スローな生活

日々の生活の中で感じたことなどを書き綴ります。
犬や猫などの絵を描いてブログに載せています。

『雪』

2017-11-30 09:00:00 | 雑感



信じていたことが間違いだったという経験は
誰でもあると思います。

童謡『雪』は明るく軽快なメロディーで
多くの人に親しまれ歌い継がれてきました。

『雪』の歌い出しを
「雪やこんこん あられやこんこん」だと
信じこんで歌っている人が多いのですが

『雪』の場合は
「こんこん」と歌うのは間違いで
正しくは「こんこ」です。

私も昔は「こんこん」だと信じこんでいましたが・・・

1.雪やこんこ あられやこんこ
  降っては降っては ずんずん積もる
  山も野原も わたぼうしかぶり
  枯木残らず 花が咲く

2.雪やこんこ あられやこんこ
  降っても降っても まだ降りやまぬ
  犬は喜び 庭かけまわり
  猫はこたつで丸くなる

1番と2番を間違えて歌う人も多いようです。

「こんこ」の意味は諸説ありますが
来む(こん)=来い=降れ
と関係があると言われていて
次の2つの説が有力とされています。

1.「こんこ」=「こんこん」=「来む来む」=「降れ降れ」
2.「こんこ」=「来む此」=「ここに降れ」

1.「こんこ」=「来む来む(こんこん)」だとする説の場合は
『雪』の歌い出しが語源的には
「雪やこんこん あられやこんこん」となって
多くの人が信じこんで歌っている歌詞になります。
なぜ「こんこん」にしなかったかというと
別の童謡『雪やこんこん』の歌い出しが
「雪やこんこん あられやこんこん」で
まったく同じ歌詞になってしまうので
「こんこん」を避けて「こんこ」にした
という説です。

ちなみに『雪やこんこん』は
瀧廉太郎作曲、東くめ作詞の童謡で次のような歌詞です

雪やこんこん あられやこんこん
もっとふれふれ とけずにつもれ
つもった雪で だるまや燈籠
こしらへましょー お姉様

『雪』は作詞者、作曲者ともに不明となっていますが
『雪』と『雪やこんこん』は酷似しています。

ちなみに『雪やこんこん』は1901年に作られ
『雪』はその10年後の1911年に作られています。
 
 
猫とコスモス(秋桜)を描きました

コメント (4)
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『かごめかごめ』

2017-11-30 08:30:00 | 雑感



『かごめかごめ』は子供の遊びとしてよく知られています。
一人の子供が鬼となってしゃがんで目隠しをします。
鬼の周りを、他の子供たちが両手をつないで取り囲み
童謡『かごめかごめ』を歌いながら輪になって回り
「うしろの正面だあれ」と歌い終わったとき
後ろにいる子供の名前を鬼に当てさせ
当たれば当てられた子が次の鬼となって交代する
という遊びです。

童謡『かごめかごめ』の歌詞は
地方によって違うようですが
広く知られている?歌詞は
『かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 
夜明けの晩に 鶴と亀が滑った うしろの正面だあれ』
です。

今回は童謡『かごめかごめ』について考えます。
この童謡もいろいろな解釈がありますが
私にとってインパクトの強いものを紹介します。

「かごめ」・・・籠目のこと
籠目(かごめ)とは、竹などで編んだ籠の網の目で
唐丸駕籠(とうまるかご)を表します。
唐丸駕籠とは、江戸時代に罪人を護送するのに使われた
竹で作られた駕籠(かご)のことで
蜀丸駕籠(とうまるかご)や鶤鶏駕籠(とうまるかご)
とも書きます。
唐丸(蜀丸・鶤鶏)はニワトリの一品種で
唐丸を飼育する円筒形の竹籠に形が似ているので
唐丸駕籠とよばれました。

「籠の中の鳥」・・・牢屋の中の罪人のこと

「いついつ出やる」・・・罪人はいつ牢屋から出れるのか

「夜明けの晩」は奇妙な言葉で
いろいろな解釈ができますが・・・
夜が明けたら朝が訪れるはずなのに晩になるということは
罪人に朝は来ないということです。
『朝が来ない夜はない』という名言がありますが・・・
罪人は夢や希望の光が見えない
暗闇の中にいるということです。

「鶴と亀が滑った」は
長生きの象徴である鶴と亀が滑ったということで
死を意味しています。
つまり罪人が処刑されることを表しています。

「うしろの正面だあれ」は
罪人の首が切り落とされ
転がった首の前後が逆になり
首から見ると後ろが正面になって
「私の首をはねたのは誰?」
と正面にいる執行人に聞いています。

斬首され、胴体から切り離されても
人間の頭はしばらく意識がある
という説があります。

『かごめかごめ』は謎めいた不思議な歌詞で
色々な解釈ができて本当に奥の深い童謡です。
 
 
うさぎを描きました

TV番組で紹介されましたが
瀬戸内海に浮かぶ小さな島「大久野島」は
「うさぎ島」と呼ばれていて
人懐っこいうさぎが700羽も暮らしているそうです。

可愛いうさぎたちに会いに訪れてみたい場所です。

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『通りゃんせ』

2017-11-30 08:00:00 | 雑感



童謡は歌詞の解釈によって
ミステリアスな意味合いを持ちます。
 
『通りゃんせ』
江戸時代から伝わる童謡で
青信号のメロディでも使われたりして
よく知られています。
 
七五三の祝いに天神様にお礼を納める様子を
歌っていますが ・ ・ ・
 
「行きはよいよい 帰りはこわい」
という歌詞が腑に落ちません。
なぜ帰りが怖いんでしょうか?
 
間引き(子殺し)による口減らしの歌という説があります。
 
江戸時代の生命観では
「七つ前は神のうち」といって
七つまではまだこの世に命が定着していない状態で
「七つまでの子供」は「神の子」とされ
神にお返し(間引き)することが出来ると考えられていました。
 
生活が苦しく食べるものもなく
仕方なしに神にお返し(間引き)をしに行く
間引き(子殺し)した罪悪感から怖くなるという説です。
 
『通りゃんせ』の歌詞が成立した江戸時代に
5代将軍徳川綱吉が行なった「生類憐みの令」の本筋は
当時横行していた捨て子や子殺しを予防する政策でした。
 
”こけし”は
口減らしとして間引きした子供の供養の為に作られた物で
こけしの語源は「子消し」や「子化身」だという
まことしやかな話があります。
信じたくなるような話ですが ・ ・ ・
本来は子供の健康・幸福や子宝を願って作られた物です。
 
童謡は色々な解釈があって面白いと思います。
 

猫を描きました

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『「命」の繋がり』

2017-11-29 08:30:00 | 人生



NHK総合テレビ番組『ファミリーヒストリー』は面白い!
著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材する番組で
本人の知らないルーツが、どんどん判明していく
驚きあり、感動ありのドキュメンタリー番組です。

今を生きる自分自身のアイデンティティを確かめるには
父や母に目を向けなければいけません。

父や母がいたからこそ、「命」が繋がり
今ここに自分が存在する。

無数の偶然が積み重なって
今ここに自分が存在する。
今、この世でこうして生きていることが奇跡。

番組を通して気づかされました。

父と母はそれぞれどんな人生を歩んできたのか
父と母はどんな出会いをして結婚したのか
父と母に聞いてみたくなりましたが
父も母も亡くなり、今では聞く術がありません。

最近の私は人生を振り返る機会が多くなると同時に
父と母に目が向くようになりました。
 
 
上記の絵はポプラ並木をイメージして描きました

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余命宣告(父への思慕)

2017-11-29 08:00:00 | 私事



私が中学生になった頃から今日にいたるまで
それは突然にやってきます。

それとは「死」について考え“眠れない夜”のことです。
「死」とは私自身の死であり、身近な人たちの死です。

「ミレニアム」と騒がれた2000年を迎えることができずに
私の父は永眠しました。

父は医者からあと半年しか生きられないという
余命宣告を受けていました。
それでも最後の最後まで病気と闘いつづけましたが・・・・・

私と父はシャイで無器用な関係でした。
2人だけで話すことはほとんどなく、何かあったらお互いに
母や姉を通して伝えていました。

私が独り暮らしをするようになったのは、そんな父との窮屈な関係
から逃れたいという気持ちがあったことも一因しています。
父の死の数日前、2人だけで話す機会がありました。
会話の内容は思い出せないくらいのたわいもないものでしたが
寂しそうにつぶやいた最後の一言・・・「もう、だめだよ」が
忘れられません。

威厳があり、弱い部分を決してみせることがなかった父でしたが
その一言に対して、私はかえす言葉もなく
沈黙の時間が流れていきました。

死装束を着た父の姿をみながら
なぜもっと2人で話をしなかったのかと後悔しました。

そういえば私は父と2人で歩いた記憶がありません。
父といっしょに歩いてみたかったな・・・・・
そんな気持ちが強く残っているのか
雑踏を歩いていると、その中に父がいるのではと
今でもその姿をさがしてしまいます。



北国の雪景色をイメージして描きました

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『断捨離と終活』

2017-11-28 09:05:00 | 人生



断捨離』は2010年の流行語大賞にノミネートされてから
かなり浸透してきている言葉ですが
断行・捨行・離行というヨガの考え方がルーツになっていて
「断」「捨」「離」それぞれに意味があり
『断捨離』は奥が深い言葉です。
 
『断捨離』など漢字3文字の言葉は数多くありますが・・・
『断捨離』になんとなく似ている?言葉で
守破離』という私が好きな言葉があります。
 
『守破離』は剣道、柔道、茶道、書道など、○道の世界だけでなく
どんな世界でも通用する考え方で
道を究めるための修行の過程を
「守」「破」「離」の3段階に分けて表現しています。
「守」「破」「離」それぞれに意味があり
『守破離』も奥が深い言葉です。
 
私は昨年末から少しずつ『断捨離』を実行していますが
思い出のものが出てくると
懐かしさから、ついつい見入ってしまい
片づけの手が止まってしまいます。
 
必要なくなったので捨てようと思っても
過去の思い出にとらわれて捨てるのをためらったり・・・
思い出のものを捨てるには思いっきりが必要ですね(o^-^o)
 
終活』は最近よく耳にする言葉ですが・・・
家族がいない“おひとりさま”の私にとって
『終活』は極めて重要な関心事です。
 
私にとって『断捨離』は『終活』の第一歩です。
『終活』を意識して『断捨離』を進めていくと
本当に必要なものが見えてきます。
 
人生の終わり、「死」はいつ訪れるかわかりません。
「死」を現実と切り離して過ごしていても
大切な人の死を目の当たりにすると
「死」を意識するようになります。
『孤独死』という言葉が私の脳裏をよぎりますが・・・
死に際に後悔しないために、『終活』を続けていきたいと思います。
 
死んだら全てが終わり、無になるとしたら
何のために生きているのかと思ってしまいます。
私は死の先は無ではないと思いたいですね(o^-^o)
 
私は特定の宗教の信者ではありませんが
“魂”の存在や輪廻転生を信じているので
また生まれ変わると思うようにして
死への恐怖心をやわらげています。
 
脳細胞に電気信号が流れて
人間は思考することができます。
パソコンも電気信号によって
思考することができますが
人間のように“私”という自己意識がありません。
“私”とは何かと考えたときに
“魂”の存在を感じます。
 
子猫と子ウサギを描きました。

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『笑う門には福来る』

2017-11-28 08:55:00 | 雑感



笑う門には福来る』ということわざがありますが
笑うという行為が心身ともに良い影響を及ぼすことが知られています。
 
笑顔になると「α波」という脳波が発生します。
α波はストレスを軽減する効果があると言われていて
心では笑っていなくても、笑顔を作ればα波が発生します。
 
もちろん心から笑うのが理想ですが・・・
辛いことなどがあってネガティブな気持ちになっているときでも
笑顔を作れば、α波が発生して心を落ち着かせることができます。
無理に浮かべた作り笑顔であっても
ポジティブな感情が生まれます。
 
ネガティブな感情が全くない人はいないと思います。
根っから明るくポジティブなように見える人は
ネガティブな感情が生まれても
上手にコントロールできる人だと思います。
 

楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ
という名言があります。
 
楽しいときに笑うことは
至極自然な事ですが
辛く悲しいときこそ
笑顔でいたほうがいいということですね。
 
感情が伝染することを「情動伝染」と言いますが
「情動伝染」は知らず知らずのうちに起きます。
笑顔でいたら感情が伝染して、自分だけではなく
周囲を明るく楽しい気分にさせます。
 

正月の風物詩「箱根駅伝」が近づいてきました。
今年は青山学院大学が見事3連覇!しましたが
指導者としての原監督の存在は大きいと思います。
旧態依然としたトレーニング法を改善したこともさることながら
「情動伝染」によって原監督の人懐こい笑顔が伝染して
みんなが笑顔になり、明るくなったチームのムードが
3連覇達成に大きく影響していると思います。
 
青山学院大学陸上部の凄いところは
先輩後輩の理不尽な上下関係がなく
部員と原監督の距離感も近いということ
そして何よりも凄いところは
辛い練習のときにも笑顔が出ることです。
 
原監督がネーミングした箱根駅伝の戦術?はどれもユニークで
思わず笑みがこぼれてしまいますね(o^-^o)
   ↓
ワクワク大作戦(2015年)
ハッピー大作戦(2016年)
サンキュー大作戦(2017年)
 
笑顔が持つパワーは本当に大きいと思います。
 

猫を描きました

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『「3」という数字』

2017-11-28 08:30:00 | 数の不思議



」という数字は調和のとれた数字だと言われています。
」を含むことわざや慣用句が数多くあります。
拍子揃う」「度目の正直」「人寄れば文殊の知恵」 ・ ・ ・
 
毛利元就の「本の矢」はあまりにも有名な話です。
矢は1本だと脆弱でも本束ねると強靭になるように
人が結束すると特別な力が生まれるということです。
 
広島県にある清(すが)神社は毛利元就にゆかりのある神社ですが
Jリーグのサンフレッチェが必勝祈願に参拝する神社として
知られています。
 
「サンフレッチェ」というチーム名は
サン=、フレッチェ=矢(イタリア語)ということで
毛利元就の「本の矢」にちなんでいます。
 
」は「満つ(充つ)」と同じ発音なので
おめでたい数字だとも言われています。
 
カップラーメンが出来るまでの分という時間は
ストレスを感じることなく待てる時間のようです。
 
プロ野球では冠王、トリプル(330本30盗塁)
という言葉(記録)があります。
 
自然数において
「各桁の和がの倍数であれば、その数はの倍数である」
ということはよく知られています。
例えば528は5+2+8=15で
15はの倍数なので528はの倍数となります。
 
友人と2人だけで会うのもいいし
4、5人で会うのもいいですが
人で会うと心地よい空気感!?が生まれて
なんとなく会話が弾む!?ような気がします。
 
」に限ったことではありませんが
数字は本当に不思議だと思います。
 
 
ポメラニアンの赤ちゃんを描きました。
つぶらな瞳とちょこちょこ動き回る仕草が
とても可愛いですね

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折り鶴が舞い降りる

2017-11-27 12:35:00 | 短編小説
夢だと気付かずに夢を見ているように
今見ているこの現実が夢だとしても
不思議ではありません。

主人公の舞子は高校1年生で
夢と現実の区別がつかない
不思議な体験をします。



『折り鶴が舞い降りる』


昨夜から降り出した雪は
今朝になっても降り続き
あたりをすべて静寂な
白一色の世界にしていた。

高校1年生の舞子は
いつものように学校に向かったが
自宅から学校まで徒歩三十分程の道が
降り積もった雪によって
白く覆い隠されていた。
見慣れた風景は全て白く染まり
舞子は自分がどこにいるのか
分からなくなってしまった。

「いったいここは何処なんだろう」

音もなく降り続く雪は
舞子を白く染めていき
舞子の意識はだんだん遠のいていった。

学校には舞子の居場所がなかった。
朝、教室に入って
「おはよう」と声をかけても
誰も挨拶を返してくれない。

クラスの皆は舞子に見向きもしないで
いくつかのグループに分かれて
談笑している。

座席は入学当初のまま
出席番号順に並んでいて
舞子の席は窓際の一番後ろだったが
まるで教室の後ろ隅に隔離されているような
孤独感があった。

窓際の後ろから二番目の席
つまり舞子の前の席に
「陽子」という名前の子がいた。
舞子と陽子は入学当初から気が合い
お互いを「舞ちゃん」「陽ちゃん」
と呼び合い
まるで姉妹のように
仲が良かった二人だったが
陽子は夏休みを境にして
舞子に何も伝えずに転校してしまった。
夏休み明けに担任からの説明で初めて知り
舞子はショックを受けた。
親しくしていたのに
なぜ話してくれなかったのか・・・
舞子の前の席はずっと空いたままになった。

おとなしい性格の舞子とは対照的に
陽子は誰とでも仲良くなれる
明るい性格だった。

高校に入学したばかりの頃
陽子は休み時間になるたびに
折り紙で折り鶴を折っていた。

「なぜ折り鶴を折っているの」
舞子は折り鶴を折る理由を聞いてみた。
「祖母が入院しているの。お見舞いに千羽鶴を作ろうと思って・・・」
「早く元気になるようにとひとつひとつ願いを込めて折っているの」
「私にも折らせて。心を込めて折るから・・・」
陽子が魂を込めて折っている姿を見ながら
舞子は言った。

それからしばらくの間、休み時間になると
ふたりで折り鶴を折るようになった。
折り鶴に命を吹き込む共同作業は
舞子にとってとても楽しかった。
ふたりにとって折り鶴は
単なる「紙」で折った鶴ではなく
命を宿した生き物のようにも思えた。

陽子は手のひらに折り鶴を乗せて
満面の笑みを浮かべながら
「このまま空に飛んでいきそうだね」
 と言った。

陽子がいなくなってから
クラスの皆から避けられているような
違和感を舞子は感じるようになった。
まるで魂の抜け殻のような舞子の佇まいが
他を寄せ付けなかったのかもしれない。

屋上へと続く階段を上りきったところにある
踊り場は二人にとってはお気に入りの場所で
昼休みにお弁当を食べたり
放課後に他愛もない話をして過ごす
贅沢な空間だった。

踊り場にある扉には
「立ち入り禁止」の張り紙があり
鍵がかかっていて
屋上へいけないようになっていた。

陽子がいなくなってからも
舞子はその場所に足を運んだ。
陽子との思い出を確かめるためだったが
居場所のない舞子が
避難する場所でもあった。

ある日の昼休みにその場所に行くと
鍵がかかっているはずの扉が開いていた。
舞子は不思議に思いながら
屋上に足を踏み入れると
そこには一人佇む女子生徒がいた。
舞子と彼女の視線が交わり
どちらからともなく会釈をした。
「いつもは鍵がかかっているんですけど・・・」
舞子は訝しげに言った
「私、鍵を開けることができるんです」
と彼女はこともなげにそう言ってから
「教室には私の居場所がなくて・・・」
と言って寂しげな顔を舞子に向けた。
「私もそうなんです」
舞子は共感した。
会話が弾んだように思ったが
不思議なことに後で振り返ってみると
その時どんな話をしたのか
思い出せなかった。

それ以来、昼休みになると
舞子は引き寄せられるように屋上へと向かい
彼女との会話を楽しんだ。

彼女についてわかっていることは
上履きの色から同じ一年生だということと
扉の鍵を開け閉めできて
扉が開いているときに
彼女が屋上にいるということだった。
舞子が不可解に思ったことは
同じ一年生なのに屋上以外の場所で
彼女を見たことがないということだった。

やがて舞子は気になる噂を耳にした。
過去に屋上で飛び降り自殺があり
それがきっかけで屋上が
立ち入り禁止になったということだった。

まさか彼女は・・・

舞子は思い当たる節があり胸騒ぎを感じた。
舞子は彼女に会って確かめたかったが
その噂を聞いて以来
彼女に会うことはなかった。

ある日、いつものようにその場所に行くと
ずっと閉まったままだった扉が開いていた。
前夜から降り出した雪が
屋上一面に敷きつめられていた。

降り積もった雪の上を歩いて
足跡をつけることが楽しかった・・・
舞子は無邪気な子供の頃を思い出しながら
自分の存在を確かめるように
一歩一歩雪面に足跡をつけていった。

ふと気配を感じて振り返ると
彼女が舞子を見つめながら佇んでいた。
彼女がゆっくりと近づいてきたとき
舞子は彼女の正体を確かめることができた。

雪面に彼女の足跡がついていなかったのだ。

彼女は舞子に向かって
静かな口調で話し出した。
「私はここから飛び降りて自殺したけど、自殺しても居場所がなくて・・・」
「自殺しなければよかったとすごく後悔しています。」
「居場所って自分で作るものだということがわかったし・・・」
「私のことを大切に思ってくれた家族や友人がいたのに・・・」

彼女の話を聞いているうちに
だんだんと意識が遠のいていき
気が付くと舞子は雪面に独り
仰向けに横たわっていた。
視界いっぱいに広がる冬空から
真っ白で綺麗な雪がふわりふわり舞い降りて
あたり一面を白く染めていた。

「いったいここは、何処なんだろう」
舞子は起き上がろうとしたが
身体が動かなかった。
「このまま雪と同化して、雪と共に解けて消え去るのも悪く無い・・・ 」
スローモーションのように
ゆっくりと舞い降りてくる雪をみていると
まるで空中を浮遊しているような
不思議な感覚があり心地よかった。
舞子は静かに目を閉じ
その心地よさに身をゆだねた。

「舞ちゃん、起きて」
聞き覚えのある声が聞こえてきた。
舞子が目を開けると
舞子を覗き込む陽子がいた。

「舞ちゃん、ごめんなさい。黙って転校しちゃって・・・」
「実はいじめを受けていて、学校に行かれなくなってしまって・・・」 
「一番ショックだったのは、舞ちゃんと一緒に折った千羽鶴をお見舞いに持っていこうと思って
 ロッカーから出したら取り上げられて教室の窓から投げ捨てられたこと・・・」
「他のみんなは見て見ぬふりをしていて・・・」

舞子は陽子がいじめを受けていたことに
気付かなかった。
陽子はいじめにあっていることを
周囲に気づかれないように
明るく振る舞っていたのだ。

そのとき舞子は神秘的な光景を目にした。

雪がやんだと思っていたら
無数の折り鶴が空から
ふわりふわり舞い降りてきたのだ。

「舞ちゃん、起きて」
陽子の声と共に自殺した彼女の声が
どこからともなく聞こえてきた。
「自殺しても居場所がなくて・・・」
「居場所って自分で作るもの・・・」

 すると突然、舞子の身体が宙に浮かんだ。
 舞子が横たわっていたのは雪面ではなく
 巨大な白い折り鶴の背中だった。
 その心地よい浮遊感によって
 舞子の意識は静かに遠のいていった。

右手に温かいぬくもりを感じ
再び目を開けると
舞子は病室のベッドの上にいた。
ベッドの傍らで陽子が舞子の右手を
両手でしっかりと握りしめていた。

舞子は学校の屋上から
飛び降り自殺を図った。
幸い降り積もった雪がクッションになり
一命はとりとめたが
意識不明の状態が続いていた。
舞子は意識を取り戻したが
夢と現実の区別がつかなかった。
舞子が今見ている光景が現実だとすると
夢と現実が奇妙に一致していた。
現実ではいじめを回避するために
陽子は転校し
いじめにより精神的に追い詰められて
舞子は飛び降り自殺を図った。

二人に共通していたことは
弱い部分を見せたくないという
気持ちがあって
いじめにあっていることを
周囲の人に知られたくなかった
ということだった。



ベッドサイドには千羽を超える折り鶴と
一際目立つ大きな白い折り鶴が飾られていた。

大きな白い折り鶴を折ったのは陽子だった。

人間は、目の前にあるものを
五感を使って認識しているが
五感では認識できなくても
実際に存在しているものがある。

舞子は今見ている世界が
全てではないと思いながら
窓越しに外の景色を眺めた。

窓の外では、無数の折り鶴が
空からふわりふわり舞い降りていた。
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『夢の不思議、数の不思議』

2017-11-27 08:15:00 | 数の不思議



最近、父と母の夢をよくみます。
 
生前の元気だった頃の父と母が
夢の中で私に話しかけてきます。
母はいつものように明るく饒舌で・・・
寡黙だった父も夢の中では饒舌です。
夢に登場する人物は
父、母、私の3人だったり
姉や妹、友人が加わったり
いずれも楽しく談笑している夢です。
 
夢は自分の深層心理を映し出す鏡!?
 
ひとりでテレビをみたり
ひとりで食事をしたり・・・
誰とも話さずに一日が終わることがある私にとって
「家族団らん」という言葉はまったく無縁ですが
「家族団らん」に憧れている自分が
心のどこかに存在しているようです。
 

さて、数の不思議さについて
触れたいと思います。
 
〇5×〇5の計算は
簡単に覚えられる法則があります。
 
5×5=25
15×15=225
25×25=625
35×35=1225
45×45=2025
55×55=3025
65×65=4225
75×75=5625
85×85=7225
 ・ ・ ・ ・ ・
 
〇5×〇5の計算は
(〇+1)×〇の計算結果に25をつければいいだけで
非常に簡単です。
 
例えば
35×35は12 (4×3=12)に25をつけて1225
65×65は42 (7×6=42)に25をつけて4225
105×105は110 (11×10=110)に25をつけて11025
 

夢の不思議、数の不思議、・・・
世の中は不思議な事だらけです。
 

コスモス(秋桜)と子犬を描きました
 
コスモスは見た目が清楚で可憐な感じですが
過酷な環境でも力強く育ちます。

そんなコスモスが私は好きです

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『漂流郵便局』

2017-11-27 08:05:00 | 雑感



以前“震災漂流物”が話題になったことがあります。
“震災漂流物”とは
東日本大震災によって発生した巨大津波により
海に流れ出た漂流物のことです。
家屋や車、家財道具など様々なものが
大量のがれきとなって海に流出しました。
たくさんの思い出が詰まったものが
“がれき”と化してしまって ・ ・ ・
あまりにも切なすぎますね。

“震災漂流物”など多種多様な漂流物は
長期間、波に揉まれて海岸に漂着することがあります。
海岸に漂着した漂流物は無言ですが
想像力を働かせると実に多弁です。

島崎藤村作詞・大中寅二作曲の
唱歌『椰子の実(やしのみ)』
あまりにも有名ですね。

名も知らぬ遠き島より♪流れ寄る椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて♪汝(なれ)はそも波に幾月
・ ・ ・ ・ ・

唱歌『椰子の実(やしのみ)』
海岸に漂着した“椰子の実”をモチーフ にして
想像力を働かせて書かれた詩です。


瀬戸内海に浮かぶ香川県の離島“粟島(あわしま)”に
『漂流郵便局』というものがあります。

『漂流郵便局』は旧粟島郵便局を改装して
生まれ変わらせた郵便局で
亡くなった家族、元恋人、会うことができない人などに宛てた
届けることができない宛先不明の郵便物を預かります。

『漂流郵便局』に漂い続ける沢山の想い・・・
粟島は潮流等の関係で漂流物が漂着しやすい島なので
届け先がなく漂う思いが流れ着く場所としては
相応しいのかもしれません。

『漂流郵便局』は行き場のなかった思いが行き着く場所

時空を超えて思いが届くことを願って
今日も『漂流郵便局』に郵便物が流れ着きます。
 
 
猫を描きました

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『記憶転移』

2017-11-27 08:00:00 | 雑感



漢字の「心」は「心臓」を描いた象形文字として知られています。
英単語のheartは「心」「心臓」両方の意味があります。

心臓は文字通り心の臓器で
「心臓という臓器に心が宿っている」
という考え方は昔からあったようです。

科学的根拠はありませんが
心臓移植によって
レシピエント(臓器受容者)の趣味嗜好、性格などが一変して
ドナー(臓器提供者)のものに変わってしまったという体験は
珍しくないようです。

このような現象は『記憶転移』と呼ばれていますが
テレビのドキュメンタリー番組、映画、小説などで
扱われてきました。

テレビドラマ「エンジェル・ハート」では
ストーリーの背景として『記憶転移』が扱われていました。

科学的に証明できないものは世の中に数多く存在します。

「人間は死ぬとき体から魂(心)が抜け出て体重が減る」
という説があります。
「幽体離脱」はよく聞く言葉ですが
魂(心)に質量があるかどうかは疑問です。

「心」と「魂」は何が違うのか?
という質問に対する答えは
人によって様々ですが
よく言われることは
「心」は揺れ動くもので「魂」は不動のもの
ということです。
女心とか・・・

「心」と「魂」は似たようなものだと思います。
同じものを異なる表現で言ってるだけのような感じもします。

私は特定の宗教の信者ではありませんが
魂の存在を信じています。
輪廻転生もあると思います。

人間の思考や喜怒哀楽の感情は脳で起きていますが
なぜ脳がそのような働きを持っているのかは
現代科学では解明することができません。

人間は遺伝子という身体の設計図を持っています。
その精巧な生命の設計図を、いったい誰が書いたのか?

不思議なことはいろいろありますね(o^-^o)
 
 
猫を描きました

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『ふわふわしたもの』

2017-11-27 07:15:00 | 雑感



どうやら私は、ふわふわしたものが好きらしい。
 
コーヒーに浮かべて、まったりゆっくり溶けていく
ふわふわなマシュマロ
 
味噌汁の具として大好きな
ふわふわな麩
 
ディズニー映画『ベイマックス』に登場した
心優しいロボット“ベイマックス”は
ふわふわして可愛い!
 
絵本「バーバパパ」に出てくる不思議なキャラクター
“バーバパパ”もふわふわして可愛い!
ちなみに“バーバパパ”は“綿菓子”を意味する言葉です。
 
綿菓子もふわふわしていて好きです。
子供の頃は不思議な食べ物だな~と思っていました。

感覚的なイメージとしての「ふわふわ」は
"疲労やストレスを癒す気持ちの良い存在"
 
ふわふわな "ぬいぐるみ" は心を癒す効果があります。
 
「ぬいぐるみ療法」という心理療法があり
実際にカウンセリングとして使われています。
 
ぬいぐるみを撫でたり、抱いたり、話しかけたり
することによって、心がゆるんであたたかくなります。
 
猫好きな人にとっては
ふわふわな猫を撫でたり、抱いたり、話しかけたり
することによって、心がゆるんであたたかくなります。
 
誰もが“ふわふわしたものが好き”
なのではないでしょうか?
 

ひまわりを描きました。

ひまわりといえば夏のイメージがありますが
秋に咲くひまわりもあるんですね(o^-^o)
ひまわりを見てるとなんだか元気になります。

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『一つの花』

2017-11-26 16:20:00 | 雑感



コスモス(秋桜)は
清楚なやさしい風情があり
私は好きです。

『一つの花』という題名の物語があります。
長い間、小学校4年生の国語の教科書に掲載され
広く読まれている物語です。

太平洋戦争末期
まだ片言でしか話ができない幼いゆみこは
両親と一緒に3人で暮らしていました。

戦時中の食糧難の時代
お腹をすかして食べ物をねだるゆみこに
母親はいつも「一つだけね」と言い聞かせて
自分の分をゆみこに分けてあげていたので
いつのまにか、「一つだけ」という言葉が
ゆみこの口癖になりました。

やがて、体の弱い父親にも赤紙(召集令状)がきて
戦争に行かなければならなくなります。
父親との別れの時間が迫ってきたとき
ゆみこはまた「一つだけ」と言ってぐずりました。

父親はプラットフォームの端っこに
忘れられたように咲いている
コスモスの花を見つけました。

父親は一輪のコスモスの花をゆみこに握らせて
「一つだけのお花、大事にするんだよ」と言います。
喜んでいるゆみこを見た父親はにっこり笑うと
何も言わず汽車に乗り込み、行ってしまいます。
父親はそのまま帰らぬ人となりました。

それから10年の歳月が過ぎ
ゆみこは、とんとんぶきの小さな家で
母親と2人で暮しています。
ゆみこに父親の記憶はありません。
コスモスの花が家の周りにたくさん咲いています。

という物語です。

花=命
一つしかない命を大事にしなさいという
メッセージが込められている感じがします。

家族のささやかな幸せを奪ってしまう戦争
この物語を通して
戦争の残酷さ、平和の尊さが伝わってきます。

「秋桜」の歌詩が浮かんできます
♪薄紅のコスモスが秋の日の
♪なにげない日溜まりに揺れている

風に揺れて咲いているコスモスを見ていると
優しい気持ちになります。

花には人の心を癒す力がありますね(@⌒ο⌒@)


少女とコスモス(秋桜)を描きました

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『禎子さんの残した折り鶴』

2017-11-26 16:05:00 | 雑感



「鶴は千年、亀は万年」と言われるように
鶴は長寿を象徴する存在で縁起のいい鳥です。

折り鶴といえば・・・
広島平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデル・・・
佐々木禎子さんのストーリーはあまりにも有名ですね。

2歳の時に被爆した佐々木禎子さんは
10年後に突然、原爆症(白血病)を発症し
入院を余儀なくされました。
禎子さんは「生きたい」という願いを込めて
懸命に病室で鶴を折り続けましたが
8カ月の闘病生活の末、亡くなりました。

禎子さんにとって折り鶴は
単なる「紙」で折った鶴ではなく
命を宿した生き物のように思えたのかもしれません。


昨年、現職の米大統領として初めて
オバマ大統領(当時)は広島平和記念公園と原爆資料館を訪れましたが
原爆資料館に展示されている禎子さんの折り鶴に強い関心を示し
携えてきた自作の折り鶴を広島市へ贈りました。

「原爆の子の像」の周りには
世界中から送られてくる千羽鶴が手向けられています。
広島において「折り鶴」は「平和のシンボル」・・・
オバマ大統領が寄贈した自作の折り鶴は
単なる「紙」で折った鶴ではなく
平和への願いが込められています。


戦後72年・・・近い将来、戦争を体験された方がいなくなります。
戦争の記憶が薄れ、風化が 進んでいます。
平和に慣らされた最近の若者の中には日本が戦争をしていたことや
広島・長崎に原爆が投下されたことを知らない人もいます。

戦争をしていた時代を生きた人たちがいて
今の平和な時代があるということ・・・
世界情勢が不穏な動きを見せている昨今
強く心に感じています。



「折り鶴」を描きました

折り紙は世界共通語(origami)ですが
「折り紙幾何学」という数学の分野として研究されています。
「折り鶴」は折り紙を代表する存在ですが
誰が考案したのかは不明のようです。



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