アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

あいものがたり 第二稿

2017-01-15 05:26:19 | 伝奇小説
 今は昔、
 浅草に見世物小屋が有りました。隅田の河原にサーカスのテントのように建
てられていましたので、六区や仲見世などの繁華街から少し離れていました。
 この見世物小屋に、あいちゃんと呼ばれる誰にでも好かれる可愛い娘がおり
ました。

♪ 空にさえずる 鳥の声 峰より落つる 滝の音 大波小波 とうとうと
響き絶やせぬ 海の音 聞けや人々 面白き この一座の 出し物を
調べ自在に 弾きたもう 語るも自在に 演じたもう 我らが御手の尊し
  や

 夏の盛りの昼下がり、
 二畳ほどの呼び込み台で、口から先に生まれた河童の河太郎が口上をがなり
たてていました。
「ハイ、僕ちゃんからおじいちゃん、お嬢ちゃんからおばあちゃんまで、さあ
さあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。宇宙の神秘、医学の謎、世の中には不
思議な事がたくさん有る」 河太郎の傍らに佇んでいる愛くるしい娘、ようや
く肩位までしかなかった。
「例えば可愛らしいこの娘」
 屈み込むようにして娘の肩を抱いて、十人程しかいない客に見せる河太郎。
「クレオパトラか楊貴妃か、はたまた小野小町がこの娘と同い年のころ、こん
なに清純で美しかったでしょうか?」
 はにかみながら微笑んでペコリと頭を下げる娘、桜柄の小袖に紫袴、長い髪
をリボンで結ぶという、明治時代の女学生のような出で立ちで精一杯に笑顔を
続けている。
 左側にちょこんと座っている座敷童の女刀自(めとじ)。
 右側にはもう一人の 座敷童の身(み)刀(と)自(じ) 、この子もまたただただ笑っているい
るだけだ。
「親の因果が子に報い。なんてぇのは見世物小屋の決まり文句。この娘にはそ
んな生ぬるい言葉は当てはまらねえ! 涙なしには語れはしねえ。聞けば驚く
因果応報」
 屈み込んだ河太郎が娘にささやいた。「暑いから小屋にお戻り」
「いいの?」とばかりに見上げる娘に、河太郎は優しく頷いた。
 客にぺこぺこと頭を下げた娘。呼び込み台を降りて、小走りに小屋に向かっ
た。
 リボンを解く娘、その長い髪が小屋から吹いてくる冷風に巻き上げられ、美
しい項が陽光に煌めいている。
 娘を見送る河太郎が呟いた。「嫌だねえ、あんな清らかな娘を見世物にする
なんて」
「どうせ蛇女かたこ女だって言うのだろう」
 河太郎にヤジが飛んだ。
 客に向き直る河太郎、苦渋の表情を笑顔に変えて、
「悪いが外れだ。あの娘の故郷は奈良県は奥吉野、大峯山の秘境にあったが、
二千年の差別と迫害にあって、生き残ってのはたった一人」
「だからなんだってんだ!」
そいつは見てのお楽しみ。チャキチャキの浅草生まれのこの河太郎が保証する
ぜ!」
 拡がる嘲笑! 皆河太郎が田舎者だとは承知していた。
「自慢じゃねえが、うちの小屋には種も仕掛けもありゃあしねえ」
「ふざけるな,自慢してるじゃないか」
 纏袢纏にいなせな鉢巻きの若い衆が河太郎に嘲笑と声を掛けた。
「なあ、おめいらも聞いたろう?」
 男が左右の若い衆に同意を求めた。
「おいらも聞いたぜ」
「おいらもだ、聞き捨てにはならねえ」
 三人の若い衆の晒に血が滲んでいる。
「こいつはご挨拶じゃねえか、新門の若頭。八幡様のけえりですか?」
「あたぼうよ! 今年も本舎神輿は浅草が頂いたぜ」
「三社祭の時も新門組の兄さん方は、深川の連中を全く寄せ付けなかった。新
門組は浅草っこの誇りですぜ。・・・」
 頭をぺこぺこと下げて若頭に愛想笑いを送る河太郎が言葉を繋いだ。
「こんな趣向はどうです?」
「なんだい?」
「もし、もしもだが、種とか仕掛けとかが見つけられたら?! 木戸銭を十倍
にして返すってのは? どうでかす」
「面白え、乗った!」
 舞台袖に駆け込んだ河太郎が桶の水を頭から被った。
「これで生き返ったぜ! 小雪姐さん」と、傍らの年増の美女を見下ろして声
を掛けた。
「どうです? 入りは」
「ご覧の通りさ」
 幕間から客席を覗いた河太郎、散々の入りに溜息をついた。
「今日は八幡様の祭礼ですからね。みんな深川に行ったんでしょ」
「だろうね」
 色白の頬を微かに桃色に染め、大きく溜息を付く小雪。真っ赤な襦袢に雪の
結晶が鏤められた萌葱の浴衣が心に染みいるほど鮮やかだ。その白い息ととも
に寒気が拡がって行く。小雪は雪女だった。
「だけど、来寝麻呂目当ての芸者衆がぼちぼち集まってるよ」

「来寝様ーッ!」
 最前列の手古舞姿の深川芸子が黄色い声を上げていた。
「来寝麻呂!」「来寝様ーッ!」
 深川衆を取り囲むようにして、浅草の芸者達も負けずに黄色い声を上げてい
る。
「生娘みたいな声出すんじゃ無いよ。来寝様はあたしら浅草ッ娘のものさ」
「白塗りの化け物みたいな顔で騒ぐんじゃない」
 負けずにやり返す深川衆。

「あんな優男のどこが良いのかねえ?」と、小雪。
「姐さんにはね来寝様の素晴らしさが分からないの! 女にしたい程良い男つ
てのは来寝様のことさ」
 いつの間にか鎌鼬のかまおが小雪と河太郎の傍らで佇んでいた。
「来寝様」と、息も絶え絶えに呟くかまお。胸の大きく開いたシースルーのワ
ンピース、裾が膝から十センチは上がっていた。
「さてと、あたし達も一回りして客を集めて来ようかね」
 屈み込んだ小雪が、子犬のシロの耳元で囁いた。
「座長、良いですか。用意して下さいな」
 シロが小太鼓を首から提げて小雪を一睨み。
「駄目駄目、そんな可愛らしい姿じゃ」
 今度は、吽とばかりに口を真一文字に結んで、前足を力一杯に強ばらせる
と、身の丈七尺は超えようかの偉丈夫に姿をかえた。道中姿に白塗り、首から
大きなチンドン太鼓をぶら下げていた。
 チンチンドンドコ、座長のチンドン太鼓を合図に座員が集まって来て、それ
ぞれに用意を調えた。
 小雪はクラリネット、むさ火とけち火が三味線、おまんばあさんがアコーデ
ィオン、さこひめが龍笛、ピンクの忍衣装で身を固めているお軽が指笛、とい
う具合に。
「おい、かまお! 何をぐずぐずしてるんだ」
 河太郎の叱責にも澄まし顔で受け流すかまお。
「あたいは行かないよ。もうすぐ来寝様の出番じゃないか」
「お前は何時でも見れるじゃ無いか」
 かまおの頭をドつく河太郎、腰に蹴りを入れる。
 よろけるかまお、恨めしそうに河太郎を睨む。
「お前が主役だ、かまお!」
「分かりました・・・ヨ!」
 渋面を強ばらせながらもバイオリンを小脇に抱えたかまお、一同の後に付い
ていく。

 チンチンドンドコ。ジヤンジャンジャラジャラ、ピーピーピーヒャラ。
 チンドン太鼓を先頭に小屋から出て来るチンドン楽隊。バイオリンのかまお
が座長と小雪の間に割り込んで楽隊が完成した。バイオリンを弾きながら、か
まおが見事なカストラートで歌い出した。

♪ 空にさえずる 鳥の声 峰より落つる 滝の音 大波小波 とうとうと
響き絶やせぬ 海の音 聞けや人々 面白き この一座の 出し物を
調べ自在に 弾きたもう 語るも自在に 演じたもう 我らが御手の尊し
  や

さて、座敷童だけが残されたテントの前は閑散としていました。
 桜の木陰、緋色の紬で後神がテントの木戸口を見やっていました。一目で田
舎者と分かる親子が悩んでいたからです。
「母ちゃん、見たいよ」
 女の子の訴えに母親は溜息を付いて連れ合いを見ます。
「父ちゃん、おいら一生懸命勉強して一杯お金を貯めるから、花子に見世物を
みせておくれ」
「太郎、そんな先の事を言ってもしょうが無い。今、家は貧乏なんだよ」
 父親は財布の中を覗き込んで首を力なく振ります。
「東京見物だって清水の舞台から飛び降りるような気持ちで出て来たんだ」
「母ちゃん、やっぱり見たいよ!」
 愚図る花子の手を引いて歩き出す母親、父親も太郎を促して歩き出す。

 桜の木陰から姿を消している後神、木戸口に一陣の風とともに姿を現す。
 風に長い髪が乱れて、後頭に大きな眼が現れるが、慌てずに髪を整えると、
親子の後ろ髪を引いた。
 未練たらしく木戸口に戻って来る親子。
 後神は、出来る限りの笑顔を創って女の子に話しかけた。
「お嬢は幾つ?」
「花子、六つ」
「だったら問題無い。この小屋は十まではただ。僕は?」
「もうすぐ十五」と、胸を張る太郎。
「嘘だろう。どう見ても十にしか見えない。十までわただでで見られる」
「本当ですか?」
 母親が顔を輝かせた。
「どうか、二人を入れて下さい」と、後神に頭を下げる父親。
「それが出来ないんだ。大人が付き添わないと駄目なんだ」
「だったらあんた、二人に付き添っておくれな。後の遣り繰りははあたしがな
んとでもするからさ」
「だから、田舎者は嫌なんだ。良く考えてご覧、大人が二人で八十銭、あんた
ら親子は四人だろ? 四で割ったら二十銭、こんな計算も出来ないのかい」
「二十銭」と、財布を覗き込む父親る。
「分かったよ、十銭でいいよ。だけど条件が有る。弁当を四っ貰っておくれ。
売れ残って困ってるんだ」
 確かに弁当が山のように積まれている。だが、満席になる目論見だったか
ら、これでも足りない位だった。
 弁当が四銭、四つで十六銭、どう計算しても六銭の赤字になる。それでも後
神涼しい顔をして、耳を澄ました。
 風に乗って、チンドン楽隊の音が聞こえて来た。
「もうすぐ帰ってきそうだね」


 喜び勇んで客席に走り込む親子。
 舞台袖で河太郎が芸者達に責め立てられていた。
「速く幕を開けな」「来寝麻呂を見せておくれ」「早くしないと火をつけてし
まうよ」
 物騒な事を言う芸者までいた。
 新門の若頭が河太郎に声を掛けた。
「こんな入りじゃ、俺っちに払う二十円が出来ねえよな」
 額に汗を滴らせた河太郎が必死に良いわけををした。
「もう少し待ってくれ。直に客が一杯押し寄せる事になってる。大体、役者が
揃ってねえだ」
 幕間から優雅な腕が伸びてきて河太郎を引っ張った。

 舞台に佇んでいるさこひめ、笑顔で河太郎を見上げる。
「役者は揃った。さあ、始めようじゃないか」

 再び袖に現れる河太郎。悠然と客席を見渡して、自信満々で語り始めた。
「これからお見せしやすのは、義経千本桜四段目、道行初音旅。新演出でお贈
りいたします。歌舞伎座でもお目にかかれない代物だ。無粋な女形なんて出て
こない。静御前は優雅な美女さこひめ、源九郎狐は来寝麻呂だ」
 キャーキャー騒ぐ深川と浅草の芸者衆。
「隅から隅までズズィーット・・・ご覧下さりませ」

 丁度その時、チンドン楽隊が大勢の客を引き連れて帰ってきて、客席は忽ち
満員御礼。

 ゆっくりと緞帳が上がると、夜明け前の吉野が拡がっていた。
 満開の吉野桜の奥に連なる山々が霞んでいる。
 琵琶と事の哀しい連弾に乗せて謡が聞こえて来た。

 春はあけぼの 春はあけぼの やうやう白くなりゆく やうやう白くなりゆ
きて
 山はぎ少し明かりて 紫だちたる雲の細くたなびきたる

 曙に浮かび上がる満開の吉野桜。彼方の稜線が紫色に色づいている。

 さて、この小屋はサーカスも出来るようになっていて,綱渡りで使う太綱が
渡されていた。
 その太綱にお軽と先ほどの娘が座って舞台を見ていた。この二人は見た目の
年齢が近いこともむあって気が合っていた。もっとも、この娘に限っては人を
分け隔てなんか決してしません。誰にでも慈しみに満ちた愛を捧げるんです。
「なつかしい?」
 こくりと頷く娘。この舞台の吉野は書き割りなんかじゃ無くて、みんな本物
なんです。
「帰りたい?」
「ううん、だってもう誰も居ないんだもの。ほら、右の奥に霞んでいる山の向
こう側に有ったのよ」

 舞台では謡が続いていた。
 恋と 忠義は どちらが重い かけて思いははかりなや 忠と信のもものふ
に 君が情けと預けられ 静かに忍ぶ都おば
 微かに現れる静御前(さこひめ)。緋色の袴に小袖五つ衣、薄絹を身につけて
おり、とうてい白拍子静御前の道中姿には見えなかった。
 近づくに連れ、静御前の姿が確かになった
 跡に見捨てて旅立って つくらぬなりも義経の御行方難波津の 波に揺られ
て漂ひて
 今は吉野と人づての噂を道のしほりにて 大和路辿りて 吉野に来たり

 立ち止まって、辺りを見渡して溜息を付く静。
「ああ、我が君判官九郎様はいずこに。噂を信じれば、確かこの辺り」
 義経の形見とも言うべき初音の鼓を取り出す静。ポンと一打ち。
 静の前に姿を現す二人の武者。
「懐かしや忠信殿。もう一方は?」
「今巴御前と謳われし我が妹ございます」
 静が義経を偲んで鼓を二つ打つと,忠信と妹は膝を抱えてしゃがみこんでし
まった。二人の肩は涙で噎んで震えている。
 更に静が鼓を続けると、二人は悲しみの余り大地に両手をつき、もがき苦し
んだ。
「なんとしました? 忠信殿」
 恨めしそうに静を睨む忠信、両の眼が吊り上がってただならぬ形相に成って
いた。
「なんとその顔は・・・?! 忠信殿と思うたは静香の見間違い、何者である
か?」
「あなた様には到底隠し通せませぬ。そ、その初音の鼓は、我ら兄妹の父母の
革でつくられておりまする」
「なんと、父母の革とな。ああ痛ましや」
 妹武者が、たれ下げた静の初音の鼓にすり寄って、愛おしくも抱きすくめ
る。兄の武者はその妹を後ろから抱き支える。
 鼓を持つ手の力を抜く静。初音の鼓は妹武者の手に渡った。
「是非も無い、この初音の鼓はそなた達の物であるぞ」
 鼓に頬づりをした妹武者は、ポンポンポンと打った。
 忠信武者は鼓に合わせて舞い、飛び跳ねて父母との再会を喜んでいる。
 忠信が妹に駆け寄って鼓を受け取って鼓を打つと、今度は妹がんで飛び跳ね
た。
「忠信殿、忠信狐殿。今一度初音を我が手に。・・・せめてもの手向けにわら
わが曲を手向けようぞ」
 忠信狐から初音を受け取ると、管弦の合唱に乗せて鼓を打ち続けた。
 忠信狐と妹狐の歓喜の舞は弾けた。クルクルと忠を舞い、翼が有るがごとく
テントの天井を突き破る程にも飛翔したかと思うと、霞む吉野の彼方までにも
飛んでいった。

 万雷の拍手と歓声。鳴り止む事を忘れて、観客の興奮は最高潮に達した。

 舞台で鼓を打っていたさこひめも興奮していた。もう自分を抑える事など適
わず、本性を現した。さこひめの両肩から大きな翼が現れ、二人の狐に負けづ
に、羽ばたいて弾けた。

舞台狭しと、跳ね回る来寝麻呂姉妹、さこひめは思い余って吉野の彼方にま
でと羽ばたいてしまった。
 お囃子隊の連弾も弾けまくっている。

 観客は騒然と成っていた。というより、半狂乱になって酩酊状態です。
 新門の若頭も、唯々呆然と眺めるのみ。
「なんじゃこれは。種も仕掛けも分からねえ?!」
 種も仕掛けも有る筈など無いのです。来寝麻呂兄妹は本物の化け狐だし、さ
こひめは素戔嗚尊の妹で、神様の成れの果てだったのですから。

 狂乱の続く中、緞帳が下りてきました。
 アンコールをせがむ手拍子が沸き上がっています。

 来寝麻呂が客席後方からヒューッとばかりに緞帳の真ん中やや下手に着地。
 やんやの喝采! 
 来寝麻呂は恭しく客席に向かって礼を捧げた後、左側に両手をだしてヒラヒ
ラとさせると、妹がスーッと現れた。
 来寝麻呂姉妹は少し間を開けて、両手を下から上に突き上げてヒラヒラ。
 二人の間に、翼を羽ばたかせたさこひめが優雅に着地した。
 満面に笑みを浮かべた三人が手を繋いで反転宙返りすると、その姿はかき消
えていた。

 舞台裏では、あの娘が振袖姿に着替えていた。
 お軽が、長い髪を頭の上に束ねて行く。しなやかで儚いまでに美しい項を見
せる為です。
 側で小雪が佇んで溜息を付いています。
「若く見えるって良いね、得だよね」

 舞台袖で河太郎が口上を述べています。
「初音の鼓手ってのは、今の天皇陛下の始祖、桓武天皇の御代に造られたとい
うから、千年以上も前の事になる」
 ゆっくりと上がる緞帳。
「これからお贈りする出し物は、それから更に千年以上前が起源のお話。まず
は、ご覧じあれ!」
 舞台に拡がる吉野の風景。
 今度は哀しいまでに紅に燃える紅葉が連なっていた。
「おや? だーれもいないじゃ無いか」
 二本のスポットライトが上下左右に動き回って主役を捜し回るが、誰も見つ
ける事が出来なかった。
「駄目だねこりぁー。仕方が無い、皆おいらに手を貸しておくれ」
 お軽に小雪、さこひめや鎌鼬まで河太郎の後ろに並んだ。
「さあ、皆一緒に、声を併せて、一ィ、二ィ、三!」
 観客も一体となって、
「あいちゃーん!」
「アーイーッ!」
 舞台中央に現れるあいちゃん、はにかんで俯いています。
 客席の太郎と花子が声を合わせて、
「あいちゃーん!」
 嬉しそうに微笑むあいちゃん、凜として顔を上げ、少し首を伸ばして美しい
項を見せながら客席を見回しました。

 あいちゃんは客席の後方に佇む一人の学生を見つけると、頬は桃色に染ま
り、胸は張り裂けそうになりました。あいちゃんはその学生さんに恋をしてい
たのです。
 ドロドロドロとドラムのロールが不気味に響き。
 ピーピーピーヒャラ、笛が不安を客席の不安を募ります。
 あいちゃんは舞台袖の座員達に哀願の眼差しを送って、哀しげに首を振り続
けます。
 ドロドロドロ、ピーピーピーヒャラ。
 哀しいことに,心とは裏腹に、あいちゃんの首が反応してしまいます。その
美しい項が、少しずつ伸びて行きます。
 ドロドロドロ。
 二メートル、三メートル、そして十メートル以上も伸びて、客席を徘徊しま
す。
 阿鼻叫喚、残念ながら客席に恐怖の叫び声など上がりません。むしろ、皆喜
んで拍手喝采! それほどあいちゃんはここの常連に愛されていたのです。
 あいちゃんは舞台の奥で震える子犬に気がつき、その首が子犬(座長のシ
ロ)をめがけて襲います。
 キャイ~ンとばかりに鳴いたシロの首筋から真っ赤な血がしたたり落ち、あ
いちゃんは舌なめずり、その血はイチゴシロップの味がしました。
 アーイッと現れるからあいちゃんと呼ばれるその娘はろくろ首だったので
す。重ねて断言します。この一座にインチキは有りません。座員は皆本物の妖
怪でした。

 無事興業が終わり、一同はテントの前の縁台でのんびりと過ごしていまし
た。楽しそうに話し合う一座の面々の中であいちゃんだけは俯いて哀しそうで
す。
「あいちゃん、元気出しなよ」
 お軽があいちゃんを励まします。
「人の世に起きる事なんかにくよくよしたってしょうがない。あいちゃん、ご
覧よ綺麗じゃないか、蛍が光ってるよ」と、さこひめが言った。
 確かに辺り一面に蛍が光ってゆらゆらと飛び交っていた。
 あいちゃんはやっと顔を上げて蛍を見た。
「ほんとだ、キレイ!」
「綺麗だけどね」と、小雪がお軽の耳元で密やかに囁いた。「河太郎のいたず
らさ、こんな汚い隅田の河に蛍なんか棲めるもんか」
 小雪の囁きが聞こえなかったのか、お軽も蛍に喜んで、飛ぶ蛍と戯れだし
た。
 辺りを見回さこひめ。
「おや、おまあばあさんの姿が見えないね」
「今夜もかい、むさ火もけち火も付き合ってるみたいだね」と小雪。
 
 林の小道を急ぐ若い娘がいた。
 数人の不良が後をつけてていた。
 気配を感じた娘は歩みを早め、やがて小走りに走り出した。
「極上の獲物だ。逃がしちゃならねえ」と、不良達も走り出した。
 大木の陰から突然現れるおまあばあさん。
「おまんらの母じゃ」
 驚いて立ち止まる不良達。
「おまんらの母じや」
「ふざけた事抜かすな。俺っちのおっ母は、・・・男と逃げた」
「おいらは自慢じゃ無いが孤児だ」
「俺のお袋は二日前におっ死んだ」
「おまんらの母じゃ」
「おい、こんなきちがい相手にするな」
「そうだ、急がなくては逃げられてしまう」
 不良達はおまあ婆さんを残して、娘の後を追いかけた。
 遠ざかる不良達に呼びかけるおまあ婆さん。
「おまあらの母じゃ!」
 なぜか嬉しそうに微笑んでいるおまあ婆さん。

 急ぐ不良達の前に二つの人魂が現れて、おいでおいでとばかりに墓場のほう
に誘う。
 ジャンジャンジャラ、どこからともなく不気味な三味線が聞こえて来た。
 怯んで竦む不良達。
 人魂はだんだん数が増えて行く。
「てやんでえ。人魂なんか怖くねえぞ! だよなあ」
「あたぼうよ。人魂が怖くて浅草で悪さなんて出来るか」
 不良達はだんだん元気を取り返します。
「かまうことはねえ! とっ捕まえて見世物小屋に売り払っちまおう」と、匕
首を抜き放って人魂に飛びかかって来た。
 これには、人魂のむさ火とけち火の方が怯んで姿を消した。
「ざまあ見ろ!」
「さあ早く追いかけようぜ」
 娘の後を追う不良達ですが、残念無念、娘は我が家に逃げ込んでいました。

 ある夏の昼下がり、突然のにわか雨。
 あいちゃんは小さな神社で雨宿り、濡れた髪を手拭いで拭きながら、空を見
上げ、ますます激しくなる雨に溜息を付いた。
 カランコロン、高下駄で走る音が聞こえてきた。
 カランコロン、カランコロン、だんだん音が近くなった。
 耳を澄ましながら、あいちゃんは雨のカーテンの彼方を見詰めて、溜息を付
いた。
 あの学生さんに違いない、そんな予感がした。
 その学生さんが躓いた。が、かろうじて片足で立っていた。
 鼻緒の切れた高下駄に手を伸ばす青年、あいちゃんが走り寄って素早く手に
持った。
「危ないからわたしの肩につかまって」
 素直にあいちゃんの肩に左手を置く青年、娘を見詰めて首を傾げた。どこか
で合ったような気がしたのだ。
 手拭いを口で裂くあいちゃん、手際よく鼻緒をすげ替え、濡れた桐の板を自
分の袖で吹いて、青年の足下に片方の高下駄を置いた。
「有り難う」
 青年は両足でしっかりと立ち、見覚えのある娘を見詰めた。
 立ち上がったあいちゃん、青年の肩まで届かなかった。
「有り難う。濡れるから走ろう」
 青年はあいちゃんの手を握って走り、二人は神社の軒先に駆け込んだ。
 
 それから二人は時々遇うようになった。逢い引きなどとはとても言えない他
愛も無い物だったが、あいちゃんにとつては生まれて初めての至福の時でし
た。
「僕の名は健太郎」
「わたしはあいちゃんて呼ばれてるわ」
 健太郎青年は色々な話をしてくれたが、あいちゃんは何時も黙ってニコニコ
と微笑んでいた。青年は東大の三年生で二十歳だという。
「君は幾つ?」
 哀しそうに健太郎を見詰めるあいちゃん、答える訳にはいかないのだ。
「十五か六?」
「幾つかなんて覚えてないわ」
「可愛そうに、つらい事が有ったんだね」
 
 健太郎青年はあいちゃんの前では饒舌でした。
「戦争なんて絶対にいけない事なんだよ。早く戦争が終わって平和な世界が来
るといい」
「ほんとに戦争、終わる?」
 顔を曇らせる健太郎、彼はこの戦争が簡単に終わらず、日本が負ける事もし
っていたのです。
ある日、こんな事も言いました。
「あいは英語では自分自身のことなんだ。アイ、愛、藍、哀、・・・本当に良
い名前だね」

 ザツザツザツ、雨の神宮球場で軍靴の音が轟きね健太郎青年は学徒出陣して
しまいました。

 健太郎が出征して早くも一年が過ぎてしまいました。
 あいちゃんはこの一年間悩み続けていました。健太郎青年が無事なのか、ど
の戦場にいるのか? 知る術も無く、ただ悩み続ける事しか出来ません。
 ある夜、あいちゃんは何事かを決意して、座長のシロに相談しました。
「わたし、健太郎さんが無事なのか、どこにいるか知りたいんです。座長だっ
たら知っていると思って相談に来ました」
 シロは口を吽とばかりに一文字に結んで、あいちゃんを睨むようにして見詰
め続けるばかり。
「お願いです。教えて」
 あいちゃんはシロの顔を覗き込む為に跪きました。
 シロは今度はそっぽを向いてしまいます。
 あいちゃんの胸に不安が拡がります。座長は矢張り知っているんだわ、黙っ
ているのは何か悪いことでも有ったからかも知れない。
「座長! わたしどんなことでもちゃんと聴くから、お願い」
 あいちゃんは遂に泣き出してしまいました。
「教えてあげなよ」
「あいちゃんの健気な心に応えてあげたら?」
 頭上からさこひめと小雪の声が落ちてきました。
 二人を見上げたシロが微かに頭を下げて頷きました。
 立ち上がったあいちゃんは、さこひめと小雪を交互に見詰めて息を潜めてい
ます。
 口を開いたのはさこひめでした。
「あの学生さんは満州にいるよ」
「まんしゅう?」
「日本から出た事の無いあいちやんは知らないよね。ずっと北に有る国だか
ら、あたしも一度行って見たいと思っているんだ」と、小雪。
「健太郎さんは無事なの?」
「今のところはね」と、ぶっきらぼうに言い放つさこひめ。
「ソ連という大きくて強い国との国境の街にいるよ。ソ連はね今のところ日本
と戦争をしていないけどね、いつ攻めてくるか分かりやしない」と、言葉を繋
ぐ小雪。
「ソ連がその気になったら、関東軍なんて一網打尽で玉砕、なんの抵抗も出来
やしない。小娘をよってたかって手籠めにするような物さ」
 さこひめの言葉を聞いたあいちゃん、青ざめた顔でブルブルと震えていま
す。
「わたし、どうしてもそうなる前に、一目で良いから健太郎さんに逢いたい
の。お願い!」
 涙を浮かべてさこひめを必死に見詰めるあいちゃん。連れて行って呉れると
したらさこひめだと知っていたからです。
「連れて行っても良いけどね、後は知らないよ。先の事は自分で切り開かなけ
ればいけない。あいちゃん大丈夫?」
「はい、覚悟は出来ています。わたし大丈夫、がんばるから」
「ホントだね」と、少しかがんで背中の翼を拡げるさこひめ。
「しっかりと捉まるんだよ」
 さこひめの翼によじ登るあいちゃん、首をしっかりと抱きしめた。
「有り難う、さこひめさん」
「良いさ、ついでだからね。わたしの兄さんが今トルコにいるのさ。ちょっと
だけ寄り道してあげる」
「兄さんって?」
「人は素戔嗚尊と呼ぶけどね。本当は須佐の王だった人さ。大昔の事・・・」
 素戔嗚尊は新出奇抜で色々な場所に現れる。出雲はもちろん、京都や東京、
新羅(韓国)、そして西はトルコにまで出かける事が有る。
「兄さんに蘇民将来のお札を貰って来るからね」と、座長と小雪に言い残し
て、大きな翼を羽ばたかせた。
 あっという間に姿を消すさこひめとあいちゃん。

「すごい! まるで空を飛んでいるみたい」
 とんちんかんな感想を述べるあいちゃん。仕方が有りません、あまり速いの
で何も見えなかったのです。
 さこひめは新京の街にあいちゃんを届け、「がんばるんだよ」と言い残して
あっという間に姿を消した。
 不安に脅え、深夜の新京市街を眺めるあいちゃん。
「健太郎さんを探さなくては」と決意を改めましたが、その為には生きて行か
なくて成りません。
 エッ? どうしたかって? ご想像に任せます。可愛そうなので私の口から
は言えません。
 あいちゃんはこの新京の街で一年近くも生き抜きました。
 不思議な事が起こりました。あいちゃんと出会った兵隊さん達、前線に配属
されて意気消沈している兵隊、傷を負ったり、片腕を無くした兵隊も、皆心身
共に元気になるんです。だけど、大抵はまた傷を負って帰って来ます。
 あいちゃんは遂に健太郎青年を見つける事は出来ませんでした。
 怖れていた事が起こりました。千九百四十五年八月八日、ソ連がソ満国境に
進攻を開始したのです。
 瞬く間に関東軍は殲滅されました。
 この日、あいちゃんは大勢の日本婦人、天使のような看護婦や、白い衣装を
着て看護婦気取りの娼婦たちと街外れに立っていました。
 続々と撤退してくる日本の敗残兵を励まし、水や食べ物を与えるためです。
あいちゃんは、甲斐甲斐しく兵隊達に水や乾パンを与えながら、必死に健太
郎青年を探しますが、とうとう見つける事は出来ませんでした。

 八月十五日、終戦。
 その頃には浅草にはあの見世物小屋は有りません。
 座員はてんでんばらばらになって、多くは故郷に帰って行きました。
 もし、あなたが青森奥入瀬に旅をしたら、奥深くの大滝を訪れて下さい。
 ほら、聞こえて来たでしょう。

♪ 空にさえずる 鳥の声 峰より落つる 滝の音 大波小波 とうとうと
響き絶やせぬ 海の音 聞けや人々 面白き この一座の 出し物を
調べ自在に 弾きたもう 語るも自在に 演じたもう 我らが御手の尊し
  や

 かまおは河太郎と夫婦になっていました。
 もし、あなたが雪山の遭難で助かったとしたら、きっと小雪のおかげです。
エッ? シロはどうなったって? 
 あなたの街の神社の境内で、うんとばかりに口を真一文字に食いしばった、
吽形の狛犬を見かけたら、きっとシロです。
 あいちゃんは? わたしは知りません。でも、試しに呼んで見ましょうか?
 さあ一緒に声を合わせて大声で、・・・
「アイチャーンッ!」
「アーイーッ!」
あいものがたり・完

        2017年1月15日   Gorou

磐嶋と鬼の三兄弟

2016-12-29 11:20:50 | 伝奇小説
 天平勝宝元年(749)五月二十日、時の聖武天皇は詔して東大寺初め十の大寺に大層な財宝を喜捨なさった。
 十寺は大いに潤い、その恩恵は庶民にまで及んだと云う。

 左京六条五坊の住人楢磐嶋(ならのいわしま)は大安寺から銭三十貫を借りて、越前敦賀で商いをした。
 磐嶋が商品を馬の背中に乗せて奈良へと急いだ。
 滋賀辛前の手前で日が沈んだが、磐嶋は構わず馬をいそがせた。一町ほど後ろから足音が聞こえて来たからだ。
 いつの間にか一人の鬼が並んで走っていた。背は鬼のように高く無いが、手足が長く見事に発達した筋肉を持っていて、誰よりも早く走れるのだ。
「俺は焔魔堂に使える南血麻呂という鬼だ。腹が減った、何か食わせろ」
 磐嶋は観念して、馬を止めて干飯を鬼に食わせた。
 そうしている内に、後の二人も追いついてきた。
「ナカチ、お前一人で食っちまったのか」と、おそろしく背の高い鬼が唾を飲み込んで言った。
 もう一人の鬼は巨体を揺すってゼイゼイと息を切らしていた。
「俺たちだって腹を空かしているんだ。そうだこいつを食ってしまおう」
「おい弟、俺たちは此奴を連れて来るように命令されているだけだ。鎚麻呂」
「そうだ兄貴、此奴を逃がしたら、俺たちが代わりに罰を受ける」
 磐嶋が恐る恐る口を挟んだ。
「あのう、明日の夜明けまでには大分時間が有ります。これから家に来ませんか? 美味しい物をたらふくご馳走しますから」
 鬼の三兄弟は互いに顔を見あわせて満足げに頷いています。

 磐嶋は鬼の三兄弟を歓待しました。
 酌は美しい妻がし、夫の磐嶋は次々とご馳走責め。
 次の間で、娘が恐ろしさの余り、しくしくと鳴いていました。
 長兄の高佐麻呂が気付いたようです。
「誰か泣いているようだ」
「どうかお許し下さい。娘だけは見逃して下さいませ」
「年は?」
「まだ八つになったばかりです」と、磐嶋が斧を抱えて身構えました。
「俺も昔妻と娘がいた。妻は恋しいものだ。娘はいとおしいものだ」
「そんなに怒るな磐嶋、お前が鬼の三兄弟に勝てる分けが無い。・・・お前は何年の生まれだ?」
 磐嶋は南血麻呂にこう答えた。
「戊寅です」
「兄者たち、いざかや神社の易者が同じ生まれです。あの悪たれを代わりに連れて行こう」「お前からは随分ご馳走になった。このナカチも承知」
「決めた。そのインチキ易者を代わりに連れて行こう。その代わり、生駒仙房の竹林の奥に俺たちの墓が有る。時々でいいからお経の一つもあげてくれ」

 鬼の三兄弟は夜明け前に磐嶋の家を出て行きました。

 磐嶋は、そんな約束は忘れてせっせと商売に励んでいましたが、妻と娘は三兄弟の墓を見つけ出して手厚く弔いました。
 
 一方、鬼の三兄弟。嘘が露見して閻魔大王の前に引き据えられました。
「お前たちに罰を与える。一番恐ろしい無限地獄で永遠に彷徨うが良い」
 未だに彷徨い続ける三兄弟は時々この世に出現するそうです。
 そんな時、どうすれば良いか? あなたに分かっていますよね。
 そうです。賄賂と気付かれずに歓待するのです。
2016年12月29日    Gorou

あいものがたり Ⅷ

2016-12-15 00:05:15 | 伝奇小説
 健太郎が出征して早くも一年が過ぎてしまいました。
 あいちゃんはこの一年間悩み続けていました。健太郎青年が無事なのか、どの戦場にいるのか? 知る術も無く、ただ悩み続ける事しか出来ません。
 ある夜、あいちゃんは何事かを決意して、座長のシロに相談しました。
「わたし、健太郎さんが無事なのか、どこにいるか知りたいんです。座長だったら知っていると思って相談に来ました」
 シロは口を吽とばかりに一文字に結んで、あいちゃんを睨むようにして見詰め続けるばかり。
「お願いです。教えて」
 あいちゃんはシロの顔を覗き込む為に跪きました。
 シロは今度はそっぽを向いてしまいます。
 あいちゃんの胸に不安が拡がります。座長は矢張り知っているんだわ、黙っているのは何か悪いことでも有ったからかも知れない。
「座長! わたしどんなことでもちゃんと聴くから、お願い」
 あいちゃんは遂に泣き出してしまいました。
「教えてあげなよ」
「あいちゃんの健気な心に応えてあげたら?」
 頭上からさこひめと小雪の声が落ちてきました。
 二人を見上げたシロが微かに頭を下げて頷きました。
 立ち上がったあいちゃんは、さこひめと小雪を交互に見詰めて息を潜めています。
 口を開いたのはさこひめでした。
「あの学生さんは満州にいるよ」
「まんしゅう?」
「日本から出た事の無いあいちやんは知らないよね。ずっと北に有る国だから、あたしも一度行って見たいと思っているんだ」と、小雪。
「健太郎さんは無事なの?」
「今のところはね」と、ぶっきらぼうに言い放つさこひめ。
「ソ連という大きくて強い国との国境の街にいるよ。ソ連はね今のところ日本と戦争をしていないけどね、いつ攻めてくるか分かりやしない」と、言葉を繋ぐ小雪。
「ソ連がその気になったら、関東軍なんて一網打尽で玉砕、なんの抵抗も出来やしない。小娘をよってたかって手籠めにするような物さ」
 さこひめの言葉を聞いたあいちゃん、青ざめた顔でブルブルと震えています。
「わたし、どうしてもそうなる前に、一目で良いから健太郎さんに逢いたいの。お願い!」
 涙を浮かべてさこひめを必死に見詰めるあいちゃん。連れて行って呉れるとしたらさこひめだと知っていたからです。
「連れて行っても良いけどね、後は知らないよ。先の事は自分で切り開かなければいけない。あいちゃん大丈夫?」
「はい、覚悟は出来ています。わたし大丈夫、がんばるから」
「ホントだね」と、少しかがんで背中の翼を拡げるさこひめ。
「しっかりと捉まるんだよ」
 さこひめの翼によじ登るあいちゃん、首をしっかりと抱きしめた。
「有り難うさこひめさん」
「良いさ、ついでだからね。わたしの兄さんが今トルコにいるのさ。ちょっとだけ寄り道してあげる」
「兄さんって?」
「人は素戔嗚尊と呼ぶけどね。本当は須佐の王だった人さ。大昔の事・・・」
 素戔嗚尊は新出奇抜で色々な場所に現れる。出雲はもちろん、京都や東京、新羅(韓国)、そして西はトルコにまで出かける事が有る。
「兄さんに蘇民将来のお札を貰って来るからね」と、座長と小雪に言い残して、大きな翼を羽ばたかせた。
 あっという間に姿を消すさこひめとあいちゃん。

「すごい! まるで空を飛んでいるみたい」
 とんちんかんな感想を述べるあいちゃん。仕方が有りません、あまり速いので何も見えなかったのです。
 さこひめは新京の街にあいちゃんを届け、「がんばるんだよ」と言い残してあっという間に姿を消した。
 不安に脅え、深夜の新京市街を眺めるあいちゃん。
「健太郎さんを探さなくては」と決意を改めるあいちゃんでしたが、その為には生きて行かなくて成りません。
 エッ? どうしたかって? ご想像に任せます。可愛そうなので私の口からは言えません。
 あいちゃんはこの新京の街で一年近くも生き抜きました。
 不思議な事が起こりました。あいちゃんと出会った兵隊さん達、前線に配属されて意気消沈している兵隊、傷を負ったり、片腕を無くした兵隊も、皆心身共に元気になるんです。だけど、大抵はまた傷を負って帰って来ます。
 あいちゃんは遂に健太郎青年を見つける事は出来ませんでした。
 怖れていた事が起こりました。千九百四十五年八月八日、ソ連がソ満国境に進攻を開始したのです。
 瞬く間に関東軍は殲滅されました。
 この日、あいちゃんは大勢の日本婦人、天使のような看護婦や、白い衣装を着て看護婦気取りの娼婦たちと街外れに立っていました。
 続々と撤退してくる日本の敗残兵を励まし、水や食べ物を与えるためです。
あいちゃんは、甲斐甲斐しく兵隊達に水や乾パンを与えながら、必死に健太郎青年を探しますが、とうとう見つける事は出来ませんでした。

 八月十五日、終戦。
 その頃には浅草にはあの見世物小屋は有りません。
 座員はてんでんばらばらになって、多くは故郷に帰って行きました。
 もし、あなたが青森奥入瀬に旅をしたら、奥深くの大滝を訪れて下さい。
 ほら、聞こえて来たでしょう。

♪ 空にさえずる 鳥の声 峰より落つる 滝の音 大波小波 とうとうと
響き絶やせぬ 海の音 聞けや人々 面白き この一座の 出し物を
調べ自在に 弾きたもう 語るも自在に 演じたもう 我らが御手の尊しや

 かまおは河太郎と夫婦になっていました。
 もし、あなたが雪山の遭難で助かったとしたら、きっと小雪のおかげです。
エッ? シロはどうなったって? 
 あなたの街の神社の境内で、うんとばかりに口を真一文字に食いしばった、吽形の狛犬を見かけたら、きっとシロです。
 あいちゃんは? わたしは知りません。でも、試しに呼んで見ましょうか?
 さあ一緒に声を合わせて大声で、・・・
「アイチャーンッ!」
「アーイーッ!」
あいものがたり・完
    2016年12月15日    Gorou

あいものがたり Ⅶ

2016-12-14 11:35:46 | 伝奇小説
 ある夏の昼下がり、突然のにわか雨。
 あいちゃんは小さな神社で雨宿り、濡れた髪を手拭いで拭きながら、空を見上げる。ますます激しくなる雨に溜息を付いた。
 カランコロン、高下駄で走る音が聞こえてきた。
 カランコロン、カランコロン、だんだん音が近くなった。
 耳を澄ましながら、あいちゃんは雨のカーテンの彼方を見詰めて、溜息を付いた。
 あの学生さんに違いない、そんな予感がした。
 その学生さんが躓いた。が、かろうじて片足で立っていた。
 鼻緒の切れた高下駄に手を伸ばす青年、あいちゃんが走り寄って素早く手に持った。
「危ないからわたしの肩につかまって」
 素直にあいちゃんの肩に左手を置く青年、娘を見詰めて首を傾げた。どこかで合ったような気がしたのだ。
 手拭いを口で裂くあいちゃん、手際見事に鼻緒をすげ替え、濡れた桐の板を自分の袖で吹いて、青年の足下に片方の高下駄を置いた。
「有り難う」
 青年は両足でしっかりと立ち、見覚えのある娘を見詰めた。
 立ち上がったあいちゃん、青年の肩まで届かなかった。
「有り難う。濡れるから走ろう」
 青年はあいちゃんの手を握って走り、二人は神社の軒先に駆け込んだ。
 
 これから二人は時々遇うようになつた。逢い引きなどとはとても言えない他愛も無い物だつたが、あいちゃんにとつては生まれて初めての至福の時でした。
「僕の名は健太郎」
「わたしはあいちゃんて呼ばれてるわ」
 健太郎青年は色々な話をしてくれたが、あいちゃんは何時も黙ってニコニコと微笑んでいた。青年は東大の三年生で二十歳だという。
「君は幾つ?」
 哀しそうに健太郎を見詰めるあいちゃん、答える訳にはいかないのだ。
「十五か六?」
「幾つかなんて覚えてないわ」
「可愛そうに、つらい事が有ったんだね」
 
 健太郎青年はあいちゃんの前では饒舌でした。
「戦争なんて絶対にいけない事なんだよ。早く戦争が終わって平和な世界が来るといい」
「ほんとに戦争、終わる?」
 顔を曇らせる健太郎、彼はこの戦争が簡単に終わらず、日本が負ける事もしつていたのです。
ある日、こんな事も言いました。
「あいは英語では自分自身のことなんだ。アイ、愛、藍、哀、・・・本当に良い名前だね」

 ザツザツザツ、雨の神宮球場で軍靴の音が轟きね健太郎青年は学徒出陣してしまいました。
    2016年12月14日  Gorou


あいものがたり Ⅵ

2016-12-14 02:59:25 | 伝奇小説
 あいちゃんは客席の後方に佇む一人の学生を見つけると、頬は桃色に染まり、胸は張り裂けそうになりました。あいちゃんはその学生さんに恋をしていたのです。
 ドロドロドロとドラムのロールが不気味に響き。
 ピーピーピーヒャラ、笛が不安を客席の不安を募ります。
 あいちゃんは舞台袖の座員達に哀願の眼差しを送って、哀しげに首を振り続けます。
 ドロドロドロ、ピーピーピーヒャラ。
 哀しいことに,心とは裏腹に、あいちゃんの首が反応してしまいます。その美しい項が、少しずつ伸びて行きます。
 ドロドロドロ。
 二メートル、三メートル、そして十メートル以上も伸びて、客席を徘徊します。
 阿鼻叫喚、残念ながら客席に恐怖の叫び声など上がりません。むしろ、皆喜んで拍手喝采! それほどあいちゃんはここの常連に愛されていたのです。
 あいちゃんは舞台の奥で震える子犬に気がつき、その首が子犬(座長のシロ)をめがけて襲います。
 キャイ~ンとばかりに鳴いたシロの首筋から真っ赤な血がしたたり落ち、あいちゃんは舌なめずり、その血はイチゴシロップの味がしました。
 アーイッと現れるからあいちゃんと呼ばれるその娘はろくろ首だったのです。重ねて断言します。この一座にインチキは有りません。座員は皆本物の妖怪でした。

 無事興業が終わり、一同はテントの前の縁台でのんびりと過ごしていました。楽しそうに話し合う一座の面々の中であいちゃんだけは俯いて哀しそうです。
「あいちゃん、元気出しなよ」
 お軽があいちゃんを励まします。
「人の世に起きる事なんかにくよくよしたってしょうがない。あいちゃんご覧よ綺麗じゃないか、蛍が光ってるよ」と、さこひめが言った。
 確かに辺り一面に蛍が光ってゆらゆらと飛び交っていた。
 あいちゃんはやっと顔を上げて蛍を見た。
「ほんとだ、キレイ!」
「綺麗だけどね」と、小雪がお軽の耳元で密やかに囁いた。「河太郎のいたずらさ、こんな汚い隅田の河に蛍なんか棲めるもんか」
 小雪の囁きが聞こえなかったのか、お軽も蛍に喜んで、飛ぶ蛍と戯れだした。
 辺りを見回すさこひめ。
「おや、おまあばあさんの姿が見えないね」
「今夜もかい、ひさ火もけち火も付き合ってるみたいだね」と小雪。
 
 林の小道を急ぐ若い娘がいた。
 数人の不良が後をつけてていた。
 気配を感じた娘は歩みを早め、やがて小走りに走り出した。
「極上の獲物だ。逃がしちゃならねえ」と、不良達も走り出した。
 大木の陰から突然現れるおまあばあさん。
「おまあらの母じゃ」
 驚いて立ち止まる不良達。
「おまんらの母じや」
「ふざけた事抜かすな。俺っちのおっ母は、・・・男と逃げた」
「おいらは自慢じゃ無いが孤児だ」
「俺のお袋は二日前におっ死んだ」
「おまあらの母じゃ」
「おい、こんなきちがい相手にするな」
「そうだ、急がなくては逃げられてしまう」
 不良達はおまあ婆さんを残して、娘の後を追いかけた。
 遠ざかる不良達に呼びかけるおまあ婆さん。
「おまあらの母じゃ!」
 なぜか嬉しそうに微笑んでいるおまあ婆さん。

 急ぐ不良達の前に二つの人魂が現れて、おいでおいでとばかりに墓場のほうに誘う。
 ジャンジャンジャラ、どこからともなく不気味な三味線が聞こえて来た。
 怯んで竦む不良達。
 人魂はだんだん数が増えて行く。
「てやんでえ。人魂なんか怖くねえぞ! だよなあ」
「あたぼうよ。人魂が怖くて浅草で悪さなんて出来るか」
 不良達はだんだん元気を取り返します。
「かまうことはねえ! とっ捕まえて見世物小屋に売り払っちまおう」と、匕首を抜き放って人魂に飛びかかって来た。
 これには、人魂のむさ火とけち火の方が怯んで姿を消した。
「ざまあ見ろ!」
「さあ早く追いかけようぜ」
 娘の後を追う不良達ですが、残念無念、娘は我が家に逃げ込んでいました。
     2016年12月14日   Gorou