長編の物語
いしいしんじさんの小説を読むのはこの作品が初めてです。
以前、読んだ
いしいしんじさんの小説を読むのはこの作品が初めてです。
以前、読んだ
とある小説の解説を書いておられて、そのおかげで読後のもやもやが少し晴れた体験がありました。
いつか、いしいさんの小説を読んでみたいなぁと思い数冊買いこんだうちの一つ。
「ポーの話」
最初は穏やかなファンタジーの物語なのかなと思いました。
主人公のポーはうなぎ女たちの育てた黒くて手には水かきをもち、泥の中を苦も無く泳げる不思議な子供。
うなぎ女たちは人ならざる生き物のようです。
発する声は「うー」とか「あー」とか。けれど、時折思念のような想いが 詩のように出てくるんです。
それが、ふっとあったかい気持ちにさせられます。
きっとこの世のすべての母親という母親はこんな愛情を子たちに注いでいるのではなかろうか・・・
「スフスフ。
スフスフ。
かあさんたちの命は、いつだっておまえのしあわせとともにある。」
ポーがどんな困難に強いられていても、あるいは素晴らしい出会いに恵まれた時も
ポーはいろんな出会いを経験していきます。
人の気持ちによりそうことを知らないポーは出会いを通して、心のあたたかさを学んでいるようです。
ある少年は鳥が大好きで巣箱を一生懸命作っています。その少年のセリフより
「どの鳥にもきっとそれぞれ、ちょうどいい、理想の巣箱があるんじゃないかな。からだのサイズや暮らしかたにもぴったりで、そこでならほんとうにきもちよく、その鳥らしい鳴き声をあげられるような、そんな巣箱さ・・・・(中略)」
「ぼくは体が悪いから、ほかの人より、ちょっとのしごとしかできないだろ?だから、そのちょっとのことだけはさ、大切にね、ほかの人がやらないくらいにていねいに、やらなくちゃいけない、って気がするんだよ」
以前、ポーはこの少年に「身体が曲がっているから泳いだら沈んでうなぎのえさになる」と悪気もなく発言していました。
さらに、大怪我をした人の伸びた足を悪びれもせず踏んでしまったり
メリーゴーランドと呼ばれる男の真似をして盗みをしてみたり
でも盗みをした日は
「背中が汗でべたべたになって、朝は寝る前より一層胸が詰まっている。ぬるい水の中にとじこめられているような感じなんだ」
動物園のゾウにバナナを与える。その行為をメリーゴーランドから「つぐない」だと教えられます。
つぐない
罪悪感
このあたりが、この小説のテーマなのかもしれません。
少年の祖父「犬じじ」は狩猟で生計を立てています。
ポーは犬じじに聞きます。
「じゃあさ、ほんとうのつぐないって、いったいどういうのだろう?」
「みんなそいつを、一生かけてさがすんじゃないかね。泥の中をのたくるみたいに」
ポーとともに旅をしてきた「天気売り」とよばれる子供がいるのですが
あんまり詳しく描くと未だ読んでおられない方に失礼なので我慢します。
この天気売りがけなげでとても良いパートナーです。
天気売りの想いより
「そうです。空、でかいかがみです。目に見えないおおぜいのかおうつっているのです。(中略)ひとりではないのです。」
このあと、想像を超える展開がポーにも読み手にも起こります。
読みながら泣いて泣きながら唸って、偉大なるものへの畏敬の思いでいっぱいになってしまいました。
人は出会いと別れを繰り返して
与えられ
うばわれ
つぐないをする生き物なのでしょうか・・・・
いつか、いしいさんの小説を読んでみたいなぁと思い数冊買いこんだうちの一つ。
「ポーの話」
最初は穏やかなファンタジーの物語なのかなと思いました。
主人公のポーはうなぎ女たちの育てた黒くて手には水かきをもち、泥の中を苦も無く泳げる不思議な子供。
うなぎ女たちは人ならざる生き物のようです。
発する声は「うー」とか「あー」とか。けれど、時折思念のような想いが 詩のように出てくるんです。
それが、ふっとあったかい気持ちにさせられます。
きっとこの世のすべての母親という母親はこんな愛情を子たちに注いでいるのではなかろうか・・・
「スフスフ。
スフスフ。
かあさんたちの命は、いつだっておまえのしあわせとともにある。」
ポーがどんな困難に強いられていても、あるいは素晴らしい出会いに恵まれた時も
ポーはいろんな出会いを経験していきます。
人の気持ちによりそうことを知らないポーは出会いを通して、心のあたたかさを学んでいるようです。
ある少年は鳥が大好きで巣箱を一生懸命作っています。その少年のセリフより
「どの鳥にもきっとそれぞれ、ちょうどいい、理想の巣箱があるんじゃないかな。からだのサイズや暮らしかたにもぴったりで、そこでならほんとうにきもちよく、その鳥らしい鳴き声をあげられるような、そんな巣箱さ・・・・(中略)」
「ぼくは体が悪いから、ほかの人より、ちょっとのしごとしかできないだろ?だから、そのちょっとのことだけはさ、大切にね、ほかの人がやらないくらいにていねいに、やらなくちゃいけない、って気がするんだよ」
以前、ポーはこの少年に「身体が曲がっているから泳いだら沈んでうなぎのえさになる」と悪気もなく発言していました。
さらに、大怪我をした人の伸びた足を悪びれもせず踏んでしまったり
メリーゴーランドと呼ばれる男の真似をして盗みをしてみたり
でも盗みをした日は
「背中が汗でべたべたになって、朝は寝る前より一層胸が詰まっている。ぬるい水の中にとじこめられているような感じなんだ」
動物園のゾウにバナナを与える。その行為をメリーゴーランドから「つぐない」だと教えられます。
つぐない
罪悪感
このあたりが、この小説のテーマなのかもしれません。
少年の祖父「犬じじ」は狩猟で生計を立てています。
ポーは犬じじに聞きます。
「じゃあさ、ほんとうのつぐないって、いったいどういうのだろう?」
「みんなそいつを、一生かけてさがすんじゃないかね。泥の中をのたくるみたいに」
ポーとともに旅をしてきた「天気売り」とよばれる子供がいるのですが
あんまり詳しく描くと未だ読んでおられない方に失礼なので我慢します。
この天気売りがけなげでとても良いパートナーです。
天気売りの想いより
「そうです。空、でかいかがみです。目に見えないおおぜいのかおうつっているのです。(中略)ひとりではないのです。」
このあと、想像を超える展開がポーにも読み手にも起こります。
読みながら泣いて泣きながら唸って、偉大なるものへの畏敬の思いでいっぱいになってしまいました。
人は出会いと別れを繰り返して
与えられ
うばわれ
つぐないをする生き物なのでしょうか・・・・