加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



末森城址散策

静かな時を刻む城跡 訪れる人が誰もなくひっそり佇む城跡。鳥のさえずりと木の葉を吹き抜ける風の音だけ。

一人では少々寂しい散策、熊・イノシシ注意の看板を思い出す。

末森山(標高138.8メートル-3等三角点)にある中世から近世初期の山城跡です。
現在は本丸門の礎石、通称「本丸」、「二の丸」「若宮丸」のあった跡や、空堀が草叢ながら歴然と遺っています。
天正12年(1584)越中富山城主 佐々成政による攻撃を受けましたが、城主 奥村永福がこれを死守し、前田利家の来援により落城を免れています。
この戦いが加賀百万石の基礎となったと伝わる「末森合戦」です。

宝達清水町観光サイトより抜粋


末森城跡鳥観図(駐車場横に建つ)


登山道は国道を跨ぐ橋を渡る


若宮丸跡

若宮丸から若宮方面に降りる明るくて杉木立の間から差し込む日差しが心地よい。でもくれぐれもそのまま下りてゆかない方が安全。ルートから外れる可能性があり危険!


二の丸跡


二の丸跡から今浜方面を望む


本丸跡と説明版

山を下りたところで遭遇する。クマよけ鈴・ラジオなどを持参した方がよいかも。

 

追;全体にコース案内が少なく案内マップだけでは心もとない気がしました。十分に注意を!!!

迷子になって落人にでも会ったら洒落になりませんね。( ´艸`)

 



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浅野川右岸、浅野本町にある三本の“大きな木

京町小緑地、十字路からJR高架下から浅野本町ホ 金沢市企業局城北水質管理センター横を通る抜け道乗用車がやっと通れる堤防道路

ここは川筋景観保全区域に指定されたおかげでこの木が残されたのだろう。(個人的考え)

都市整備局 景観政策課 金沢市

犀川及び浅野川における美しい川筋景観の保全に関する条例 

浅野川の川筋景観保全方針

浅野川の繊細で情緒が漂う流れと川沿いの歴史的な街並みの景観が調和した川筋景観を
保全・継承する。

地区別の川筋景観保全方針 七ツ屋地区 

魅力ある開放的な景観と落ち着いた佇まいのある街並み、河川敷の緑が調和した川筋景観を保全・継承する。

景観特性 七ツ屋町地区

  • 浅野川の清流と緩やかな蛇行に沿った景観の変化
  • 川筋に面した敷地内の庭や樹木の緑
  • 中低層の建築物が立ち並ぶ街並み
  • 河川敷の遊歩道

犀川沿い、浅野川沿いを守るためにこのような条例が金沢らしさをつくているのだろう。

車が通るのにも気を避けるために蛇行して通り抜ける。

 

もし、道路拡張工事があるのなら、この木々を迂回するかたちでの計画をも視野に入れてほしい。

そして、この木々を中心にした憩いの空間になるような川筋緑地にしてはどうだろう。

 

この木々がいつ頃植えられた物なのか。また、ここには何があったのか少し気になってきました。

 

川筋景観の保全に向けて 浅野川区域 川筋パンフ(浅野川)

https://digilib.city.kanazawa.ishikawa.jp/preview/pdf/CB0aEAAAA

 

写真;2023.06.16夕刻撮影



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「まだ知らぬ 人に見せばや 神代より 絶えぬ流れの この滝つ瀬を」(まだ知らない人に見せてあげたい。神話の時代から流れが絶えない、この滝を。)幕末の金沢商人小倉有年(おぐらありとし)

まだ知らない人に見せてあげたいとのことで見させていただきました。

駐車場もありとても助かります。ただし駐車場に入るまでに二か所のゲートがあり自分で開閉しなくてはいけません。

熊、イノシシ対策みたいです。時代は変わり人間が柵の中で暮らす時代になっだのですね。

冗談はさておき、六の滝から順番に見ていきます。


六の滝


六の滝


五ノ滝


四の滝


四の滝上部より


四の滝横より


三ノ滝


二の滝

 

 
二ノ滝をアップで


一の滝と二ノ滝間


一の滝

民家近くで駐車場からすぐに六の滝が見られ一の滝まで数百メートル高低差も50メートル程度、こんなに身近にあるとは思いませんでした。

本当に「まだ知らぬ 人に見せばや・・・・」ですね。

最後に虫よけスプレー持参のほうが”やぶ蚊”でしょうか気になりました。

2023.06.19 午後3時ごろ 天候晴れ

 

参照 能美市HP:能美ふるさとミュージアム|文化財・所蔵品|文化遺産をめぐる|能美市の文化財|史跡名勝天然記念物|七ツ滝:https://www.city.nomi.ishikawa.jp/www/contents/1555381361188/index.html

 

七ツ滝|能美ふるさとミュージアム

 



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初夏の水辺を散策する。その二

ぜんかいの投稿の写真そのあと次の電車が

電車が通り過ぎると鉄橋の下には遊覧船が入ってくる。

遊覧船は川の駅を出港し、神楽橋、中新橋、中の橋、新西橋、湊橋、奈呉の浦大橋とくぐり富山湾にと出て海王丸パークには入り海王丸パークから新湊大橋の下を通り富山新港を見ながら新港大橋を潜り内川にと入っていく。万葉線の鉄橋、二の丸橋、放生津橋、東橋、山王橋と12の橋を見て回るクルーズです。本当は海王丸パークがスタートみたいですが、川の駅新湊もスタートにできるみたいです。

通常クルーズの案内は新湊観光船 http://shinminatokankousen.jp/で確認ください。

内川は右岸(この場合どちらが右岸になるのかな?富山湾側)は工場の敷地となっているためこのまま川沿いを進むことができず万葉線に沿って迂回するかたちとなる。

線路横を歩くのだから当然電車が通る。当然電車を撮影する撮り鉄になってしまう。電車にカメラを向けているとスピードを落とし止まってくれる。乗務員が手でシャッターを押す合図を送ってくる。こちらも一瞬とまどうが続けて撮影をする。ここまでしてくれるとは、”ありがとうございます”

あまり上手には取れませんでしたが。

終点の越ノ潟がすぐ近くなので折り返してくるのを待って新湊大橋の鉄塔とあじさいを入れて再度撮影。

ここまでくるとずいぶんと歩いたような気がして駐車場まで東新湊から万葉線に乗ることに。

東新湊から先ほどの鉄橋を渡り中新湊、次の新町口まで数分の電車の旅、今度は乗り鉄にと

ここから川の駅まで新湊のまちと小路(路地)を眺めながら歩く

 

初夏の内川散策はここまで、雨上がりで日差しもなく少しばかり肌寒く、散歩するにはちょうど良い日でした。

2023.06.11 天候雨のち曇り



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初夏の水辺を散策する。

天気予報通りに雨の朝を迎える。これと言って予定を立てず車を走らせるうちに、高岡市伏木の橋を渡たところで内川を久しぶりに行ってみようと思い、川の駅に車を止める。

小雨の残る中カメラを持たずに散策

映画の撮影等々で運河沿いは少しずつ整備(綺麗に)になったような気がする。人生の約束でロケに使われた番屋カフェを見つけ映画のシーンを思い起こす。ほかにも数件店ができている。

昼を過ぎたところで雨も上がりカメラを取り出し撮影、運河を吹き抜ける風が心地よい、人通りも少なくゆっくりと散策


「東橋」

全国でも珍しい屋根付きの歩行者専用の橋。夜になると橋の両側の休憩所に明かりが灯り、大きな提灯となって浮かび上がる。まさに、「渡るだけではなく、立ち止まり、時を過ごす憩いの橋」。スペイン人のセザール・ポルテラ氏の設計きららか射水観光NAVIより引用

 


「山王橋」

半円形のバルコニー風のアプローチに、手をかたどった大理石の彫刻4基を設置。製作は、郷土出身の彫刻家 竹田光幸(たけだ・みつゆき)氏(きららか射水観光NAVIより引用

 

 
「放生津橋」 

室町幕府10代将軍 足利義材(あしかが・よしき)の銅像。パネルには、義材が戦いに赴く様子などが描いてある。(きららか射水観光NAVIより引用


「二の丸橋」

放生津城の二の丸にちなんで名付けられた。放生津小学校の児童のアイデアによる城をイメージしたデザイン(きららか射水観光NAVIより引用

二の丸橋と新港大橋の間にかかる鉄橋
曇り空で山々が見えないが気象条件さえよければ立山連峰が背景に入るのかもしれない。

立山連峰と万葉線は次回の楽しみに取っておきます。


神楽橋から見る山王橋背景には新港大橋の鉄塔とうっすらと稜線を見せる立山連峰


「神楽橋」

欄干には、郷土出身の工芸作家 大伴二三弥(おおとも・ふみや)氏の製作による、72枚のステンドグラスがはめ込まれている。別名「虹のかけ橋」。朝日や夕日の光がステンドグラスを通じ幻想的な雰囲気を醸し出す。(きららか射水観光NAVIより引用

 


神楽橋から見る中の橋・新西橋そして背景の山は二上山、神楽橋にはめ込まれたステンドグラス

これまでに何度となく訪れた内川の投稿記事をひらって見たそれほど多くない、それにすべての橋を網羅してないことに気づく。

  1. 藤見橋 
  2. 西橋 
  3. 湊橋 運河(内川)のある風景 新湊 湊橋と内川アート
  4. 奈呉の浦大橋 
  5. 新西橋 運河(内川)のある風景 新湊 新西橋
  6. 中の橋 運河(内川)のある風景 新湊 中の橋
  7. 中新橋 
  8. 神楽橋 運河(内川)のある風景 新湊 かぐら橋
    夕暮れの内川 神楽橋
    運河(内川)のある風景 夕日に輝く神楽橋
  9. 川の駅新湊 運河(内川)のある風景 新湊 川の駅
  10. 山王橋 
  11. 東橋 運河(内川)の街 新湊 東橋
  12. 放生津橋 運河(内川)の街 新湊  放生津橋
  13. 二の丸橋 運河(内川)のある風景 新湊 二の丸橋
  14. 新港大橋 
  15. 新湊大橋 
    工事が進む臨港道路富山新港東西線「新湊大橋」
    移り行く放生津潟 富山新港 「新湊大橋」
    移り行く放生津潟 富山新港 「新湊大橋」 その二
    運河(内川)のある風景 新湊 海王丸パーク
    新湊大橋のライトアップ
    海王丸イルミネーション
  16. 県営渡船 富山県営渡船(越ノ潟フェリー)
  17. 万葉線 

新湊の観光サイトとパンフレットのリンク詳しくは下記をご覧ください。

新湊内川橋物語

観光パンフ「内川さんぽ」

水辺の回廊 橋まっぷ

2023.06.11撮影

 



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花菖蒲園(紅葉谷)奥の階段を上るとバス道路にでる。正面には新しく整備された眺望の丘が現れる。斜面に植えられたアジサイが見ごろを迎えている。

3000株のあじさいが植えられたとのことだけあって園内一帯はあじさいでおおわれている数年もするとあじさいの丘と名が変えられそうだ。

眺望の丘 2019年3月30日にオープン、

オープン当時の状況

写真は金沢日和さんのサイトの写真です。(勝手に記載させていただいております。)

元のサイト、卯辰山公園 「眺望の丘」https://www.kanazawabiyori.com/spot/spot_14687.html



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今朝の菖蒲園

早朝から菖蒲を見に来る人が増えてきた。二週間前の早朝にはほとんどいなかったのだが、菖蒲の開花とともに賑わいを見せている。

 



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13年ぶりの八尾、そんなに久しぶりなのだろうか?

前回の投稿日時を確認すると2010年になっていたのだからそうなんだろう。

まちの様子といえば、かすかに記憶しているまちの様子と変わっていない。前回もこの通りを、この坂道を13年前にタイムスリップしたかのように記憶のままだ。

全国町村会 WEBサイトより

富山県八尾町

八尾町は、江戸時代初期の1636年に加賀藩から町建の許可を得てから門前町として発展し、富山藩唯一の生糸公益市場として藩の財政を支え、養蚕業、特に蚕種を生産販売することで発展し、それが戦前に至るまで町の基幹産業として隆盛し、かつては「蚕都」と呼ばれて栄えた長い歴史をもち、古い街並みが今も残る町である。

400年近い歴史を持つまち、10年足らずで変わることなどないのだろう。それがこのまちの魅力なのだろう。

城ヶ山公園

城ヶ山は八尾旧町の南東に広がる、標高 202m、面積 15.3ha の小高い丘陵地である。
古名は龍 蟠(りゅうばん)山という。「蟠」の訓読みは「蟠る(わだかまる)」で、とぐろを巻くようすを示している。八尾の歴史に詳しい西新町の長谷川洌(れつ)さんによると、井田川あたりの平地から城ヶ山を見たときに、坂に並ぶ八尾旧町の町家の黒い屋根瓦が龍のうろこのように見える。それが城ヶ山の木々が生み出す線に連なり、城ヶ山全体が大きな龍のうずくまる姿のように見えるため、「龍蟠」という名前が付けられたのではないかという。

 

南北朝時代(1336‐1392)には諏訪左近入道がこの山に城をかまえたため1)、いつしか城
ヶ山と呼ばれるようになったといわれる。『続八尾町史』の「天保 14〔1843〕年調 八尾絵
図」には「城ヶ山」と記されているため、少なくとも江戸時代ごろには城ヶ山と呼ばれてい
たことがわかる。江戸時代末期(慶応2〔1866〕年)から明治にかけては農兵を調練する調
練場として使われていた。‥‥

 

越中この八尾といえば「おわら風の盆」この期間には3日間に20万人以上の人が訪れる。小さな八尾のまちが人であふれる。

でも普段の日は静かで人通りもまばらで落ち着いたまちだ。まちの随所には花が咲いていたり心憎い演出がされていたりする。

 

さりげないおもてなしの心が感じられる街並み、これが日本の原風景なのだろうか。だから何度訪れても心が休まる、癒される。

心のない観光化されたおもてなしではすぐにあきられる。だからまた何か新しいことをする。そうして本来の姿を失っていく観光地。何度訪れても、心が癒されるそんな町が今のわたくしにはちょうどいい。

少々タイトルからずれてきた。坂のまち八尾、坂に階段も含めても良いのかは判断に困るが、坂も多ければ、階段も実に多い。

城ヶ山公園に上る階段の実に長かった。公園に上がってもまた長い階段があった。

この階段はどこに上る階段なのか今回は登ることを断念した。その他にも、まちの中のいたるところに階段が設けられている。

これは階段といってよいのだろうかと思うような物もあり実に多彩だ。

 

 

 

階段というより梯子の勾配に近い。

今回は駆け足でまわったためほんの一部しか撮影出来なかったので次回はゆっくりまわってみます。



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頼成の森 花しょうぶ祭り 撮影2023.06.10

最新の情報はこちらをどうぞ 頼成(らんじょう)の森だより

600品種、70万株ものハナショウブが植えられていて様々な花色、花容が楽しめる。

  

小動物も顔を出して来場者を楽しませてくれています。

園内マップ

花しょうぶ園全体図

品種の違いにより開花時期も違い満開とは言えなかったけれど場所によっては7~8割程度の開花でとても綺麗でした。

600品種と言われてもどれも同じに見えてしまいます。まだまだ遅咲きの花もこれからですので十分に楽しめそうです。

花柄を摘む乙女(昔の)来園される方にいつも綺麗な状態を見てもらうためにせっせと手入れをされていました。

菖蒲園一番奥にあるトンボ池には、モリアオガエル卵が見られました。池には睡蓮の花も咲かせていました。でも子供たちは花より動くオタマジャクシに興味があるみたいで、捕まえようと躍起です。

頼成の森の歴史(県民公園頼成の森サイトより引用)

昭和44年5月、この地において第20回全国植樹祭が開催されました。
それを記念に、植樹祭会場とその周辺の森林を含め、
総面積115ヘクタールにおよぶ広大な区域を本格的な森林公園にして昭和50年に開園しました。

開園から48年、約半世紀もの歴史ある公園だというのに今回初めて訪ねました。



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前回訪れた時から10日間あまり

ほぼ満開の花菖蒲早朝となので訪れる人もほとんど

かと思いきや花の中に一組のペアが写真を撮られていました。

とてもおりこうさんの様子で、飼い主と一緒に花を観賞していました。

睡蓮の池

初めて知りましたスイレン科の総称で特定の花を挿す名前ではないこと、どうもわたくしの思っていたスイレンは、羊草(ひつじぐさ)と言うそうです。

羊草といっても白くて清楚なイメージがわいてきません。

ヒツジグサ 未草 ; 学 名, Nymphaea tetragona Georgi 学名もちょっと難しくて、nymphaea(ニンフ、ニンファー)とは、ギリシャ神話に登場する美しい精霊たち。水の女神だそうで、こちらのほうがイメージがわいてきそうです。

撮影2023.06.10



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