キムラトモミの絵と版画 制作ノート

日常の中の非日常、目に見えない大切なものを
少しでも形にしたくて制作しています。猫のいるこの世界が好きです

読書メモ 悪魔とプリン嬢

2020年02月03日 | 読書メモ
パウロ・コエーリョ著
悪魔とプリン嬢
⚠️完全にネタバレです

前半のあらすじはこうです。

人は生まれながらの悪なのか、善なのか

武器を商売にしてきた男はテロリストに妻と娘を殺される。自分の身に起こった出来事は身分不相応で 男は人間の本性は悪なのだと証明しようと 小さな田舎町に1週間滞在する
1人の娘に自分の提案を伝え 住民に知らせるようにと言う。
その提案とは
「町中の住民が一生食べていける黄金と引き換えに、1人の住民を殺せるか?」

黄金のひとつの隠し場所を娘に伝えさらに
「ここに隠すことをお前に教える。だがこれは俺の物だ。お前が盗むことも出来るがお前は罪を追うことになる。人間は悪だという証明になる」
というものでした。

娘は悩みます
この話を住民に伝えるべきか?
伝えてしまったら誰かが殺されるかもしれない

ずっとこの田舎町から出たがっていた娘は
黄金を盗んで町を出ようかとも思います。

1日1日 悩みながら 娘は自分の中の善悪に気付く
そして 住民の善を信じられるかどうか にも向けられます

物語は 登場人物たちの 神への不満 や 人生への不満 人間への不信 などのエピソードが絡み合って進むのですが。

自分の身に起こるいいようのない不幸な出来事
神から見捨てられたのだ という絶望感 
私のような不出来な 信仰心のないものは
すぐに投げやりになるだろうなぁと思います。
何故 自分だけこんな目に合うんだ
なんて 悲観的にもスグなります
自分ならどうするかなぁ
お金の為に殺せるか?
自分が悪いメッセンジャーに仕立てあげられるという不運にどう応えるだろう?
自分は善人のつもりでいるだけで臆病者だという娘に共感さえしました。
1人の犠牲で落ちぶれかけた町は黄金で救われるかもしれない(という幻想)にキチンと反論出来るだろうか?


先日読んだ 「アミ 小さな宇宙人」では
愛は神 神は愛なんだよ
地球で殺し合いが起こること
競争をして人より多くのものを持とうとすること
自己中心的な考えを持つことは
愛が欠けている状態なんだ
進歩した社会は愛が溢れている

というような 本当にまっすぐでキラキラしたメッセージをアミが優しく男の子に話していました。

悪魔とプリン嬢は対照的な切り口ですね
人間の善を信じたい
と実は男も娘も思っているのですが...

物語は意外な展開になって行きました
(この先はぜひお読み頂きたく思います)

善悪 や 神について 例え話として いくつかのセンテンスが散りばめられています。
この辺り コエーリョさんの仕掛けが効いてるなぁと感心して感動します。

例えば
「アハブの言い伝え」というエピソードが繰り返し 内容は変われど 出てきました
その昔、罪人たちが吹だまったこの田舎町を1人の暴漢アハブが支配していたが、ある晩 名高い聖職者と過ごし 一晩でアハブは改心し町の繁栄に尽力したというエピソードがあります。
何故、改心したのか?
アハブは聖職者との対話の中で 彼の内に自分を見つけ(自分と似ていると感じた) 聖職者がアハブを恐れず 寝床に着いた (殺されるかもしれない恐怖の中で)ことから自分は生まれて初めて信じて貰ったという体験を得て

自分も聖職者のように人の為に尽くせるのではないかと次第に生き方を変えていく...

アハブ は悪から善へ と

他にも
最後の晩餐の絵のモデルになった青年のエピソードも並列でありました

ダビンチは 聖歌隊の青年の美しさに キリストを見出し彼を モデルにし
3年後 浮浪者の卑しさに ユダを見つけて彼をモデルに描いた
けれど その浮浪者は 聖歌隊の青年の3年後の姿だった...というものでした
こちらは 人間が善から悪に成り果てた一例として 男が語っています。


悪魔とプリン嬢にはもう1人 欠かせない登場人物がいます。
それは 夫に先立たれたお婆さんです。
このお婆さんは 姿のない夫と心で対話をする事が出来たり 何かとマイペースだったりして 町では魔女扱いをされているのです
なんの罪も無い このお婆さんが 1番 善人なんですが、そうは誰にも思われていない。
このお婆さんが 善悪をはかる恐ろしい男の実験にどう巻き込まれるのかも、ぜひご一読頂きたいです。

よかったら 悪魔とプリン嬢の感想など教えて下さい。
読後 悶々としております。

(話はそれますが 私も絵という魔法で人々に幸せを分け合える魔女になれたら良いなぁとこの頃思います)








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