ふーちゃんの 小窓

 思いのまま・感じるままを
 ページに綴っていきたい・・・

母の命日 病に伏しても 母は兄妹の心に宿る

2024-04-20 14:04:25 | 日記

毎年 4月19日には 心には母がいます

お墓に 花を抱えていきました

 

毎年 母の想いを 4月のブログに登場します

そして 古いブログに訪れる 

○○さん方が 開いて下っていました

懐かしさで 昨年のブログに触れました

 

殆ど当時のままを ここに載せることにしました

 

☆^^^☆^^^☆^^^☆^^^☆

母を想う

4月19日 母が他界して74回忌を迎える

兄は中学1年生 妹は小学3年生

ふーちゃんは小学5年生

3人が進級したばかりの4月です

 

市内にいる妹と お墓参りに行きました

妹宅では 幼い頃の話しが 途切れることもなく

次から次につながります

涙を浮かべたり 笑ったりです

 

↑を訂正します

妹は地域の行事があり

一緒に行けず とても 悔やんでいました

 

お墓の帰りに 寄ることにしたのです

 

♪^^^♪^^^♪

苦労の 全く経験のない 

生活環境が一変したのは

終戦で引き揚げてきた 後の生活

 

それは酷いものでした

 

戦争さえなかったらと・・・

皮肉にも 思う時期がありました

 

ヨレヨレの写真があります

 

兄 母 妹 ふーちゃん

天津の 写真館にて

 

右端が母 そして兄です

左端に父 妹と ふーちゃん

 

母の妹の 結婚式の写真だと聞かされていました

妹とお揃いの 淡いピンクの

レースのワンピース

 

ソックスと 皮のサンダル

 

幸せな天津時代でした

 

母の弟も一緒ですね

天津の 写真館にて

 

妹が生まれて 間もないのですね

父に聴いていたら良かった!

おふたりは存じません ご近所の方?

 

怒られているのですかね 

知れったんしているふーちゃん(笑)

天津の自宅にて

 

母は 引き揚げて 間もなくして 病に倒れ

高さのあるベッドに 寝ている母

それが 母の姿でした

病の末に 若い命を終えました

 

母のお墓で 語りつくせない 今はあります

 

幼い私たちを 残して逝く母

どんなに辛かったかと 知ることです

 

私たちが もう少し成長していたら

大事に大事に してやれたのにと!

 

33歳の命

運動会 遠足 母のぬくもりは知りません

 

兄妹の手をひとつにして

母は「ひとりでできない事は 2人で

   2人でできない事は 3人でやっていくのよ」

細い母の手を絡めて 3人は泣きじゃくっていました

間もなく ぐったりと手が離されました

 

母の命は 私たち兄妹に分け与えているのでしょうか

 

兄妹は とっくに80代半ばです

 

「お母さん おかあさん かあちゃん」

甘えていたい時期は 少なかったと思いますね

 

兄妹3人 ここ迄辿り着きました

 

まだ 僅かの命はありましょう

 

お母さん守ってください。

 

ーーーーー

ご迷惑な ブログになりました

スルーしてくださっても構いません

申し訳ございません。

コメント
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