私は、「色」に昔から興味があります。
高校生の片道40分かけて自転車通学をしていたことは、以前ここのブログで書かせてもらいました。
で、色。
その思春期時代に、制服を着て自転車を
漕ぎながら、だいたい帰り道に想起していた色について、また感覚についての持論があります。
赤は、本当に赤なのか。
自転車を運転している私が見ている赤と、隣で信号待ちをしているドライバーの赤は、多分同じですよね。でないと、交通事故に繋がりかねない。
でも、赤という同じ色を見て、本当に赤と思っているとは限らないんじゃないか。
例えば、ドライバーは紺色という色を赤という名前で呼んでいて、信号でいう、「止まれ」の赤も、私が思っている紺色を認識しているのでは?
という疑問です。
この疑問を、大学一年生で寮に入ったときに、同部屋の子はじめ同級生らに投げかけてみました。
日本全国から集まってきた数十人に聞いてみました。
言っていることは理解してくれたけれど、答えはそこでは得られず。
寮は、私はたった一年間で出ましたけれど、寮祭で弾けたり、点呼や門限もあって窮屈なところも楽しくて、かけがえのない一年間ともなりました。
自分がなかなか高校時代に言えなかった疑問などの話しを、みんなにしたりするうちに、
私、どうしても一度は哲学を学びたかったんだなと、思いました。
思春期のアイデンティティ?
色の話は、実は導入みたいなもので、
感覚の話がまだですね。
別の機会に譲ります。
秋に夜長に
ごきげんよう。