セレンディピティ ダイアリー

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喜多方ラーメン 喜鈴 ~ 会津 鶴ヶ城

2022年11月04日 | +福島

裏磐梯・会津若松旅行の続きです。今回が最終回です。

飯盛山のさざえ堂を訪れた後は車で移動して、会津若松のシンボル、鶴ヶ城に向かいました。駐車場に車を停めて、お昼は鶴ヶ城の近くで喜多方ラーメンをいただくことにしました。喜多方ラーメン 喜鈴 (きりん) 城前店です。

喜多方の蔵を模したような外観で、広々としたきれいなお店でした。ラーメンは、黄金醤油、貝出汁白醤油、再仕込み黒醤油など、リピーター向けに種類がいろいろありましたが、旅行者の私たちは一番ベーシックな喜多方中華そばにしました。

あっさりとした醤油味のスープにチャーシュー、メンマ、ねぎ、なると、海苔という組合せで、東京ラーメンに近いですが、麺が縮れてやや幅広というのが特徴でしょうか。私好みのあっさりとした、ほっとするお味でした。

さて、食事の後はお濠をわたって、いよいよ鶴ヶ城へ。

戊辰戦争の激戦の末に大きな被害を受けた鶴ヶ城は、その後解体されましたが、1965年に鉄筋コンクリートで外観が再建されました。内部は博物館となっています。

私たちが到着した時、ちょうどボランティアガイドの方によるツアーがはじまる時間だったので申し込んだところ、参加したのは私たちと、出張で会津にいらしたらしい男性の3人のみ。この男性がどうやら出張の先々でお城を見学するのがご趣味のようで

ガイドの方も張り切って、気がつけば1時間以上の長いツアーになりました。ツアーはお城の外だけなので、主に石垣に関するマニアックな内容となりました。

太鼓門近くに、点線がついた大きな石がありました。これはこの大きな石が、後々切断されることになった時のための目印の切り取り線なのだそうです。

石段の中のひときわ大きな石は、魔除けとして入れられた石だそうです。かなり重いので、この石を入れる時は、遊女さんが上に乗って人夫さんたちを応援したそうで、遊女石とよばれているそうです。

自然石をそのまま積み上げた野面積みという方法。隙間や出っ張りがあるため、敵に登られやすいという欠点はありますが、排水性に優れ、丈夫なのだそうです。

表面を平らに加工した打込み接ぎという手法。野面積みより高く、急な勾配が可能となるそうです。さらに江戸時代に入ると、方形に整形した石材を密着して積み上げる切り込み接ぎという手法が取られるようになりました。

他にも門の造り等、貴重なお話をいろいろうかがいました。この後、ガイドの方と別れてお城に入りましたが、会津藩や白虎隊については日新館でひと通り見たので、軽く流して最上階の展望フロアへ。

360度の眺望を楽しみましたが、この写真がどこを撮ったものなのか覚えていない...。(おそらく飯盛山方向と、会津磐梯山だと思うのですが)

鶴ヶ城を後にして、一路東京へと帰りました。すっかり時間がかかってしまいましたが、裏磐梯・会津若松旅行記はこれでおしまいといたします。長らくおつきあいくださり、ありがとうございました。

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會津藩校 日新館 ~ 飯盛山・さざえ堂

2022年10月23日 | +福島

裏磐梯・会津若松旅行の続きです。

2日目は会津若松を観光し、あまり遅くならないうちに東京にもどることにしました。従業員の方たちに見送られながらお宿を後にし、最初に向かったのは 會津藩校 日新館 です。

会津若松では行く先々で、会津藩、白虎隊、そして大河ドラマ「八重の桜」のモデルになった (同志社を創設した新島襄の妻) 新島八重 を抜きにして会津を語れないことを実感しました。

日新館は人材育成を目的に1803年に建設された会津藩の最高学府で、白虎隊のほか、後世に残る逸材を輩出しました。藩士の子弟は10歳で入学して学問や武道に励み、心身の鍛錬に努めました。

実際の日新館は戊辰戦争で焼失しましたが、1987年に会津の精神文化を後世に伝えようと、完全復元されました。約8000坪の敷地に武道場や天文台、日本最古のプールといわれる水練場などがあります。

戟門 (げきもん)。戟という武器をもった衛兵に監視させたことから戟門とよばれたそうです。またここで太鼓を打ち鳴らして時を知らせていたそうです。

正面に見えるのは孔子像を祀る大成殿、その右に見えるのは大学 (講釈所) です。素読所を修了した生徒のうち成績優秀者だけが大学への入学が認められました。

東塾。この反対側に西塾があり、あわせて素読所といいました。10歳で入学すると生徒は素読所に入り、論語を中心とする漢文の読み方を勉強しました。

水練場。日本で初めて作られたプールといわれています。生徒たちは甲冑をつけ、向井流という泳法を学びました。

高台となっている天文台の上から、日新館の全景が見えました。

日新館では、会津藩の教育制度のほか、戊辰戦争や白虎隊に関する展示がありました。こうした悲劇を教訓にせず、第2次世界大戦でも学徒出陣や特攻隊で若い命を死に追いやったことにやり切れない思いを抱きます。彼らの悲劇を美談にしてはいけないと強く思いました。

天文台から見る雄大な会津磐梯山

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この後は、会津若松の町を一望できる飯盛山 (いいもりやま) を訪れました。

飯盛山には、白虎隊十九士の墓と白虎隊自刃の地、また珍しい木造建築で知られる さざえ堂 があります。ふもとから長い石段を上りますが、有料のエスカレーターも併設されています。石段の途中から横道を抜けて、さざえ堂に向かいました。

さざえ堂 (旧正宗寺・円通三匝堂)

一見何の変哲もない古いお堂に見えますが、六角形三層の建物の中は、上りと下りが別々の螺旋形の階段となっています。灯台などにはよく見られる作りですが、木造建築としては日本唯一、世界でも例を見ない珍しい建築だそうです。

上りの通路。

上までのぼったら、今度は下りの通路です。1796年に郁堂和尚が考案したというこのお堂。今は観光名所になっていると知ったら、和尚さんも喜んでいるかもしれません。

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会津東山温泉 向瀧

2022年10月19日 | +福島

会津東山温泉 向瀧の続きです。

向瀧さんには、きつね湯 (44℃)、さるの湯 (40℃)、貸切風呂 (42℃) という3種類のお風呂がありました。着いた日は夕食前に、一番大きくて温めのさるの湯に入り、ゆったり旅の疲れをほぐしました。翌朝はせっかくなので朝食前に3つのお風呂をはしごすることに。

まずはきつね湯。ここは44℃と一番熱く、とても無理!と最初は思ったのですが、何度も何度も掛け湯をしているうちに体がなじんで入れるようになりました。ここをクリアすると?貸切風呂の42℃がぬるく感じるほど。

きつね湯と貸切風呂は1~2人くらいしか入れないくらい小さくて、結構深い。そういえば昔のお風呂って今より深かった記憶があります。貸切風呂は3つあって、いつでも予約なしに無料で入れるので、ひとりでくつろげるのがよかったです。

朝食までにまだ時間があったので、お庭も散策しました。

山の斜面に後から建て増しされたお部屋ということですが、まるで積み木を重ねたみたい。向瀧さんのお部屋はひとつひとつ違う造りなのだそうです。

お庭を上って、上から見たところ。お部屋が独立していて別荘のようですね。

こちらに見えるのは特別室のはなれのお部屋。

はなれを横から見たところ。文豪のお家のように風格がありますね。

池の上に建てられているのが珍しい。平安時代の寝殿造りのようです。なんとも風流です。

お部屋にもどって、お布団を上げるお兄さんといろいろお話ししているうちに、朝食の時間になりました。朝の献立は、ほうれんそうの鰹掛け、長茄子の揚げ浸し、オクラたたき、向瀧の温泉玉子 玉三郎、椎茸のつくだ煮、お漬けもの。

左の水色の陶器に入っているのは、紅鱒のせいろ蒸し。右の鉄鍋は、なめこの味噌汁 田舎味噌仕立て。ごはんは契約農家直送のコシヒカリ。デザートは、かぼちゃぷりん。

どれも体に優しいおいしい朝食でした。

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喜多方 ~ 会津東山温泉 向瀧

2022年10月15日 | +福島

裏磐梯・会津若松旅行の続きです。五色沼湖沼群を散策した後は、喜多方を経由して、この日の宿泊地である東山温泉に向かいました。

喜多方は蔵の町として、また喜多方ラーメンでも知られていますね。蔵の並ぶ通りを歩いてみたくて、車の中で検索し、おたづき蔵通りを目指しました。

【参考】喜多方 まち歩きマップ

埼玉県の川越のように、蔵が並んだ通りを想像していましたが、蔵はぽつぽつと点在していて意外と観光地化されておらず、市民の生活に溶け込んでいるという印象でした。でもきれいにリノベートして、上手に利用されていましたよ。

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この後は、一路南下して会津若松の奥座敷、東山温泉に向かいます。この日宿泊したのは、創業1873 (明治6) 年の老舗旅館、向瀧 (むかいたき) さんです。宿泊サイトではなく、お宿に直接予約を入れたのですが、その後のメールでのやりとりから

お客様への誠実な対応と歓迎の気持ち、宿への誇りと愛情も感じられて、わくわく期待が高まりました。きびきびとよく働く従業員さん、お部屋係の若い女性の素朴な受け答え、どれも好ましいものでした。

お風呂は3ヶ所ありましたが、そのうち一番大きな温めのお湯につかってゆっくり疲れをほぐした後に、お部屋で会津の郷土料理のお夕食をいただきました。

食前酒は会津若松の "葡萄のしずく”。先付けは生木耳の白和え。前菜は門田長ネギの焼き浸し、紅鱒の美酒佳肴焼き、塩蒸し南瓜、平飼い卵の黄身寿司、モロヘイヤの醤油漬け、秋茗荷の甘酢漬け。向付は、鯉月見。右手前は、にしんのさんしょう漬け。

どれも会津の食材を使った伝統料理で、この地でしかいただけない貴重なもの。素朴な味わいにほっと心がなごみました。鯉のお刺身や、にしんなど、初めていただくお味も興味深いものでした。

江戸時代に会津藩から伝承された逸品で、向瀧さんの名物料理、鯉の甘煮です。甘辛く煮込まれた鯉は、柔らかくもむっちりとしていて、絶品のおいしさでした。他にもお料理がたくさんあるので、食べきれなければ、食べかけを真空パックにして

持ち帰ってもよいと言ってくださったので、そのようにしました。家に帰ってからも、旅先のおいしいお料理が、そのまま味わえるのはうれしいですね。

会津地鶏と盆地の恵み。お味噌仕立ての鍋物です。

会津伝統料理のこづゆ。その向こうは会津大川で採れた鮎を使った一口ごはん。

かぶが大胆に描かれたすてきな器。

中を開けると、会津丸茄子とこしひかりの揚物。お米がぱちぱちと香ばしい。にんじんの紅葉を添えて秋の趣です。

会津のこしひかり。小松菜と油揚げのお味噌汁。手作りの佃煮と小茄子漬け。

デザートは、会津りんごのジュレ掛けです。

旅館の食事というと、豪華ではあるけれどあまり個性が感じられず、後から思い出せないことも多いですが、向瀧さんのお料理は、どれも地元の食材を使った伝統的な郷土料理で、これぞ旅の醍醐味だと感じました。

この日は偶然にも中秋の名月。お宿の廊下に、お月見の設えがありました。すすきと月見だんご、秋の恵みの野菜たち。

白く輝く月が夜空を照らし、忘れられないお月見となりました。

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五色沼ハイキング

2022年10月10日 | +福島

裏磐梯・会津若松旅行の続きです。諸橋美術館を訪れた後は、隣りのリゾートホテルで軽い昼食をいただいて、午後から五色沼でハイキングを楽しみました。

五色沼は、1888年に磐梯山の水蒸気爆発によって作られた大小30ほどの湖沼の総称で、正式には五色沼湖沼群といいます。沼によって、エメラルドグリーン、コバルトブルー、ターコイズブルー等々と色が異なり、天候や季節によっても色が変化する神秘の湖沼です。

これらの湖沼を片道約1時間半ほど歩いて巡る、五色沼自然探勝路でハイキングを楽しみました。裏磐梯ビジターセンターに車を停め、まずは毘沙門沼に向かいます。

得も言われぬ美しいブルーに、引き込まれました。手前に見えるのはモミジの木ですが、紅葉の時期もさぞ美しいことと思います。

毘沙門沼は五色沼の中で一番大きな沼で、ボートにも乗れます。静かでのどかな風景でした。

沼の細くなっているところで鯉が飼われていました。同じ沼でも場所によって見える水の色が異なり、近くで見ると透明に澄んでいました。

こんな感じの明るい雑木林を歩いていきます。高低差がほとんどなく、歩きやすかったです。

ここは赤沼でしょうか。毘沙門沼とはまた違う、トルコ石のようなはっきりとしたブルーに目を奪われました。通りがかりのハイカーが「バスクリンみたい」と言ってましたが。私も同じことを思いました。^^;

ここは弁天沼でしょうか。透明感のある2色が織りなすブルーが美しい。

鏡のような水面に青い空が映っています。

湖沼ごとにさまざまに変化する色の美しさに魅せられました。

木々の間からさまざまな表情を見せる湖沼群。終点の裏磐梯高原駅からバスに乗って、車を停めていた裏磐梯ビジターセンターにもどりました。

また違う季節にも訪れてみたい、と思うすてきなトレイルでした。

【参考】五色沼自然探勝路マップ

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諸橋近代美術館

2022年10月06日 | +福島

だいぶ間が空いてしまいましたが、諸橋近代美術館の続きです。

諸橋近代美術館のことを私が偶然知ったのは、実はわりと最近のことです。古城のような佇まいとダリのコレクションに惹かれ、機会があれば是非訪れたいと思っていました。

諸橋近代美術館は、福島県郡山市に本社をもつスポーツ用品小売業「ゼビオ」の創業者、諸橋廷蔵さんが創設されました。ゼビオのことを存じ上げなかったのですが、ゴルフ用品のヴィクトリアや、サッカーの東京ヴェルディなども配下におく、かなり大きな会社のようです。

創業者の諸橋廷蔵さんはシュルレアリスム、とりわけサルバドール・ダリの作品に興味を持ち、自らの手で蒐集をはじめたということです。現在は廷蔵さんの長男である諸橋英二さんがその遺志を継いで。美術館を運営しています。

コレクションを構成するのは、ダリの絵画、彫刻、版画作品など約330点、印象派からシュルレアリスム期までの絵画作品約40点、英国現代作家PJ クルックの絵画約30点など。コレクションに一本筋が通っているところに魅力を感じます。

ダリの絵画はこれまでに展覧会で何度か見ていますが、この美術館は大型の彫刻作品が数多くあることに驚きました。ダリの彫刻を一度にこんなにたくさん見たのは初めてかもしれません。

それから作品についている説明が、専門家による解説だけでなく、創業者の蒐集のエピソードや、キュレーターの思いのこもったメッセージとともに語られていることにも好感が持てました。

過去の展覧会で見たことのある懐かしい作品とも再会しました。これはそのうちのひとつ「アン・ウッドワードの肖像」です。国立新美術館で開催された「ダリ展」で見て心に残った作品です。

岩のくり抜きと女性のシルエットが同じ、女性のドレスのリボンが遠くの海へとつながっているのがわかるでしょうか? 遊び心のある作品です。

この角度から見る美術館が特に気に入りました。

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裏磐梯・会津若松の旅 猪苗代湖~諸橋近代美術館

2022年09月25日 | +福島

2週間前の週末、夫の出張後に合流して、福島県の裏磐梯・会津若松を旅行してきました。昨年の島根旅行記もまだ途中なのに恐縮ですが (年内には必ず仕上げますね) 先にこちらの旅行について書き残していきたいと思います。

金曜日に仕事を終えた後、東北新幹線に乗って福島県・郡山へ。この日は郡山駅近くのホテルにひとりで泊まり、翌朝夫と落ち合いました。(彼は今回の旅行のために新幹線ではなく、車で出張していました)

車に乗って、まずは五色沼を中心としたリゾート地で知られる裏磐梯を目指します。途中、猪苗代湖を通りました。

志田浜というところに車を留めて、しばし美しい猪苗代湖の風景を眺めました。湖畔には砂浜があり、水ははるか先まで透き通っています。穏やかに水をたたえた青い湖のなんと美しいこと。白鳥が飛来する ”白鳥の湖” としても知られているそうです。

日本で4番目に広い湖で、地図でもよく目立つので子どもの頃から知っていましたが、美しい緑の森に囲まれた湖は、それほど観光地化されていなくて、静かで神秘的な佇まいを見せていました。

志田浜を出て、一路裏磐梯へと向かいます。正面に見えるのは磐梯山 (たぶん)。福島を代表する山です。山肌にスキー場があるのがわかりますね。米どころでもある福島は、周囲の水田風景も美しかったです。

磐梯山を東側からぐるりとまわり、訪れたのは諸橋近代美術館です。サルバドール・ダリのコレクションにおいて、世界第4位の規模を誇るこちらの美術館は、いつか訪れたいと思っていました。

裏磐梯の美しい自然の中、1999年に創設された美術館です。川の流れる広大な敷地にたたずむ建物は ”中世の馬小屋” をイメージしているそうです。西洋的な建物ながら周囲の景観にみごとに調和し、またダリのイメージにも合うすてきな美術館でした。

美術館の敷地を流れる美しい清流。

美術館の前にはモネを思わせる水連の池。

向こうに見えるのは吾妻山でしょうか。美術館の敷地全体がみごとな庭園となっているとともに、周囲の雄大な自然が借景となっているのがすばらしかったです。

美術館については次回に続きます。

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