ゆのひらんおばちゃん Part3

創業70年の土産屋を 2023年3月末で閉めました。『夫婦で余生を どう生きるか』を模索していきます。

一週間遅れの誕生日会

2024-05-30 | イベント
一週間前が誕生日で アラセブンティになりました。アラ古希です(本来は古稀ですが、常用漢字に無いので古希と書かれることが多いそうです)


その日は雨で出掛けられなかったので 買い物がてら 今日になりました。

街に着いたのが ちょうど 三時のコーヒータイムだったので 夫が
『コーヒーでも飲むか』で
コメダコーヒーに寄りました。

『なんでも好きなものを どうぞ』と言われても たかが知れてます。ケーキを 半分こする 後期高齢者とアラセブンティの夫婦。



回りを見れば 高齢者が おしゃべりにふけっていたり、パソコンを一心不乱に打つビジネスマンがいたり…

小芝居をして
『私が払いましょうか?』と あえて言うと

『いや ここは俺が払う』と。
(ここだけじゃなくて すべて あんたが払うんじゃい)


その後 大好きなハンズマンに行って 苗、土、木製の柵、白ペンキなどを求め 帰途につきました。

途中 スーパーで 夫が歳の近い知人に出会い、お互い齢をかさねたなぁ…と。

致し方ない現実です。


ともあれ お互いの誕生日を祝う外出を何回も続けたいものです。

誕生日と母の命日

2024-05-23 | イベント
奇しくも 私の誕生日と実家の母の命日が一緒です。七年前の今日です。去年は姉夫婦とささやかな法事をしました。

予定では 夫と阿蘇の納骨堂に参り、道の駅巡りか 又はどこかでランチしようと話していましたが 天気が悪いのと、私の喉にエヘン虫が発生したので延期となりました。咳が止まりません。

よって 夕食は手作りの『豆腐ハンバーグ』と『ローソンの冷凍ヒレカツ』のワンプレートと これで乾杯しました。可愛いもんです。


お仏壇には バナナとバウムクーヘンと、庭から むりくり 葉や花を採ってきて 洋風な お荘厳です。気は心です。




アラセブンティになり、歳をとったせいでしょうか、昔のことを懐古してしまいます。特に亡き母のことです。

昭和三十年前後に姉と私が産まれました。当時は社宅に住んでいました。

七輪で『塩サバ』や『とうじんぼし』をよく焼いてくれました。『サンマ』を食べた後、残った骨をカリカリに焼いて食べさせてくれました。おかげで今でも骨は丈夫なようです。

当時、肉は高価でした。我が家の肉といえば 安い『ホルモン』でした。七輪に炭をおこし、ジンギスカン鍋のようなドーム型の鍋で焼いていました。

私は幼くて ホルモンが気持ち悪かったのですが、大人になって姉から『一番安いホルモンを固まりで買って お母さんが 一生懸命処理をして食べさせてくれたんだよ。高い肉は買えなかったんだよ』と聞きました。幼い私は そんなこととはつゆ知らず『気持ち悪い』などと…ごめんなさい。

『たれ』も母の手作りでした。リンゴや玉ねぎを すりおろしていた記憶があります。

母は高齢になってもホルモンが好きでした。車椅子で焼肉屋さんに連れて行ったものです。


食べるものも豊富ではなかった社宅時代は 畑を借りて野菜を作っていました。人様方のお茶摘みを手伝う代わりに、茶の葉を少しわけてもらい、鍋で炒った茶葉を 手を真っ赤にして揉んでいた姿を思い出します。熱かっただろうね。

山や野に行き わらび、ぜんまい、うど、タラの芽を探し、田んぼで芹を取り、野いちごでジャムも作ってくれました。

たくあんや白菜漬けや高菜漬けも自分で作り 古い高菜漬けを塩抜きし 油で炒めた母の味は忘れられません。

大豆を一晩水につけて ふやかし、茹でて 半分は豆乳、半分は味噌汁に入れて『ご汁』を作ってくれました。

小豆を茹でて 布で濾して こし餡を作り、おはぎも手作りでした。昔の親は既製品ではなく ほとんどが手作りでした。

にんにくと卵の黄身を練り合わせ小さく丸め乾燥させる『にんにく玉』は 栄養を考えてくれたのでしょう。

手作りのキャラメルは一個一個 赤や黄色のパラフィン紙で包み可愛く仕上げてくれました。母の性格や所作は姉に引き継がれました。

梅や クコの実をザラメと一緒に焼酎に漬け込み これは大人用ですが、3歳くらいの私が甘い梅酒を 原液で飲んで大変なことになったのも思い出です。

洗濯機が無い時代は 山から湧き出る清流の川で洗濯をする母のそばで水遊びする私。冷たくて すぐあがります。あんな冷たい水で洗濯していた母。

昔は姉と私の洋服は ほとんど手作りでした。足踏み式のミシン たぶん捨てたと思われますが、残しておきたかったな…今は 裁縫箱が手元に残っています。


子供に手がかからなくなると 近くの病院の厨房で働きはじめ、早出をしながら 弁当を作り、高校生の娘二人を 朝一番の列車に送り出してくれました。送り迎えは たいていは父でしたが、母のこともありました。おかげで 高校は皆勤賞でした。

家を建て社宅から卒業し、父の退職後、また家を建て引っ越しました。 その後は両親とも病気の連続で入退院が続きました。看取るまでの生活が姉と私の親孝行でした。

今思うと 私の子ども時代の母は、苦労の生活でしたが、子供にそれを感じさせませんでした。幼い私は それが普通の生活だと思っていました。

母の日や誕生日に プレゼントする母親は 私も夫もいません。寂しいですね。

誕生日は母を偲び、母に感謝する日です。

長々となりました。歳をとった証拠です。















nicoドーナツ

2024-05-22 | イベント
『湯平温泉まつり』に駆け付けてくれた湯布院のnicoドーナツさん。湯平の旅館の次女さんの店です。

今回は初めて 可愛い『キッチンカー』で登って来てくれました。いつも大人気です。デザインも素敵です。ナンバーも25(nico にこ)です。




奥の方では地元の出店があったようです。真ん中にはイオンの販売車が来てくれました。


じぃじが孫のためにドーナツを買ってきてくれました。売り切れになる勢いだったそうです。夏バージョンのひんやりしたタイプのドーナツでした。


皆様 出店ありがとうございました


第145回 湯平温泉まつり②

2024-05-22 | イベント

お湯の恵みに感謝する温泉祭りですから 献湯祭(けんとうさい)が必須です。

コロナ時でも 他の行事はしなくても 献湯祭は行われました。読経の後 焼香もあります。




献湯祭の後は 湯布院自衛隊の音楽隊の演奏です。毎年必ず来てくれます。これまでは 石畳を演奏しながら登るのですが、今回からは 舞台で演奏をしてくれます。

午後からは全国的にも有名な『ゆふいん源流太鼓』が始まりました。下部組織の『ゆふいん源流子供太鼓』は3月に埼玉県であった第26回日本太鼓ジュニアコンクールで優勝・内閣総理大臣賞を受賞し日本一になりました。

下流の橋本橋にトラックから太鼓などを下ろして舞台まで坂道を運びます。

その手際の良さは キビキビして礼儀正しく 心が洗われます。

舞台上でも同じことが言えます。感動します。


その後 『Mr.シュガー変面ショー』が行われましたが、すみません写真がありません。湯平の旅館の女将さんの弟さんと聞いています。


その後 子ども30組限定の『大宝釣り大会』は申し込み順です。じぃじ が申し込んでくれて、ギリギリセーフでした。

くじを引く前にラムネを飲み干さなければなりません。子どもには苦行です。その時は兄弟姉妹や親御さんが代わって飲みます。

うちの孫はお兄ちゃんが飲んでいました。



ラムネを飲み終えたら 紐を引きます。100円から1万円くらいのお宝がありました。去年は結構 良いものが当たりましたが、今年は花火とスライムでした。



最後のプログラムは『湯平子供神楽』です。湯平子供神楽は大人が子どもに、先輩が後輩に、お兄ちゃんが弟に指導し、町内のイベントにひっぱりだこです。

題目は『大蛇退治』で、二匹の大蛇が出て壮観です。



最後は区長の代理で観光協会長の挨拶で終了しました。

…と すべて見ていたような表現ですが、写真や内容は夫と娘からの情報です。

夫は 商売を辞めて観光協会も抜けましたが 『ゆのひらんプロジェクト』の一員として協力しました。

私は人波に酔い(笑)夫は いろんなことで(?)疲れたそうです。

プログラムは減り、賑わいも少なくなりましたが、祭りを続けられることに感謝しなくてはなりませんね。















第145回 湯平温泉まつり①稚児行列

2024-05-20 | イベント
5月19日、朝は曇り空でしたが、第145回湯平温泉まつりが始まりました。

プログラムは




朝の10時に花火の号砲で祭りがスタートです。いつも この音にびっくりします。

10時の釈迦稚児行列からスタートです。

(今年のご案内ですが、写真は去年のものです)




①釈迦稚児行列
地域のお寺の住職を先頭に 稚児~お釈迦様~市長他 地名士の方々が会場に向かって しずしずと石畳を登ります。今年の お稚児さんは7名で、ほとんどが外孫さんや 下湯平のお子さんです。

うちの孫女も大分市から二回目の参加です。着付けのお姉さんから『先頭を歩いてね』と言われました。今回が最後の参加になります。



飾られたお釈迦様を持つ人が決まっていないので 夫が慌てて 近くにいた保護者や見学者にお願いして持っていただきました。皆様 快く持って下さいます。



昨年はお釈迦様を三人で持ったので お釈迦様が前から見えなかったという反省をもとに 今年は四人で持ちました。あくまで お釈迦様が主役です。


出発です。


市長をはじめ地名士が続きます。



家族が後を続きます。


足元は享保年間に作られた石畳です。



私は孫女を見送って帰るつもりでしたが、走って行った お兄ちゃんが『ばぁばも行こう』と戻ってきました。



孫を杖にして、会場まで付いて行きました。

石畳を登ると 久しぶりの方々に声をかけられ、その度にストップしてお話します。お兄ちゃんは ずっと待ってくれます。
『ばぁばは おしゃべりだな』と思っているでしょう。

舞台と献湯祭会場に着きました。



今年から場所が変わりました。稚児の集合写真を撮り、稚児は解散です。稚児行列の参加者は写真が外に出ることを了承されています。



その後 解放され(笑)お着替えします。


参加のご褒美のお菓子をいただいてゴムまりのように帰ってきました。

稚児行列も入学前のお子さんが対象ですから 孫も今年が最後です。参加してくれてありがとうね。