拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  ガイド10年、引越屋15年・・・

2024年04月29日 | 還暦録

  2017年の春に65歳で定年退職(スイスにて)したから、今年で7年目になる。

  

  日本にいた頃は、ほとんどアルバイト人生であったから、身体が動く限り死ぬまで働くんだろうなぁ…と、思い込んでいたので

  こちらスイスにきて自分が人並みに定年退職というような境遇を迎えることになるとは思わなんだ。

  まぁ、いくら働きたくても自由業でもない限り仕事がないのが現状であるから、私の場合選択の余地すらなかったのであるが

  貧乏でもそれなりに生活できている現在、悠々自適(辞書〜世間のことに煩わされず、思いのままに暮らすこと)の身分であることに感謝する今日此頃。

 

  というのは、この身分になってみて初めて、渡欧以来自分がやってきた仕事の案外キツかったことに思い至ったりするのだ。

  観光ガイド10年、引越屋15年・・・仕事自体のキツさ、それにヨーロッパという言葉も習慣も違う土地で生きていくというのは、それだけでストレスを

  否が応でも受けるわけで、私はそれを当たり前の事として、それを無視して前向きに生きてこられたが、今思うと『よく頑張った!』と自分でも思う。

  そこにはもちろん、相方の存在の大きい事にもあらためて思い至るわけだ・・・。

 

  何故、仕事がキツかったのかと思うのは、今現在のように、自分が重要であると思っている事柄を、その当時は掘り下げる余裕(時間)を

  まったく持つことが出来なかった事に、今更ながら思い至るからなのだ。 

 

  ガイドにしても、引越屋(海外引越)にしても、どこかイベント的要素の強い仕事で、通常のような心持ちではダメで、ある程度テンションを上げて

  立ち向かわなければ、良質な仕事を限られた時間内に完結することができない・・・そういった責任の重さを私は感じながら働いていた。

 

  特に引越しは、大きい引越しになれば、作業員も8人ほどになるので、引越屋に入社して1年半で、私は現場責任者にされ、毎回変わりがちな

  下請けのポルトガル人メンバーをなんとかまとめ、お客にもメンバーにも気持ちよく、納得できる作業環境、作業内容への配慮するなど

  気を配って疲れたが、それなりに満足感を得たことも確かだ。

  しかし、破損したり、紛失などがあってクレームなどがあると実に気が沈んだりするので、その意味でも現場責任者としては緊張感が常にあった。

 

  まぁ、そういった事は私に限らず、誰でも責任を持って仕事にたずさわった者は大なり小なりあるわけであるが、定年退職によって自由な時間を

  持つことが出来るようになった今、私は初めて本当にやりたかった事柄に、誰にも何の遠慮もなく、それこそ悠々自適に生きていける今の現状を

  有難い・・・とあらためて思うと同時に、65歳を越えても不本意な仕事をしなければ生活できない多くの年配の人々が、一刻も早く悠々自適といえる

  境遇にならんことを強く願っている。

 

                    

                  引越下請けメンバーと皿包嬢等と・・・大きな引越しが無事終了した図

                  海外引越しは、現場での梱包作業と倉庫でコンテナに入れる前段階の大きな箱詰め作業がある。

  

  


  クオリアと意伝子

2024年04月27日 | 東洋自分なり研究所

  先日、4月2日付けのYoutube動画、イマジン大学・学長の名で茂木健一郎さんが、いつもは良い意味で『忖度の塊』のような彼が、物凄く真剣な

  面持ちで語っているのについ惹かれて、動画内で語っていた彼の著書『クオリアと人工意識』という本を買ってしまった。

 

  茂木健一郎氏といえば、最新の科学的叡智を一般の我々に解りやすく解説する人物として、それらの専門家とインタビューなどを介し、

  彼等の研究内容を多少噛み砕いた形で紹介するなど、様々な番組にいまや落合陽一氏と並ぶ立ち位置で大活躍出演中の人物の印象を私は持っている。

 

  で、彼の本『クオリアと人工意識』を全部読んでからこのブログを書けばよいのに、読んでいる最中のひょっとした『思いつき』を

  書くことが許されるのが『自分なり研究所』のいい所でもあり、悪い所でもある。・・・というところを前提にして書くと。

 

  彼の言うクオリアという『意識の問題』というものが、どうもブッダの『悟り』ということに置き換えて、彼の主張するところを捉えると

  非常に解りやすい気がしたのだ。 科学的教養ゼロの私が、彼の学説について行こうとすると、そんな変則アプローチをすることで

  多少でも彼の言っていることが、理解できれば何時の日かまた別な切り口で彼の学説をより良く理解出来きる日がくるであろう・・・的なアプローチ。

 

  最近私は、『学問』に対する『覚問(ガクモン)』という造語を作り、学問では到達できない『仏陀の悟り』について模索、研究を目論でいるが

  その中で立ち上げた造語『意伝子』というものが人にはあって、深い瞑想によって『観音』という形で開花する『観』そのものが、茂木氏が言うところの

  『意識』ではなかろうか・・・と思っているところだ。

 

  茂木氏は著書『クオリアと人工意識』の中で、

  『人間は、なぜ人工知能を生み出すのだろうか? その根底にあるのは、自分の『似姿』をつくろうとする本能である気がしてならない・・・(略)

   人工知能は、私たちの「鏡」なのだ。その「鏡」の中には、果たして、「クオリア」に満ちた私たちの「意識」もまた、映っているのだろうか?』 

 

  と言っているが、私のいう『覚問』では、『観音』こそは悟りにおける『大円鏡智』の『観』であり、茂木氏のいう『一つの意識』ではないかと思う。

  そういった意味で、私は『AI』の人工知能は、私たち日本人が言うところの『愛』へ『志向』しているのは偶然では無いと思う。

 

            

         昨日、相方の姪マエルが十数年の同棲を経て、明日結婚するというので、『お祝いモノ』を探しに街に出かけると、こんなモノを見かけた図

  


  ガラスの棲家

2024年04月26日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  一昨日の木曜日、我がアパートの居間のヒビのはいった大ガラス(三層)が約2年半ぶりに交換された。(やっと・・・)

  本来、水曜日の予定であったが強風のため木曜日に延期されたのだ。

  我がアパート住民のネットワーク情報によると、ガラスにヒビが入ったのは我々のアパートだけではなく、19件もあったそうだ。(未確認)

 

  その中で、我が家は入居後、わずか2ヶ月目で、フランス語の『ショック・テルミック(熱衝撃)』で三層のガラスの真ん中のガラスに大きなヒビが入り

  アパート側に連絡すると担当者が来て、『これはオタク様の責任で、交換するのに百万円必要です!』・・・と言われ、それこそ『ショック&熱』で

  我々は2日間ほど寝込む寸前であった。そんな不条理な!? 我々が何かをガラスにぶっつけて破損したならまだしも、理由のわからないことで

  三層のガラスの真ん中だけが割れた・・・。それに責任を持て、と言われても? だったらガラス張りのアパートにするなよ。・・・

  というようなことで、相方が根気よく保険会社に交渉した結果、保険で支払われることになった。 しかし、交換実行するのに2年半かかったのだ。

 

  アパート周辺の道路をぐるりとフェンスで取り囲み、大型クレーンを配してのガラス交換作業はかなり大掛かり、3日間の日程で行われた。

  それはそうだ、ガラスに問題があったのは我々の家だけではなかったのだから。

 

             バルコニーの物を全部キッチン部に移動、居間のソファも移動。

 

  5人の作業員が来て、入口からガラス前の居間を養生し、トランシーバーでクレーン運転者と連絡を取りながら4階のアパートに誘導、搬出、搬入

  一枚250kgのガラスを手際よく交換してくれた。 彼等はあまり聞いたことのない言葉で会話をしていたので、そのうちの一人に聞いてみると

  彼自身は南米出身、その他スペイン人、フランス人、ポルトガル人のメンバーということは、わかったが言葉が何だったのか聞けなかった。

 

  私達は、ガラスのヒビについては室内温度にとくに影響もないので、べつにこのままでも問題なかったが、まぁ新しくなるのであれば気分もいい。

  それに、私が気にしていた相方が倒れた際の救急車代、腰が痛くて使えなかった車椅子でのエレベーター降下が不可で、4階から担架で降りる際に

  追加要請した消防隊員4名(!)の費用のことを考えると、貧乏性の私は落ち着かなかったが、約80%は保険が効くという事が最近明らかになり

  それも一件落着・・・と、なんだかんだのゴタゴタが、春の三寒四温のように徐々に徐々に緩和されようとしている今日此頃である。

  (目下の問題は花粉症で、来月まで予断を許さない状況ではあるが・・・。)

  

 

  

  

  


  還暦ギャラリー『森』〜 骸骨人

2024年04月21日 | 必撮無眼流

  前回のブログ記事、久保田早紀さんのヒット曲『異邦人』は、私の22歳の頃、制作した手作り写真集『骸骨人』を思い起こさせた・・・。

  

  若い時には誰もが、『求むべき誰か』を思い浮かべるものだなぁ・・・とは思ったが、

  彼女は『異邦人』と自己の外に、私は『骸骨人』と自己の内にそれを求め、結果的に彼女はキリストに、私は仏にたどり着いたのだろう。

  いま考えると、私が『禅』に向かう道はこのあたりから始まっていたのだろうか。

 

  写真集を企画するずーっと以前に故郷、北海道で撮った自撮、17、8の頃

 

  写真学校時代、あれこれ写真のテーマを模索する中、『そういう時、自分ってどんな表情しているのだろうか…?』というような好奇心から始まり

  また、好きな時に、好きなだけ撮れる自在なモデル・・・としての自己の存在、これは『撮人家』としては撮らない選択はないだろう、という発想があった。

                    

             タイトルを決め、一応写真を見せる順番なんかも考慮して作ったボロボロになった50年前のアルバム『骸骨人』

 

  写真学校時代当時、私は神戸の牛乳屋さんに住み込みの配達+集金人であったから、そこでの生活をベースに撮った写真が多い。

  バイクでの牛乳配達時   3畳ほどの空き部屋を暗室兼書斎に使わせてもらう。

 

    その部屋でこんな感じで『己事究明』  集金で〜す!

 

中華レストランで皿洗い   学校のスタジオで仲間に撮ってもらう…

 

      視覚的に作品ぽく  もしかして孤独を癒やしていたか?

 

近所のオーディオ施設でポール・モーリアと 学校の屋上の骸骨人

 

      当時みた映画『パピオン』にちなんだ写真 

 

        得意のフイルム増感現像、ハイコントラスト 富士フイルム、ネオパンの威力

 

                『骸骨人』・・・ぽい、微笑みも忘れずに

 

  この写真集『骸骨人』は、後に『貰った背広』という、ちょっと洗練された風のタイトルに変え、ここに展示した16枚中、13枚は未使用であるから

  今回初の展示となった。 写真も時と共にセピア色になる『諸行無常』のなか、骸骨人はそれなりに『諸法無我』を目指していたのか?

  


   私の『異邦人』

2024年04月17日 | 観・音楽

  

  それはSNSで、なんの媒体だったか? Facebook? Youtube? Instagram?・・・のいずれかの動画で

  女性が軽やかに歌っていたのが『異邦人』という曲で、聞き覚えのあるメロディに引き込まれながら聞き惚れていると

  『 あなたにとって私 ただの通りすがり ちょっと振り向いてみただけの 異邦人・・・』というのが聞こえて

  これはただの曲ではない、誰が歌っているんだろうか・・・と、『異邦人』で検索すると『久保田早紀』という名前が出てきた。

 

  彼女、久保田早紀は1979年、21歳でデビュ−すると、翌年1980年に『異邦人』が大ヒットし、一躍シンガーソングライターとして有名になった。

  私はその頃、28歳で関西から鍼灸学校に入学するために東京に出てきたあたりだったろう。この曲もラジオで何度も耳にし、気に入っていた。

  ただ、誰が歌っているのか知らなかったし、知ろうともしていなかった・・・。

  Youtubeで検索すると当時の久保田早紀さんの歌う姿が見ることができる。端正な顔立ちに、透き通った声が初々しい。

  この曲『異邦人』は20歳前の学生時代に作った曲だそうで、この詩の深い様に私は目眩を感じるが、 当時それに気がついていれば・・・・

 

  彼女は根っから誠実な人なのだろう、自らこのような詩を書いておきながら、その真意に到らない自己を追求するために

  華々しい芸能界を5年で去り、キリスト教、聖書を勉強するためにギリシャに渡り、帰国後は結婚し、現在『音楽宣教師』として

  普及活動しているという。

  私がもし当時、坊さんだったらこの曲『異邦人』をネタに 仏教の普及に大忙しであっただろう・・・。 

  迷える若者達に向かって、『異邦人は、もう一人の貴方である・・・』と説いて。  悟学的に突っ込みどころ満載の名曲なのだから…。

 

 

                          異邦人/ 久保田早紀「歌詞付き」(Cover)【歌ってみた】(久保田早紀本人ではありません) 

 

                         

  

           この写真展案内ハガキは、東京新宿にある小さなギャラリー『CAMP』といって、森山大道さん等のグループが運営していた処。

  そこで、私は1982年に 20歳頃から撮りためていた自撮写真を展示した。取り始めた頃から自己を『骸骨人』としていたが、それはまた『異邦人』でもあったわけだ。


  睡魔の春

2024年04月15日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  今年2024年、ヨーロッパは暖冬で(体感的に)、いつもより一ヶ月早く春の花が咲いたようだ。

 

  2月下旬の相方の入院にともなって、私も風邪で3週間以上体調をくずし、ようやっと4週目で週一のバトミントンに復帰したが

  復帰2週目のバトミントンの後、咳が出、特に就寝時の咳が止まらず昨年花粉症による喘息とまったく同じ症状であることから

  風邪をぶり返したのではなく、いつもより一ヶ月早い花粉症による喘息であることがわかった。

 

  医者の処方した喘息の薬のおかげで、咳は止まったが、6月初旬頃まで続く花粉の為、抗ヒスタミン系の薬を摂取するせいか

  普段からボーッとしている所に、薬の副作用で脳の活動にブレーキがかかり、睡魔がより一層深まっているようなのだ。

  『春眠暁を覚えず・・・』というが、私の場合一週間以上、夜の喘息で熟睡できなかったこともあり昼間に眠気を覚えたが

  今は春の陽気に副作用が加わって睡魔に襲われ続けている感じだが、もしかしたら『加齢』ということも、『老衰』による『永眠』を導く

  一つの要因ではないだろうか・・・と私は信じ始めていて、事実であれば朗報であろうか。(あまりにも眠たくて何もかも面倒になり、永眠にいたる)

 

  そんな昨日、数少ない友人の一人、地元青い目の禅僧、『道海』さんに招かれて彼のアパートのテラスで夕食をごちそうになった。

 

           

  彼のアパートのテラスから見える風景は13世紀のカテドラルの塔(右側)、現在、州庁として機能するChâteau St-Maire(左)があって

  いかにも西欧っていう趣。写真の右側にはアルプスやレマン湖が広がって美しい景色がみえる。

 

  年に数回、禅尼僧の映愁さんも加わり、我々と4人で持ち回りで食事会をするが、何の屈託もない彼等との世間話は楽しい。

 

           

  長年、フランス郊外にある禅寺で典座として鍛えてきた道海さんの料理の腕前を発揮した料理に舌鼓を打ち、

  新緑をやどした木々の間を美しい鳥が行き交うさまを眺めつつ・・・春を満喫。 

  そこで一句   『 花粉舞う 意識飛び散る 春が来て 睡魔の中の 一服美味し 』 馬骨


  『覚問』としての悟学留学

2024年04月13日 | 東洋自分なり研究所

  私はいまスイス、フランス語圏に在住しているが、よくよく考えると何故こんな所にいることになったのか?・・・と思うことがある。

  三十年以上ここに住んでいるのに、ろくに現地語も出来ず・・・なんでアンタ(私)はここにいるのか?

  長年こちらに住んで、語学も堪能で現地の優れた人々と盛んに交流している誰かさんのようであれば、まだしも、そうでないアンタ・・・。

 

  世の中、『語学留学』という言葉があるが、私の場合強いて言えば『悟学留学』・・・てな、ところであろうか、と気付いたのは還暦もだいぶ過ぎた頃。

  日本語のまったく通じない国であればおそらくどこでも良かったであろう留学であるが、そこはそれ『他生の縁』みたいなものか。

  言語を介さない次元の探究にあって、同時に『言語化』を強要する『悟学留学』の『場』とはそういう場所をいう。

 

  しかし、『悟学留学』という点からみると、日本にありながら日本語が通じないという意味で、禅寺の存在はすでに『留学』先として『あり』であり、

  日本在住中、私はそのへんの事情にまったく気付かずに『悟学留学』如き、『禅寺』を修行の『場』として選択していたわけだ。

  指導していた禅僧がやたら怒鳴るのも『ここでは』言葉が通じない・・・という事を知らせんが為であったろうか… 。

  参考書として購入した本はよりによって『禅による生活』鈴木大拙著・・・日本語で書かれているが、内容はまったく理解できない書籍であったし

  実地の坐禅修行にしても、実はそれによって『悟りを標榜』しているとは、禅寺の誰もそんな事は言わず、私自身それを考える余裕すらなかった。

  禅寺では説明が一切なく、禅書はちんぷんかんぷん・・・。 それでも『何かがある気がする』・・・ただその確信だけが修行を継続する動機であった。

 

  今思うと、(禅)寺の『境内』・・・とはよく言ったもので、娑婆(しゃば)の人々にとれば、『境』の内側は通常の言語ではいかなる言葉も通じない

  『聖なる異界』であり、『悟学』によく通じる者だけが、『聖俗』の境界など無い、『別事無し』の風光を生きてゆく。

  であるから、禅寺では『覚問』の基礎を叩き込み、言葉の通じない『異国』に放り込んで『悟学』的『観』性を磨かせるわけだ・・・。

 

                   

        廬山は煙雨 浙江は潮 到らざれば千般の恨み消せず 到り得 帰り来たれば別事無し 廬山は煙雨 浙江は潮 (蘇東坡)

  

 


  『仏道』はマインドゲーム

2024年04月09日 | 東洋自分なり研究所

                        

 

 

  云わば、『仏道・勝手連』・・・みたいな感じで、それこそ勝手に、そしてブログというささやかな手段で『仏道』を応援する中、

  そういった事柄にまったく無関心な多くの人々達から見ると、我々は『仏道ゲーム』に遊ぶ者・・・として見えるのでは? という発想が湧いた時

  先日来、気になる存在となっているジョン・レノンの曲『マインドゲーム』・・・は、まさに『仏道』に遊ぶ者による『マインドゲーム』だと気がついた。

 

  その『マインドゲーム』自体は、2500年前釈迦が悟りを開いた時から広く人類に公開されてきた。

  『色即是空・空即是色』・・・と、『空』が解けなければ『色』も解けない・・・という設定でゲームが開始されたのだが

  何時の時代においても、そのゲームを自在に『遊戯三昧』に遊ぶ者は稀であった。

  1999年公開の映画『マトリクス』で、現実と仮想現実が示されたが、『赤いピル』を飲む不退転の決意をしめす者は、映画の主人公以外では

  現実にはおそらく一人もいなかったのではなかろうか。そもそも『仏道ゲーム』は、『赤いピル』を飲まなければ始まらないことになっている。

  ゲーム自体、映画のストーリー自体が始まらないのだ。

 

  私達は、『色』という平べったい世界に住んでいるのでは無い。それに『空』という深い次元を加えた世界に住んでいる。

  そのことを知りたければ『仏道マインドゲーム』を始めなければ・・・と私は思う。

  ジョン・レノンは歌の中で『愛は華だ』、と言っている。それって2000年前に立ち上げた大乗仏教の『法華経』や『華厳経』と同じ発想だろう!

 

                   

 

                      

     ボクらは一緒に、"マインド・ゲーム"をやっている 障壁を押しのけ、種を蒔いて “マインド・ゲリラ"となって
    「地上に平和を」と、マントラを唱えよう
 
     ボクらは皆、ずっとマインド・ゲームをやっている どこかの僧侶達だって、被り物をとって マインド・ゲリラを起こしている
    それを魔法と呼ぶ者もいれば、聖杯探しと呼ぶ者もいる
 
    愛がその答え 君はそれを、確かに知っている 愛は『華』だ 君がそれを、君がそれを育てるんだ
 
 
    だから一緒に、マインド・ゲームを続けよう 今から生まれる、未来を信じて 君にマインド・ゲリラは抑えられない
    絶対的などこか別の、心の中の石碑のような場所で そう、ボク等はずっとマインド・ゲームをやっている
    ボク等の想像を、空間と時間に映し出している
 
    イエスこそが答え 君はそれを、確かに知っている イエスとは譲る事 君がやるんだ、君が手放すんだ
 
 
    だから一緒に、マインド・ゲームを続けよう 儀式をしよう、太陽の下で踊ろう 数え切れないほどのマインド・ゲリラが
    魂の力で、カルマの車輪を回し ずっとマインド・ゲームをやり続けている 愛と平和の精神を育もう 愛だ!
 
    愛だ!  愛し合おう、殺し合わず  君等はもうすでにそれを知っている・・・    ( ジョン・レノン )

                                                                                        


  『観者』への『感謝』

2024年04月07日 | 東洋自分なり研究所

  『合掌』の真義の解明は『東洋自分なり研究所』の喫緊(きっきん)の課題であった・・・。

 

  鍼灸の仲間と禅寺へ月一回ぐらいで始めた坐禅修行であるから私は28か29歳(?)、以来『合掌』ではじまり『合掌』で終わる仏道修行の

  『合掌』であるが、いったいその真義は?・・・問もせず、問われもせず『寺』だから『仏教』だから、『合掌』は当然・・・ということできた。

  しかも、仏教の指導的立場の人からも『合掌』について、一言もなかったし、それについて書いてある仏教書も見当たらなかった。

  その意味では『合掌』も公案(禅問答)として自分で考察せよ・・・との教えとみなせば良いのであろうか?

 

  仏教の象徴ともいえる『合掌』・・・言葉で言い表せない状態を示していると思われるが、そこをあえて言えば『感謝』、ということになるだろうか。

  しかし、そこにはいちいち『感謝』する対象理由が言挙げされる次元の『感謝』ではないことはわかっていた・・・。

  ある日、『感謝』という言葉が『観者』と重ね合わせであることに気づいた時、下の二句を思い浮かべていた。

 

  『 何事の おあしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる 』 西行

  『 花も美しい 月も美しい それに気づく 心が美しい 』  足立慈雲老師

 

  このどちらの句にも、『気づき』・『観者』・『感謝』・・・があることが解り、そこには自然に『合掌』が行われたことがわかるのだ。

  つまり、『悟り』とは『観者』に覚醒することで、『観』の重要であることは古来より仏教は説いてきたが、現在それは『量子力学』によって注目されている。

 

                             

               『郷里・サトリ』を求めて三千里の善財童子、その象徴は『合掌』・・・の図

 

              

  


  還暦ギャラリー『森』〜 Susan in Japan

2024年04月05日 | 必撮無眼流

  私、一撮の写歴の中で非常に重要な意義というか、写義を自分に教えてくれた作品・・・であったなぁ、と思う作品です。

  スーザンとの出会いは、私に西洋への開眼と同時に、自分の国の伝統文化への開眼でもありました。

 

       

  27歳の時、勤めていた写真学校を辞め、『英語』に取り組む一大決心をして大阪と京都の間にある、枚方市の住み込み型、英会話スクールに入学

  そこで英語を教えていたオーストラリア人のスーザンと知り合い、恋愛関係になりました。

 

       

  スーザンは枚方から京都の街のど真ん中、むかし郭(くるわ)であったという古い家を借りて住み始め、私はよく遊びにいったのです。

 

       

        スーザンの友人の裁縫師が来てくれ、スカートの仮縫いの様子、畳に板の間の部屋・・・

 

                       

                   スーザンが飼ってた猫の名が『Basyo 』、その当時『芭蕉』と聞いてもなんとも思わなかった。

                   それでもこんな一句を詠んだっけ 『 そばだてる 猫の耳にも 届かじや 梅の香乗せた 新春の風 』

 

                     

      スーザンの向こうに俵屋宗達の『風神』があり、私は和洋がとりなす光の『美』を感じていた・・・

 

           

        京都の郊外、大原へ行った時、スーザンは『開け護摩・・・』と言ったのか?         壬生寺で初めてみた壬生狂言 『大原女』

 

                     

                古着屋で買ってきた着物にご満悦なスーザン        私は初めて観る『薪能』に『幽玄』という言葉の重みを知らされた・・・ 

 

       

          青春の光と影・・・というが、写真もまた光と影なのだ

 

       

        1981年、ギャラリー銀座Niko Salonで『Susan in Japan』写真展をした。

 

       


  パワハラと滝行

2024年04月04日 | 東洋自分なり研究所

  最近ちょっと気になる、というか『昭和のオジサンの憂慮』・・・的事柄が私の中で強まっている。

  『セクハラ』とか『パワハラ』、『モラハラ』などなど、嫌がらせ(ハラスメント)に対する抗議意識の高まりとその風潮について。

 

  『昭和のオジサンの憂慮』というのは、以前書いた 2023年4月1日のブログ記事〜気合の国・・・

  の記事のなかで言っている『気合教授法』というところに由来している。

  『気合教授法』というのは、日本の伝統的弟子教育法・・・とも言えるであろう、一見『ハラスメント』にみえそうで

  そうではない『パワー教授法』のことである。

  ただ、人間的に未熟な『師匠』が『パワー教授法』を使っているうちに、いつの間にかただの『パワハラ』・・・ということはママあるのが

  この『教授法』の切ないところではあるが、師弟の間に慈愛の信頼関係があれば、師の『一喝』は、何万語の戯言(たわごと)に優る教えはない。

  

  日本で『師と弟子』というとき、そこには暗黙の『気合(パワー)教授法』の了解が互いになされていた長い時期があったと思うが

  『師弟』とはまた違う、会社など上司と平社員の関係では旧来の『気合教授法』は、『パワハラ』とか『モラハラ』で糾弾されるのであろう。

  そして、それは『道』としての伝統文化的活動にまで徐々に及ぶのであろうか?

 

  10年ほど前、故郷の北見に帰った時、当時中学校の教師であった姉の息子はまた、バレーボール部の顧問をしており、近々市内の中学対抗試合があるとのことで、

  見学に出かけたところ、ある中学校のバレーの顧問の男の生徒に対するあまりの横柄な態度に、私はショックを受けるほど驚いた思い出がある。

  田舎の中高レベルのスポーツ顧問などはこのような大時代的、低レベルの指導者が幅をきかしているのか、と義憤を覚えたが、こういった連中が

  古来の『気合教授法』を『パワハラ』や『モラハラ』というハラスメントの次元に貶(おとし)め、肝心な『慈愛』を置き去りにしている。

 

  『パワハラ』・・・という語感から私が想起したのは、じつは『滝行』であった。

  私の人生で、なんだかんだで4,5回『滝行』を経験したが、一見どうということもないような小さな滝でも、実際その滝に打たれてみると

  結構な重量な水が頭、肩に絶え間なく打ち落ち続けるパワーこそは、『ハラスメント』を超えた『純粋パワー』で、だからこそ

  それに耐えるように念仏やら般若心経やら呪文が唱えられるし、また自己の弱さを自覚させられる『行』でもある。

  命がけの『滝行』のパワーを前にしたら、『パワハラ』なんて・・・と思えるほどだ。

  『滝行』のパワーに耐えるには、それこそ自己の持つ『全力の気合』を呼び起こす事が必要で、そうした経験が悩みや、問題の突破口を見出す『力』となる。

 

  世の中、どんなに『パワハラ』『モラハラ』を糾弾する時代になっても、それは必ず姿形を変えて『ハラスメント』をしかけてくるものだ。

  そういった準備もできていない幼子の世界ですら『いじめ』が横行するではないか。

  『愚かで悪意のこもったパワハラ』は受け流して、一切取り合わない『無(=慈悲)の力』に覚醒するのが『タイパ』的に一番であろう。

 

               

              あらゆる『ハラスメント』が横行する時代に生きた武士の甲冑