アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

なよ竹の まつろわぬ者への哀歌

2016-12-24 07:55:03 | 反戦
なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節は ありとこそ聞け

 西郷千惠子の辞世の句である。意味は、「なよ竹のように、風にまかせて揺れ動く女の身だが、なよ竹のたわまない節のように、私も節義に殉じてみせる」
 西郷と言っても隆盛ではなく、会津藩家老の頼母の妻です。
 会津戦争が激戦となり、新政府軍がいよいよ若松城下へ侵攻してきたことで、西郷千重子は5人の娘や義母、義妹ら21名とともに自刃しました。会津戦争における痛ましい秘話です。
 明治維新で会津藩と家臣団の置かれていた状況を、完全に把握していない私には少し理解出来ません。いかにも日本人好みの話ではありますが。
 少し考えて見ましょう。
 そもそも会津藩の置かれていた東北地方は、古代より「まつろわぬ」邦であり続けた地方です。今も変わりません。東日本大震災の未曾有の災害にも負けぬ気概を持っています。堂々と東北弁を誇り高く話します。
 その「まつろわぬ」者の気概が会津藩と、その女性達にも根を下ろしていたに違いありません。故に、西郷千惠子は一族の女性達と共に散りゆく花となつたのです。
 一日こそ人も待ちよき長き日を 
この万葉歌を彼女達に捧げたいと思います。
    2016年12月24日 Gorou

戦争は犯罪か?

2016-12-16 03:54:07 | 反戦
「戦争は犯罪ではない。戦争法規があることが戦争の合法性を示す証拠である。戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も戦争自体が非合法なら全く無意味である。国際法は、国家利益追及の為に行う戦争をこれまでに非合法と見做したことはない」
これは東京裁判(極東国際軍事裁判)で、アメリカ人弁護人ベン・ブルース・ブレイクニーが弁護側反証の冒頭で語った物です。
 つい最近、NKKで東京裁判が放映されました。四部作からなる大作でした。
 私が眼を覆いたくなるほど驚いたのは、取材に基づいた再現だという良いわけがましい一言が付いていた事です。このような歴史上重要で有名な事象をワイドショウ並の再現ドラマのように扱う意図はどこにあったのでしょう。むしろ、フィクションとして描くべきです。
 NHKの東京裁判の主人公はオランダの判事レーリンクですが、彼に密着した訳で無く、大勢の判事団を登場させた群像劇になっていました。その為、主人公が登場する度に紹介テロップを付けざる得なくなり、極めて内容とテーマの掴みづら代物になっていました。
重ねて断言します、東京裁判をフィクションとしてなら兎も角、薄っぺらで中途半端な再現ドラマとして制作するのは間違っています。
 考えて下さい。判事達が導き出した被告達への求刑とその理由が正義として記憶されて終います。若い方々が見た場合その懸念は顕著に成ってしまいます。日本やナチスドイツが起こした戦争は犯罪で、アメリカの起こす戦争は正義。というような事が刷り込み、集団催眠が起こったら大変です。今後が思いやられます。
 裁判というのは、裁判長を含む判事団、被告、被告を糾弾する検事団、弁護団ず揃って初めて成立します。判事側だけから見た再現ドラマ、私は禁断の果実だと思います。

 ブレイクニーの東京裁判での反証の続きを見てみましょう。
「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからである。つまり合法的人殺しである殺人行為の正当化である。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。
(以下の発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語の速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった)
キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」
 アメリカ陸軍出身のブレイクニーの勇気ある発言でしたが、虚しくも無視されて終いました。

 では、何故アメリカは原爆を投下したのか? 及ばずながら検証して見ましょう。
 まず、当時の状況です。ソ連が参戦したのが八月八日(アメリカはヤルタ会談でこのことを知っていました)、広島への原爆投下が十日です。アメリカが戦争終結を早めるためにという良いわけは通用しません。
 広島に次いで長崎にも原爆は投下されました。当に留めを刺したのです。
 原爆など使わなくても、ソ連が参戦した時点で、日本の無条件降伏は見えていましたし、戦争終結の為の内閣も組閣がすんでいました。ただし、終戦が十五日より遅くなったのは(おそらく一二週間)は確かです。それは、日本列島が東西に分割される事も意味していました。朝鮮半島やベトナムのようにです。
 アメリカはそういう事態を怖れていました。原爆はソ連にその威力を見せつける意図があったのかも知れません。
 アメリカ政府は、第二次時世界大戦のその後をみていました。ソ連を初めとした共産諸国との死闘をです。アメリカには民主主義国家としての日本の再生は不可欠だったのです。
 朝鮮戦争、ベトナム戦争、・・・以後の歴史が何よりも雄弁に物語っています。
 決して欺されてはいけません(わたしの発言もふくめて)。自分で調べて、自分で考えて、戦争が犯罪なのか? どうしたら戦争の無い地球を実現出来るのか。誰かが始めなくてはいけません、その最初の一人にあなたが成る事を祈っています。
2016年12月16日   Gorou

虐殺のメロディ

2016-12-11 02:25:10 | 反戦
パサジェルカ [DVD]
クリエーター情報なし
紀伊國屋書店

 どんなに虐げられようと決して屈しない女囚と、彼女を支配しようとする女性看守。
大戦中のアウシュヴィッツを背景とした密度の濃い心理ドラマの傑作。

アメリカで結婚したリザ(シュロンスカ)は、豪華客船に乗って、戦争が終わってから初めて故国ドイツへと向かっていた。最後の寄港地イギリスの港で、1人の女性がタラップを上がってきた。そのとき、リザにいまわしい過去の記憶が甦り、突然取り乱してしまう。心配に思った夫にリザは一度は葬ったつもりのアウシュヴィッツでの過去を語り始める……。

撮影を終える前に交通事故死したムンクの作品を、友人たちが残されたフィルムで編集し完成させた。
 アマゾンホームページより

 大量虐殺、嫌な言葉で、不愉快な響きで満ちていますね。
 貴女は誰が一番虐殺したか知っていますすか? きっとヒトラーと答えるし、そう思い込んで居ますよね。残念ですが違います。ヒトラーは第三位(千七百万人)に過ぎません。二位がスターリン(二千三百万人)で一位が毛沢東(七千八百万人)だそうです。ヒトラーのユダヤ人虐殺はおぞましき歴史ですね。残虐性は言葉では語り尽くす事など出来るでしょうか? 皆さんはアンネの日記とかシンドラーのリストで良くご存じと思いますが、ナチの捕虜収容所を扱った映画では、私は未完のアンジェイ・ムンクの【パサジェルカ】を断然お勧めします。中々再販されず、かなりのプレミアム価格になっていますが。それだけの価値のある作品です。
 いったんナチから離れましょう。毛沢東とスターリン、彼等はヒトラーと違って同一民族の虐殺ですから罪がより深いとも考えられます。罪と罰、罪は必ず罰せられるとは限りません。ヒトラーは自殺、ナチは裁かれましたが、毛沢東とスターリンは英雄です。昔から良く言われていますよね、沢山殺せば殺すほど英雄になれる。こんなのは精々十九世紀までの格言です。
 裁かれなかった虐殺、一杯有りますよね。
 四面楚歌と虞姫で有名な楚 の覇王項羽は秦の捕虜二十万人を新安で謀に寄って生き埋めにしました。項羽軍は十万人で、武器が無いとは言え二十万人の秦軍を怖れた為です。項羽には同国人を虐殺したと言う自覚は全く有りませんでした。しかし、ある意味でこれが命取りになり、漢の劉邦に滅ぼされてしまいます。一応は罪を償った事になるのかも、いいえこれは因果応報と言うべきかも知れません。紀元前の話です。
 いちいち取り上げていては切りが有りませんので、後二つだけお付き合い下さい。
 千九百四十一年、ポーランドのカティンの森で二万二千のポーランド将兵が虐殺されました。当然ナチスドイツの仕業とされていましたが、戦後次第に真実が明らかになって行きます。
 ドイツがポーランドに戦線布告すると、ソ連もポーランドに侵攻しました、
 ポーランドは南北から挟み撃ちにあったのです。戦うと言うより逃げるようにしてポーランド軍は右往左往するばかり。そんな中、三万もの高級士官を含む将兵がソ連の捕虜に成りました。
 カティンの森の虐殺事件はソ連説、ナチ説とに分かれていました。当然お互いを非難していましたが、ナチの敗戦でソ連の主張のみが残りました。
 戦後、西側諸国も調査に乗り出し、少しづつ真相が明かされて行きますが、ソ連が真実を認めたの1990年4月13日です、ソビエト国営のタス通信はカティンの森事件に対するNKVDの関与を公表し、「ソ連政府はスターリンの犯罪の一つであるカティンの森事件について深い遺憾の意を示す」ことを表明した。しかし、スターリンの犯罪の一言でかたづけられ、誰も罰せられず、罪を問われる事も無かったのです。
 私たちの身近で遙かに痛ましい事件が有りましたよね。原爆投下です。あれは誰がなんと言おうと虐殺そのものでしか有りません。誰も責任を取らず、罰も受けず、非難すら遠慮がちです。
 そんな日本が原子力の平和利用と称して原子力発電に励むのは理解できません。
 この話は考えるだけで吐き気がして遣り切れません。
2016年12月11日    HGorou