新しい沖縄県知事は、親指を突き立てるポーズでスタートを切った。
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産経新聞 提供 沖縄県の翁長雄志知事の告別式に参列後、記者団の質問に答える鳩山友紀夫元首相(右)=8月13日午後、那覇市の大典寺
9月末の沖縄県知事選に勝利した玉城(たまき)デニー氏は、10月4日に初登庁した。玄関で花束を受け取り、職員や県民が拍手する中でエレベーターホールにたどりついた玉城氏は笑顔だった。記者団から抱負をたずねられると、何も言わず親指を突き立てた。
集まった記者団からは「あんなことする知事なんて珍しい」との声も上がったが、そんなことはない。親指を突き立てた首相もいた。
鳩山友紀夫元首相だ。
首相も親指ポーズ
平成22年6月1日、鳩山氏は国会内で民主党の小沢一郎幹事長(当時)、輿石東参院議員会長(同)との3者会談に臨んだ。鳩山氏はこの場で首相辞任を迫られ、翌日に鳩山内閣の退陣を表明している。だが、3者会談の直後に記者団から「続投ですか」と問われた鳩山氏は、笑顔で親指を突き立てただけだった。
玉城氏が鳩山氏を連想させるのは、親指だけではない。玉城氏が国政進出を果たしたのは、鳩山氏率いる民主党が大勝した21年8月の衆院選だった。
選挙で鳩山氏は、沖縄県宜野湾(ぎのわん)市の米軍普天間飛行場移設について「最低でも県外」と公約したが、政権発足後に迷走し、一度は否定した名護市辺野古への移設計画に回帰した。
これで県民の反基地感情に火が付き、26年11月の知事選で翁長雄志(おなが・たけし)前知事が共産党や社民党、労組などの「オール沖縄」の支援を受けて当選するきっかけとなった。
玉城氏は翁長氏の後継候補として当選した。
鳩山氏の存在なくして玉城氏の当選はなかったかもしれず、鳩山氏は玉城知事の「生みの親」といえる。
台風とともに去りぬ
知事選の終盤では、鳩山氏の沖縄入りも計画された。
鳩山氏は9月28日から29日まで沖縄県を訪問し、玉城氏の応援演説を行う予定だったが、結局実現しないまま終わっている。
「鳩山さんは『台風とともに去りぬ』だ」
経緯を知るオール沖縄系の県議はこう語る。
鳩山氏周辺も、29日に沖縄県に最接近した台風24号の影響で、断念せざるを得なかったと説明する。
元首相の沖縄入りは、もろ手を挙げて歓迎されたわけではない。
鳩山氏は首相辞任後、再び辺野古移設反対に転じたが、玉城陣営の県議は「そんなことを知っているのは一部の人だけ。
ほとんどは県民を裏切った人っていう感じでしょ」と語る。
陣営幹部でさえ、鳩山氏の沖縄入り断念について「そういう話もあったが、丁重に断ったと聞いている」と語る。
鳩山氏は沖縄での応援演説を諦めたが、ネット上では元気だった。
自身のツイッターでは、玉城氏の対抗馬、佐喜真淳(さきま・あつし)前宜野湾市長をたびたび攻撃し、側面支援を試みた。
ところが、玉城陣営にとってネット上での支援もありがた迷惑だった。
「玉城デニー候補も佐喜真候補も翁長さんの後継と名乗っている不思議な沖縄県知事選挙。」
「昨日8千人集めた玉城デニー候補の決起集会に翁長樹子夫人が『頑張りましょう』と呼びかけた。」
「これでどちらが嘘をついているかが明らかになった。」
「嘘を平気でつくような人間を県民は選ぶはずはないと信じている」
9月23日、鳩山氏はツイッターにこう投稿した。
しかし、佐喜真氏が翁長氏の後継候補を名乗ったという鳩山氏の主張について、沖縄知事選期間中にファクトチェックを行ったウェブメディア「ジャパン・インデプス」は「誤り」と認定した。
県幹部の問題答弁
玉城氏自身は、鳩山政権の普天間飛行場移設をめぐる迷走をどう総括しているのか。
当選から一夜明けた10月1日のインタビューでは「あのときは、鳩山さんが外務官僚に偽の文書をつかまされた」と語っている。
つまり、悪いのは鳩山氏ではなく、官僚だったというわけだ。
しかし、玉城氏を支える県庁の官僚が信頼に値するかどうかは判断がつきかねる。
基地問題を担当する池田竹州知事公室長は10日の県議会米軍基地関係特別委員会で、辺野古に2本の滑走路を建設する現行計画について「V字案については、地元の合意などは取られたものではない」と答弁した。
18年4月、名護市長と宜野座(ぎのざ)村長はV字案について基本合意書に署名している。
稲嶺恵一知事(当時)は後の記者会見で「賛成していない」と発言したが、同年5月にV字案を基本とする対応に「合意する」とした基本確認書に署名した。
当時の名護市副市長として内情を知る末松文信県議は、池田氏の答弁を聞いて
「それはちょっと違うんじゃないの。そんな発言していいのか」
と問いただしたが、池田氏はそのまま答弁を続けた。
今年4月に公室長に就任した池田氏は、以前に基地対策統括官や辺野古新基地建設問題対策課長も務めている。防衛省幹部は「池田氏が当時の経緯を知らないはずがない」と憤る。
玉城氏は普天間移設に関する協議を政府に申し入れている。
しかし、実務を担う県幹部が過去の経緯を無視した対応を続けるのであれば、政府が協議に応じるのは難しい。
政府との協議が不調に終わったとき、玉城氏は「あのときは県の役人が駄目だったから」と弁明するのだろうか。(那覇支局長 杉本康士)
以上