サスケが子犬の時 縁側で幸せだった時
私が25歳の時、ついにその時がやってきてしまいした。
サスケは、2~3日食欲がない日が続き、散歩に行ってもほとんど歩けなくなってしまいました。
見かねて父が車で動物病院に連れて行くと、「フィラリアの症状が進んでいてもう助からないでしょう」「今夜が山場でしょう」と獣医さんに言われ帰ってきました。
私はそれを聞いて、愕然としました。「ああ、なんてことをしてしまったのだ。私のせいだ」と思いました。
以前にサスケは毛が長いので、蚊に刺されにくいと誰かから聞いたことがありました。私は、それを、サスケは毛が長いから大丈夫!!と自分の都合のいいように解釈していました。
少し考えれば、お腹や耳など毛の少ないところはあるのだから、蚊に刺されないわけがないと分かるのに・・・私の怠慢です。
それなのに、サスケは健気でした。ボニーちゃんと一緒で、ふらふらになりながらトイレまで歩いていこうとして、途中で動けなくなっていました。
サスケを寝床に運び、「サスケ、大丈夫だよ。もういいんだよ。ここでおしっこをしな」と言って、バスタオルを下腹部に当てると安心しておしっこをしました。
「なんて、いい子なんだろう。それなのに、私は・・・ごめんね、ごめんね」と心の中で何度も叫びました。
それでもなお私は、酷い飼い主でした。
サスケは、外飼いで、夜だけガレージに連れて行き、そこで寝かせていました。
その晩は、心配だったので、私は二階の自分の部屋ではなく、一階の畳の部屋で寝ることにしました。
私は、サスケをガレージで寝かすのではなく、部屋に入れてあげたいと思いました。でも、おしっこを部屋でしてしまう可能性もあったし、なにより父に「犬なんか家に上げて」と言われるのか怖くて部屋には上げられませんでした。
おしっこなんて拭けばいい、父になんて言われようとそんなこと気にせず上げてあげればよかったのに・・・
自分を守ったのです。
夜中に何度が様子を見にいきましたが、サスケは寝ていました。
私は、サスケが以前同じように具合が悪くなって翌日にはすっかり元気になっていた時のことを思い出しました。
だから、今回もまた元気になるだろうと、心のどこかで、自分の都合のいいように考えていました。
だからちょっとだけ油断して夜中の2時を過ぎると、それ以降朝まで私は眠気に勝てずサスケの様子を見にいけませんでした。
なんて薄情な飼い主なのでしょう。
それでもサスケは健気でした。
朝6時頃ガレージの扉を開けるとサスケが頭を上げてこちらを見てくれました。
「よかった。やっぱり元気になってくれたんだね」と思った瞬間、サスケは、力なく頭をおろし、目をつぶってしまいました。
まさか!!!「サスケ、サスケ」ガレージに飛び降り叫びましたが、もう目を開けてくれませんでした。
一晩中、本当に苦しかったろうに。早く楽になって天国に行きたかったろうに。
私のことを朝までずっと待っていてくれました。
「ごめんね、ごめんね」悔やんでも悔やんでも悔やみきれず、どんなに泣いてもサスケは戻ってきてくれません。ただ固く冷たくなっていくサスケを撫でることしができませんでした。
せめて最後の日だけでもいいから、サスケに寄り添ってあげることができていたらと・・後悔の日々が続きました。
家を新築して狭くなってしまった庭(とはいえない)から顔を出すサスケ
高齢出産でホルモンのバランスを崩したからだったのか、真面目に頑張り過ぎたのか、私は、産褥期うつにかかってしまいました。
その時、私は母に病気と認めもらえず、「それでも母親か」と罵倒され、随分辛い思いをしました。
それから周囲の協力を得ながら、だましだまし何とか生活していましたが、病気は、ますます悪化していき、遂に息子が2歳の時に私は入院することになりました。
私なりに、よい娘、よい母親になろうと頑張り過ぎてしまったのだと思います。
私はその時、入院なんかして、これ以上迷惑をかけたら夫に離婚されるだろうし、息子にも嫌われて忘れられると不安な気持ちでいっぱいでした。
でも、3ヶ月して退院すると、夫と息子は待っていてくれました。息子は、こんな欠陥だらけの母親でも何も言わず抱き付いてきてくれました。夫はこんなダメな妻でもいつも傍で支え続けてくれました。
「ああ、私には、私のままでも好きでいてくれる人がいるのだ」と、ようやく気がついた瞬間でした。気持ちが楽になりました。
サスケを亡くして以来、私は、また犬を飼うとは思っていませんでした。
大切な息子が犬を飼いたいと切望し、私もサスケへの罪滅ぼしにもなると思って、飼い始めました。もしかして、だから保護犬を選んだのかもしれません。
サスケ以上にソニアを沢山可愛がってあげようと思いました。
でも、ソニアは、サスケとは全く性格が違って、人懐なつっこいとは決して言えません。今でも私たちに100%心を開いてくれていませんし、抱きしめたくても抱きしめさせてくれません。
撫でさせてはくれるので、ソニアを撫でなていると、サスケのフサフサの毛の感触を思い出します。「ああ、サスケもいつも家族のそばで、こんな風に皆から愛されたらどんなに幸せだっただろう」と思ってしまうことがあります。そんな時、ソニアは、「僕はサスケの代わりじゃないよ。僕は僕だよ。ソニアだよ」とそっけない態度をとります。
ソニアは、まるで私の心を見透かして、試しているようです。
いつも傍にいてくれたサスケに私が救われたように、息子と夫にありのままを受け入れてもらい楽になれたように、私は、ソニアのありのままを受け入れ、いつもそばにいてあげたいと思いました。今回、このブログを書きながら心を整理してみて、そうすることがサスケへの恩返しと供養になると思いました。
私は、今まで、ペットを捨ててしまったりする飼い主の事を無責任だと非難してきました。でも、サスケの時の私たち家族も同様に身勝手で酷い飼い主だと思いました。ソニアを飼い始めて、ようやくその事に気が付きました。
ソニアを飼い始めて丸一年を迎え、もう、サスケの時のような過ちを犯さないためにも、今の気持ちを忘れず、自分の最善を尽くしたいと思いました。
すべての繋がりの中にあるソニアとの出逢い、大切にしていきます!
サスケとは全く違うソニアだけど、どんなソニアであってもとても愛おしいく、かけがいのない大切な家族の一員です。
因みに、父や母について、
本当に色々ありましたが、今はとても感謝しています。
いてくれて、本当にありがたい存在です。
人間ですから嫌いなところもありますが、好きなところも沢山あります(相田みつをさんみたいですね笑)。
完璧な人間なんていませんからね。
私も少しは、大人になったのかな?!
私の両親も姉弟も、大切でかけがえのない存在です。
長い文章を最後まで読んでいただいてありがとうございした。
亡くなった日に切り取ったサスケの毛が入っているお守り