかぶる可能性のない固定HNでご投稿ください。無記名Unknownや「文章の一部」を安易なHNとすることは禁じます。

祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え


最新の画像もっと見る

20 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ただただ、感謝を。 (ジャスタウェイ)
2019-08-15 06:25:24
家族に、戦死なさった方がおります。父方の祖父の弟さんです。祖父は生還し、今の私がいます。弟さんも生きてて欲しかった。御先祖様がいてこその今の生活があります。台風が次々と日本を襲うのは、穢れた人間に汚された国土の浄化と、恩知らずで情けない子孫に対する天と御先祖様達の怒りと感じてます。
終戦の日に (Unknown)
2019-08-15 10:28:51
お盆のお中日、終戦記念日という大切な日に、暖かい優しい気持ちになれる記事を、誠に有難うございました。
大正15年生8月15日生まれだった私の父は、
海軍兵学校に行きました。
少年兵で飛行機に乗って敵機の偵察に行ったそうです。
無事に帰還し、80歳まで命を頂き、お陰様で命が孫に伝わっています。
多くの犠牲のお陰様で、日本は今の恵みがあります。
それを忘れずに、お陰様の気持ちで過ごしたいと思います。

パプリカは今日に相応しい歌だったのですね。
お陰様で初めて知りました。
本来のMVを掲載して下さって誠に有難うございます。
わざと歌の意味を曖昧にいたとしか思えないNHK。
そのうちに、自然淘汰されていくでしょう。

それにしても日本の強運を思います。
隣国でいかに吠えても、日本は超大型台風10号のお陰様で、構って要られません。
有難い事です。
台風10号は、まさに国難を吹き飛ばす神風。
大難が小難で過ぎますようにと祈ります。
2019-08-15 10:28:51投稿の方へ (BB)
2019-08-15 10:56:00
unknownの投稿は基本お断りしておりますが、内容が真摯なものなので承認いたしました。
次回投稿なさるときは固定のHNをおつけください。
雅子皇后の黙祷 (哲弥)
2019-08-15 12:10:01
BBさん、場違いな話題で申し訳有りません。
今武道館で戦没者追悼式が行われており正午から1分間全員が起立して黙祷が始まりました。
雅子皇后、黙祷のとき目を開けているなんて有りえません。すぐにカメラが切り替わったのですが、まともな日本人が黙祷のとき目をパチパチさせていますか?
あと天皇のお決まり言葉「深い反省」もううんざりです。早く令和なんか終わってしまえと思わずにはいられませんでした。
パプリカについて (みみ)
2019-08-15 13:07:29
こんにちは。以前より読ませていただいてます。
初めての投稿です。私もNHKは嫌いですが、
パプリカについて誤解されてる様なので、、

もともとの子供のパプリカが、
米津玄師さんが、NHKからの応援ソングという依頼で、
歌う人のオーディションから楽曲制作、プロデュースまでしたものです。
その後、約一年経ってのセルフカバーで、アレンジして出されたわけです。

米津玄師さんのインタビューを読んだことがあります。
言葉や詳細は曖昧ですが、

オーディションは18歳くらいまでいたが、
カラオケ大会みたいになってしまって、、色が出来てる大人より小学生がメインになった。
振り付けや衣装も米津さんが前から知ってる信頼できる方にお願いした。
確か「ワンピース」のイメージとあった様な・・

私が印象に残ったのは、「本来子供は応援される存在で、、、例えば、「がんばれ」なんて言葉、絶対に言わせたくなかった」みたいな内容でした。

子供バージョンがしっくりこないのは、個々の好みと思いますが、誤解されて伝わってしまうのは・・・と思い、書かせていただきました。

これからも楽しみにしてます!
元の歌、いい歌ですね (都鳥)
2019-08-15 13:50:28
BBさま、皆さま、こんにちは。

米津玄師さんという方、読み方すら分からなかったという芸能界オンチでございます。(恥)
すっと心に染みる良い歌ですね。メロディーも歌詞も
また、聞きたいと思わせてくれます。
今の若いアーティストの歌は、などと言ってはいけませんね。
何故、上の写真のお子さん達の洋服があちらテイスト
なのでしょう。
NHKは、まったく見なくなって久しいので五輪応援の歌があることすら知りませんでした。
まったくとは、言い過ぎで(ご容赦を)先ほどの全国戦没者追悼式は見ましたよ。「深い反省」ですか。
雅子さま、少し揺れていらしたようにも思いましたが
哲弥さまがおっしゃるように黙祷の際、目をパチパチさせていらしたことには気づきませんでした。
とにかく、短い時間でしたので。

話しは変わりますが

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190813-00000138-kyodonews-pol

◆靖国神社の記事です。

一部抜粋致します。

ところで靖国神社が昨秋、当時の天皇陛下(現上皇さま)に2019年の神社創立150年に合わせた参拝を求める極めて異例の「行幸請願」を宮内庁に行い、断られていたことが13日、靖国神社や宮内庁への取材で分かった。靖国側は再要請しない方針で、天皇が参拝した創立50年、100年に続く節目での参拝は行われず、不参拝がさらに続く見通しだ。

以下略します。

山本長官や宮内庁関係者の判断ではありませんよね。

今日は今の日本を導いてくださった、先人の皆さまのご苦労に思いを、そして小堀邦夫元宮司と沼山光洋氏のことも決して忘れない日にしたいと存じます。

乱文お許しくださいませ。


Unknown (でんでん)
2019-08-15 13:58:47
相変わらず、上皇、天皇貶め記事、コメントだ。
明治、昭和戦前に美化して戻りたいのか?

大正、平成、令和は素晴らしい時代と国民は言っている。
Unknown (雪灯り)
2019-08-15 14:12:29
ありがとうございます。
NHKは台風ばかりで、式典の皇后さんのニヤついたお顔と不思議な目つきに、どうしようもない悲しさを感じておりました。
だから、このブログに本当に感謝します。幼児だけど、子供達に読んで聞かせます。

パプリカは、子供の発表会で知りました。歌詞は良いことは言ってるけど、ダンスも落ち着きのないレゲエ風で、あまり好きではありませんでした。
このPVを見て、驚愕です。NHKでも何度も目にしましたが、これは一切みたことない!
日本を感じる映像に、奄美の島唄のような歌声。
素敵です。
NHKの悪意を感じます。酷い。

負けずに子供たちに教えます。
ありがとうございます。
Unknown (田舎神主)
2019-08-15 18:36:01
正午の黙祷正座していたしました。その後の天皇陛下の「深い反省」予想していましたががっかりしました。いつまで「反省」またなにを「反省」するのでしょう。「三国同盟」でしょうか。「日ソ中立条約」でしょうか。スターリンを信じた事でしょうか。いい加減にしてほしいものです。
Unknown (日本の誇り)
2019-08-15 20:00:47
心配していましたが、
天皇陛下のお言葉に、やはり…【深い反省】という文言が、入りました。正直…幻滅しました。
あまり期待はしてなかったものの、令和になり、新しいおが聞けるかと思ったんですが・・・
無駄な期待でした。

反省反省って、あの時代に必死で日本を守ってくださった方々に、失礼でしょう。
元兵士の、小野田さんは、戦後日本の自虐的な歴史観に、絶望して、日本から海外に移住されました。
小野田さんは「心ならずも戦地に赴いたのではない。日本のために、喜んで行ったのだ。」と言われていた。