Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

ピスタチオ / 梨木香歩

2014-11-23 | 

 

この秋は、しょっちゅう風邪をひく。

免疫力が落ちているのだろう。

季節は冬へと向かおうとしている。

生き物たちは厳しい季節に向けて自らの生き残りを懸けて備える。

植物は葉を落とし冬芽をつくり、鳥や獣たちは体毛を冬毛へと生え替え脂肪を蓄える。

人は環境の変化に対して、どう対処してゆくのだろう?

居住空間を外気温より温かくして、被服を何枚か余分に重ね体温を保つ。

温かくて身体の内側からホカホカする鍋料理も好いよね。

文明の恩恵は、あまねく世界を覆っているように思える。

極東の島国で暮らす私たちにとっては…

 

梨木香歩の「ピスタチオ」は2010年発刊だから、4年前の作品だ。

この秋の文庫化を待って、手に取った。

最新短編集である「丹生都比売」は発売と同時に買って読み終えたが、

それを上手く咀嚼して文章化することが出来なかった。

つまらなかったわけではない。

ページをめくる手が何度もとまるほど心惹かれる記述に唸っていた。

唯、それを言語化出来なかった。

そしてピスタチオを一気に読み終えた。

「あぁ、これだったのか」とやっと得心した。

 

物語は東京近郊の武蔵野の面影が残る公園の側で暮らす

主人公と犬の静かな日常を綴る。

冒頭にターナーの名を文筆家名として使う主人公の語りが入る。

西洋絵画としては異例にウェットなターナーの画風そのままに、

気象の変化が、身体の代謝へと身体感覚を伴う記述。

 

風に流れる雲が、地上のあらゆるものと同じように自分の上にも影を落とし、

移動していくのがよく分かった。そして次の雲が通過していくのも。

その微妙な温度変化や風の質の変化が、草にも土にも自分にも、

すべて「平等に」起こっていることに恍惚となり、

このまま溶けてしまいそうだと思った瞬間、

自分が何かの一部であることが分かった。

自分は、何か、ではなく、何か、の部分なのだと。

部分であるからには、全体のバランスのなかに生きればいい。

 

生き物は環境の変化を身体感覚で捉え、生存のための道筋をつける。

何時からか、私たちが利便性と引き換えに置き去りにしてきたものだろう。

文明から遠く離れた辺境の地で暮らす未開の人々は、

日々のたつきを、環境の変化に応じた生命現象の括りの中でダイレクトに生きる。

それは否も応もない自然の理(ことわり)なのだろう。

人間が集団として生き延びるために必要なものは、

「裁き」と「学び」と「癒し」と「祈り」だと云う。

文明が一瞬で瓦解した震災以来、私たちが希求してきたのは、「癒し」や「祈り」だったように思う。

それは宗教以前の不確かな霊性にまで遡って、

人の心の核をなす「信仰」なのではないかと思い始めた。

信仰とは、圧倒的な自然の猛威(畏怖)に対する、

人のささやかな智慧(慈悲や寛容へと導かれる真理)を語り継ぐ祈りの伝承ではないだろうか?

最近、傾倒する野町和嘉の「祈りの風景」からも強くインスパイアされる。

 

さて物語は武蔵野の静かな暮らしから、遠くアフリカの大地、ウガンダへと移る。

ここから世界の軸が反転するように原初の祈りの風景へと。

世界と人とを中継する呪術師とのやり取りは、中島らもの「ガダラの豚」や

カルロス・カスタネダの「ドン・ファンの教え」を思い起こさせる。

アマゾンブックレヴューを見ると突然の世界の反転に、ここで挫折する人が多そうだ(笑)

神話世界的な原初の祈りの風景が残る、

アフリカ奥地の呪術世界こそ、この物語の核を為す部分だ。

最後に添えられるピスタチオと名付けられた入れ子のような物語は、「死者が安らかに眠るための物語」。

 

文庫版の解説は、あの管啓次郎が綴る。

この上もない極上の旅の作家から贈られるオマージュだ。

この作品に添えられた文章を読むだけでも文庫化を待った甲斐がある。

梨木香歩が綴る物語世界が辿り着いた到達点だと確信する。

最高傑作★★★★★。

 

ピスタチオ (ちくま文庫)
梨木 香歩
筑摩書房

 


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2 コメント

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読書 (鬼城)
2014-11-24 18:03:24
 最近、本屋さんに行っていなくて・・・宇和島は本屋さんが少ない上に置いてある本も売れ筋のみ・・・事務用品売り場とか、おもちゃ売り場、DVD,CD売り場と化しています。
 選ぶ楽しみも本屋さんとランスケさんが言っていたことを思い出しました。ピスタチオ、早速買いに行ってきます。これはあるだろう?
大地の祈り (ランスケ)
2014-11-24 20:48:46
鬼城さん、いつもコメントありがとうございます。

信仰心を失った、今の日本で私の想いは届かないかもしれません?
20世紀は科学を神として崇めた時代だったのでしょうね。
21世紀の先端科学は因果律を否定します。
美しい数式や公理の上に成り立っていた、この世界の秩序は錯覚であると。
偶然の賜物なのだと。

世界は常に変成を繰り返し、一時も同じものはないと。
仏教が唱えてきた諸行無常や諸法無我は、
此処にきて、また人間の根源的な真理として同期します。

人の想いは、その土地の言葉と共にある。

http://www.nomachi.com/g-ds.cfm?orderID=172

初めて、この写真と出会った時は、衝撃でした。
祈りとは大地の言葉を、唯無心に耳を傾けることだと。

土地の言葉を聴くとういう修辞を端的に表した文章があります。

水の循環とバランスが、環境においても生体そのものにおいても、
生命という現象を根底で担っていることには疑いの余地がない。
そのとき、例えば「植物の土地の言葉」というアメリカ先住民のどこかの部族の言い方が教えてくれるのは、
あるときの植生は、そのまま土地の降水量、陽光、土壌の性質などの表現に他ならないということで、
そのようなローカルな植生に依存して生きる動物たちは二次的な言葉、
つまり土地の修辞なのだといっていいだろう。

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