ワンコ生活スタート

家族三人と元保護犬ソニアの生活の記録

図太くなってきました😊

2021-02-25 15:00:05 | 日記
ソニアくん、最近、二日に一回のお手入れの時、
最後にするマッサージが大好きで、終わってもなかなか立とうとしてくれません😌

そして、今日は、気持ちが落ち着いていたのか、お手入れの最初から、どべ~んと、横になってしまいました。

え?
戸惑う飼主・・
緊張してないの?

まだ、歯磨も爪切りもしてないのに😰

ずいぶんと、大胆になりました。

結局、横になったまま、歯磨と爪切りをしましたよ。
いつもは、緊張でお座りの姿勢になってしまうのに、びっくりです😌

ソニアくん、今日は、終始堂々としてました✨✨


ちょうど1年前の今ごろ、ケージの外で初めてオシッコできたよ!って、喜んでいたのがウソのようです。

毎日毎日、少しずつ、お互い頑張ってきたね~


先日、息子も初めてケージの外のソニア(半身ですが😅)をさわれました。



息子にもマッサージをしてもらいました❤
気持ちいいね😄


今朝、ホームベーカリーで初めて作ってみたソイスコーン、レシピ通りに作ったのに、まずくて、まずくて💦😢

二度と作らないぞ!と思っていて、一応、ソニアにもあげてみたら、ペロリと食べてくれました😋

きな粉の香りが、気に入ってくれたのかな?!

また作ってしまうかも😌

気持ちが声に

2021-02-19 10:15:23 | 日記
夜のトレーニング(おやつ)タイムが終わると、スキンシップの時間を設けています。以前は私が寝る前に行っていたのですが、ソニアの睡眠を妨げてしまっているようだったので、最近はトレーニングの後に行っています。

1日頑張ったことを褒めて、撫でたり、マッサージしたり、10分くらいです。

私は、うつ伏せの状態になって上半身をケージに入れ、ソニアに顔を近づけます。
ソニアは、これについて、どう思っているのかな? 顔を近づけられてうざいと思っているのではないか等と、今まで内心、不安でした。

でも、昨日の晩のこと

トレーニングが終わってから、私は、5分くらいついスマホに気を取られてしまいました。
すると、クンクンキューンと鼻を鳴らしてこっちをケージからジーとソニアが見ているではありませんか!!!

もしや、これは、私を待っているのかい??

もう、嬉しくて嬉しくて

食べ物ではなく、単純に、明確に、私を求めてきてくれたのはこれが初めてだったので、本当に感激でした頑張ってきて良かったです!

毎日、かなりきつい態勢で行っているので、腰が痛くなりますが、これからもうざいくらいベタベタしてしまおうと思いました😁

こうやってソニアが色々な気持ちを少しずつ表現できるようになってきていることも本当に嬉しく思います😊


先日、試供品のワンチュールを初めてにしては上手に食べてくれました。


犬食の本、
昨日図書館で借りてきて、早速読んでみました。
犬のNG食材さえ避ければ、意外と自由に作ってよいということが分かりした
タンパク質・野菜・穀類の比率は、1:1:1だそうです。


昨日は、本に記載してあった食材のひじき、青のり、ごまもトッピングしてみました!!


どうかな?と思ったけど、完食です!!(写真が暗くてすみません)

そして、昨日の夜は、生の果物も初体験しました🍌
私がバナナを食べていると、恨めしそうに見ていたので、あげてみると、むしゃむしゃしながら食べてくれました

それから、今朝、ソニアの便のにおいが、あまり臭くなかったことにもびっくりしました。海藻の効果かな?!

パクっ😋ていい音

2021-02-17 12:13:23 | 日記
細長い棒状ガムの周りにササミが巻いてある”ササミ巻き”がお気に入りのソニアくん、夜のトレーニング(おやつ)タイムの最後にあげています。



ソニアは、今までそのササミ巻きを、私の手から取ることができなかったり、お口で上手く咥えることが出来ず落としてしまったりetc. 結局ササミ巻きをGETできないままケージに戻ってしまい、私は、仕方なくケージにいるソニアの足元に置いてあげていました。

そんなソニアでしたが、この2日間は、なんと私の手からパクっと咥えて、余裕でケージに歩いていくことができるようになりました✌

阿吽の呼吸というか、息が合っているというか、
差し出すとパクっと音がして、私は何ともいえないとても良い気分になります✨

こんな動作、犬なら当たり前にできると思っていました。
でも、棒状のものを今まで咥えたことがなかったら、難しいのかな?
恐怖や焦りもあったのかな?

赤ちゃんが、親指と人差し指で物をつかむ練習を何度もしてできるようになるように、ソニアも今まで、頑張ってきたんだなぁと、つくづく愛おしく思いました。頑張ったね😍



先日の写真
身体がケージから半分出ている状態のソニアを主人が触れたのは初めてです❤
maru-peaceさんのきららちゃんの記事にあったとおり、ほんとうに小さなことだけど、とても嬉しく、家族みんなを幸せにしてくれます
きららちゃんママ、早速記事を掲載してくださり、ありがとうございました。
勇気を頂きました!!これからもがんばります!!



僕一人遊び中です


ママさん、何見てますか?


ソニアを迎えて1年 心の整理 2匹の犬と私と家族 その2

2021-02-13 10:17:00 | 日記

サスケが子犬の時 縁側で幸せだった時

私が25歳の時、ついにその時がやってきてしまいした。
サスケは、2~3日食欲がない日が続き、散歩に行ってもほとんど歩けなくなってしまいました。
見かねて父が車で動物病院に連れて行くと、「フィラリアの症状が進んでいてもう助からないでしょう」「今夜が山場でしょう」と獣医さんに言われ帰ってきました。

私はそれを聞いて、愕然としました。「ああ、なんてことをしてしまったのだ。私のせいだ」と思いました。
以前にサスケは毛が長いので、蚊に刺されにくいと誰かから聞いたことがありました。私は、それを、サスケは毛が長いから大丈夫!!と自分の都合のいいように解釈していました。
少し考えれば、お腹や耳など毛の少ないところはあるのだから、蚊に刺されないわけがないと分かるのに・・・私の怠慢です。

それなのに、サスケは健気でした。ボニーちゃんと一緒で、ふらふらになりながらトイレまで歩いていこうとして、途中で動けなくなっていました。
サスケを寝床に運び、「サスケ、大丈夫だよ。もういいんだよ。ここでおしっこをしな」と言って、バスタオルを下腹部に当てると安心しておしっこをしました。

「なんて、いい子なんだろう。それなのに、私は・・・ごめんね、ごめんね」と心の中で何度も叫びました。

それでもなお私は、酷い飼い主でした。
サスケは、外飼いで、夜だけガレージに連れて行き、そこで寝かせていました。

その晩は、心配だったので、私は二階の自分の部屋ではなく、一階の畳の部屋で寝ることにしました。
私は、サスケをガレージで寝かすのではなく、部屋に入れてあげたいと思いました。でも、おしっこを部屋でしてしまう可能性もあったし、なにより父に「犬なんか家に上げて」と言われるのか怖くて部屋には上げられませんでした。

おしっこなんて拭けばいい、父になんて言われようとそんなこと気にせず上げてあげればよかったのに・・・

自分を守ったのです。

夜中に何度が様子を見にいきましたが、サスケは寝ていました。
私は、サスケが以前同じように具合が悪くなって翌日にはすっかり元気になっていた時のことを思い出しました。
だから、今回もまた元気になるだろうと、心のどこかで、自分の都合のいいように考えていました。

だからちょっとだけ油断して夜中の2時を過ぎると、それ以降朝まで私は眠気に勝てずサスケの様子を見にいけませんでした。
なんて薄情な飼い主なのでしょう。

それでもサスケは健気でした。
朝6時頃ガレージの扉を開けるとサスケが頭を上げてこちらを見てくれました。
「よかった。やっぱり元気になってくれたんだね」と思った瞬間、サスケは、力なく頭をおろし、目をつぶってしまいました。
まさか!!!「サスケ、サスケ」ガレージに飛び降り叫びましたが、もう目を開けてくれませんでした。

一晩中、本当に苦しかったろうに。早く楽になって天国に行きたかったろうに。
私のことを朝までずっと待っていてくれました。

「ごめんね、ごめんね」悔やんでも悔やんでも悔やみきれず、どんなに泣いてもサスケは戻ってきてくれません。ただ固く冷たくなっていくサスケを撫でることしができませんでした。
せめて最後の日だけでもいいから、サスケに寄り添ってあげることができていたらと・・後悔の日々が続きました。

家を新築して狭くなってしまった庭(とはいえない)から顔を出すサスケ


高齢出産でホルモンのバランスを崩したからだったのか、真面目に頑張り過ぎたのか、私は、産褥期うつにかかってしまいました。
その時、私は母に病気と認めもらえず、「それでも母親か」と罵倒され、随分辛い思いをしました。
それから周囲の協力を得ながら、だましだまし何とか生活していましたが、病気は、ますます悪化していき、遂に息子が2歳の時に私は入院することになりました。
私なりに、よい娘、よい母親になろうと頑張り過ぎてしまったのだと思います。
私はその時、入院なんかして、これ以上迷惑をかけたら夫に離婚されるだろうし、息子にも嫌われて忘れられると不安な気持ちでいっぱいでした。

でも、3ヶ月して退院すると、夫と息子は待っていてくれました。息子は、こんな欠陥だらけの母親でも何も言わず抱き付いてきてくれました。夫はこんなダメな妻でもいつも傍で支え続けてくれました。
「ああ、私には、私のままでも好きでいてくれる人がいるのだ」と、ようやく気がついた瞬間でした。気持ちが楽になりました。

サスケを亡くして以来、私は、また犬を飼うとは思っていませんでした。
大切な息子が犬を飼いたいと切望し、私もサスケへの罪滅ぼしにもなると思って、飼い始めました。もしかして、だから保護犬を選んだのかもしれません。
サスケ以上にソニアを沢山可愛がってあげようと思いました。

でも、ソニアは、サスケとは全く性格が違って、人懐なつっこいとは決して言えません。今でも私たちに100%心を開いてくれていませんし、抱きしめたくても抱きしめさせてくれません。

撫でさせてはくれるので、ソニアを撫でなていると、サスケのフサフサの毛の感触を思い出します。「ああ、サスケもいつも家族のそばで、こんな風に皆から愛されたらどんなに幸せだっただろう」と思ってしまうことがあります。そんな時、ソニアは、「僕はサスケの代わりじゃないよ。僕は僕だよ。ソニアだよ」とそっけない態度をとります。
ソニアは、まるで私の心を見透かして、試しているようです。

いつも傍にいてくれたサスケに私が救われたように、息子と夫にありのままを受け入れてもらい楽になれたように、私は、ソニアのありのままを受け入れ、いつもそばにいてあげたいと思いました。今回、このブログを書きながら心を整理してみて、そうすることがサスケへの恩返しと供養になると思いました。

私は、今まで、ペットを捨ててしまったりする飼い主の事を無責任だと非難してきました。でも、サスケの時の私たち家族も同様に身勝手で酷い飼い主だと思いました。ソニアを飼い始めて、ようやくその事に気が付きました。

ソニアを飼い始めて丸一年を迎え、もう、サスケの時のような過ちを犯さないためにも、今の気持ちを忘れず、自分の最善を尽くしたいと思いました。

すべての繋がりの中にあるソニアとの出逢い、大切にしていきます!

サスケとは全く違うソニアだけど、どんなソニアであってもとても愛おしいく、かけがいのない大切な家族の一員です。


因みに、父や母について、
本当に色々ありましたが、今はとても感謝しています。
いてくれて、本当にありがたい存在です。
人間ですから嫌いなところもありますが、好きなところも沢山あります(相田みつをさんみたいですね笑)。
完璧な人間なんていませんからね。
私も少しは、大人になったのかな?!
私の両親も姉弟も、大切でかけがえのない存在です。



長い文章を最後まで読んでいただいてありがとうございした。


亡くなった日に切り取ったサスケの毛が入っているお守り

ソニアを迎えて1年 心の整理 2匹の犬と私と家族 その1

2021-02-12 13:04:00 | 日記

ガレージでこちらを見るサスケ

以前実家でサスケという雑種のオスの犬を飼っていました。今回は、ソニアを飼い始めて2月11日で丸一年、よく思い出すようになったサスケについて書きたいと思います。

自分に酔っているのか?こんなことを書いてよいのか?私は真面目過ぎるのか?暇すぎるのか?色々考え迷いましたが、サスケへの謝罪と自分の心を整理する為に書くことにしました。

暗い内容で、長文になります。興味のある方だけ読んでください。誤字脱字があったら、すみません。


サスケが天国へ行って20年以上経ちます。亡くなって初めの5年位は、悲しみと後悔で、毎日のように思い出しては泣いていました。

でも、少しずつですが、悲しみも後悔も薄れていきました。

結婚して子供が生まれてからは、日々の生活に追われサスケの事を思い出すことも少なくなくなりました。時が癒してくれたのだと思っていました。

ところが、ソニアを飼い始めてからは、サスケの事を毎日のように思い出すようなりました。ソニアを大切にすればするほど、サスケに同じようにしてあげられなかった自分が許せなくなる時がありました。
「私はサスケの何を見ていたのか?」「こんな時サスケはどんな気持ちだったのか?」「私はなんて酷い飼い主だったのか」等々、色々考え、サスケに申し訳ない気持ちで一杯になります。

happybonnieさんのブログのボニーちゃんへの思いを読んで、サスケを亡くしてしまった時の記憶を鮮明に思い出しました。
ボニーちゃんの健気さと、happybonnieさんの気持ちが痛いほどよくわかり、しばらく涙が止まりませんでした。
悲しみは、時が癒してくれたのではなく、ただ私が封をして心の奥底にしまい込んでいただけかもしれないと思いました。

サスケに「ごめんね」って謝って抱きしめたいと思っても、どうにもかないません。
この世にはどうにもならないことがある。
それは、サスケを亡くして痛感したことです。
とても辛く切なく悲しい。

周囲の人は、「あなたは悪くないよ」「仕方がなかった」と言ってくれました。
今、夫は「時代のせいだよ」と慰めてくれます。
私も、もう20年以上も前のことなのに今更自分を責めなくてもよいとも思います。きっと私は馬鹿みたいに真面目なのでしょう。過去の事として忘れてしまえば楽になるし、辛いなら思い出さなせればいいと思います。でも、サスケの優しさに報いるためにも、同じ過ちを犯さないためにも、私は、この気持ちを忘れず、このブログに書き留めて、これからソニアとしっかり向き合っていきたいと思いました。


サスケは私が中学2年生の時に飼い始めました。

人懐っこくて、優しくて、賢くて、とてもいい子でした。
捨て犬だったようで、知り合いの人の家に迷い込み、しばらくそのお宅の先住犬と一緒に暮らしていました。その家の方が2匹は飼えないということで、サスケがまだ子犬の時に我が家で引き取ることになりました。先住犬としばらく一緒に暮らしていたので、しつけというものはほとんどしなくても、サスケは私たちを困らせることはありませんでした。

サスケとは、すぐに家族になれ、しばらくは、家族5人とサスケで楽しく(そう見えただけですが)暮らしていました。

ところが私が20歳の時、家を建て替えてから事態は変わりました。

家のことでの意見の食い違いや、お金の事とかもあったのでしょう、両親の仲が急激に悪くなりました。

そしてついに私が21歳の時、母と姉と弟が出て行きました。

私も荷物をまとめて一度は母と一緒に出て行ったのですが、サスケのことが可哀想でその日の内に戻りました。

「皆で家を出よう」と母から聞かされた時、私はすぐさま「サスケはどうするの?」と尋ねました。
母は「サスケは飼えないからここに置いていく」「サスケはいい子だから大丈夫」「父親が夜勤の時は、皆で、交代で散歩だけしてあげればいい」と答えました。
あれだけ「サスケの事が可愛い」「私に一番懐いている」と自慢気に言っていたのに、サスケも家族なのに、そんなことが言えるなんて、私は、とてもショックでした。また、「サスケは、大丈夫」だなんて、物事の解釈を自分の都合のいいように変えてしまう母が許せませんでした。(今思えば、母もそこまで追い詰められていたのかもしれませんが・・・)

引越の日は、父が仕事に行っているうちにみんなで一斉に荷物をまとめて出ていったので、一人で家に戻ると、人が誰もいなくて、家具もなくなっていて、シーンとしていました。でも、ガレージの扉をあけると、そこにサスケがちょこんといてくれました。

私は21歳とはいえ悲しくて涙が出てきました。「みんないなくなっちゃったね」と言うと、サスケはガレージの入り口で座って泣いている私の膝の間に顔を入れて立ったままずっとずっと一緒にいてくれました。サスケだって、荷物が運ばれていき、皆がいなくなって不安だったろうに、じっど黙って私に寄り添っていてくれました。

母たちは家から歩いて15分くらいのところに引っ越ししたので、その後、サスケを連れて遊びに行くことが何度もありました。サスケは、あんな酷い事を言った母に対しても、会うといつもと変わらず全身で喜んでいました。

そんな優しいサスケだったのに、当時OLだった私は、仕事をして、帰ってきて食事を作り、サスケの散歩まで行くのは、正直大変だと思ってしまうことが何度もありました。

「犬について無知だった」というより、知ろうとしなかった。サスケの健康を真剣に考えることをしませんでした。狂犬病の予防接種は、父が毎年連れていっていましたが、フィラリアの薬をもらいにサスケを動物病院に連れて行くことを私は怠りました。
父がサスケにそんなに愛情をもっていなかったのだから、自分しか連れて行く人がいないと分かっていたのに・・・・

アメリカへの語学留学に憧れていた私、サスケさえいなければ・・・と何度も考えてしまうことがありました。

それでもサスケはいつも私のそばにいてくれました。いつでも家で私を待っていてくれました。