先日、久々にJRを利用した。
いろいろと様変わりをしていることに改めて戸惑う。
昔は〇鉄バスに乗れば駅前に到着時間が都合よく汽車の発車時刻に接続していて非常に便利だった。
しかし、今は殆どその配慮がない。
バスを急いで降りてあと数分で汽車発車という場面で、切符を買う余裕がない。
大きな荷物を持って階段を上り下りを焦ってするには危険な年齢になった。
現在、改札口に職員は立っていないことが多い。
窓口に駆け込んで、切符を買う余裕がない。到着後に買いたいと思うので現在の駅から乗った証明書を下さいと頼むが、「そんなものはありません。発車まであと1,2分であるから、もう間に合わないです。」とけんもほろろ。
あ〜昔は良かった。
改札口の職員がいろいろ気を使っていた。年配の乗客が駆け込ん来たら、こっそりと無線(?)で今、最後の乗客がそちらに向かったぞと汽車の運転手に連絡してくれてちょっと待ってもくれていた。
そんな場面を良く見かけたものだった。
今は田舎の駅だからなのか改札口にもプラットフォームにも人はおらず、無人駅なのかと思うほど。
田舎駅限定かもしれないが、接続の列車の乗り場のアナウンスもないし、表示も小さくわかりづらい。
ああ、そうそう、時計もない。
スマホアプリがなけりゃ私は多分、汽車で乗り継ぎは出来ないのではないかと思う。
しみじみJRのいや、国の凋落を感じる。
これから、少子高齢化社会に向かう。
今まで当たり前に享受してきたサービスがだんだんと当たり前ではなくなって不便が当たり前の世の中になっていくのだろう。
けんもほろろの職員に腹をたてた私だが自分こそが世の中のシステムに沿う事が出来なくなっているのだろうと思う。
アップデート出来なくなって昔を引きずっている。
傾国を嘆いても仕方ない。
自分自身をアップデートしなければ、、、。
不便が当たり前、今までの便利が異常。
そうつぶやきながら、私は駅の構内を彷徨った。