サンチョパンサの憂鬱

サンチョパンサの食卓

1990年代中頃までは、街中華、食堂や定食屋、小料理屋、料亭……修行の程度によって、また店主の気風によって棲み分けしてた時代……。
最も素人に近い領域にはお好み屋、喫茶店、喫茶&スナックなんて職業も成り立っていた。

ホテルは和洋中全ての分野に於いて『権威』をそれなりに誇ってた。

一方、牛丼、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキンなどや、お寿司がカジュアル化を果たした回る寿司屋さんといったファーストフードが市民権を得て今や外食産業の主導的地位を占めるに至っている…。

良し悪しは別にしてミシュランの☆評価の発言権は水戸黄門の印籠の如し?といった権威になった。
そんなこんなの流れの中で……『店探し』は自然人の口コミからネット検索でのグルメサイトの☆評価が中心になった。

そして今、芸術、感情的表現の領域にまで進出してきたAIの力は最早、無視できないものになった。

そんな『機械化・マニュアル化』全盛の風潮にあって、さて?自然人の存在価値は何処に求めるのか?は重大かつ深刻なテーマだと思う。

店休日前夜……テレビから流れ来た楽曲に惹きつけられた。
マイナーながらプロが惚れるマニアックな天才ミュージシャンの特集だった。

☆〜☆…the pillows『ストレンジ・カメレオン』の一節

♫……周りの色に馴染まない 
出来損ないのカメレオン……♫

その曲は……日頃からともすれば鬱々とした思考に囚われる『何故?なんで?』という疑問を一気に解読してくれたキーワードだった。

食事とセックスは原始の動物時代からの本源的欲求故に、そこには誤魔化しようもない『人間の個性と品格』が体現される。
二大欲求の一つ、食欲に携わる仕事をこなし来て感じ続けていた何故?……『どうして自分の欲求を大切にしないのだろう?』……という疑問だった。

食事の欲求さえ『皆が良いという星の数』で判断し決定してしまう『安直で安易な選択方法』は保護色として機能する『自分の保身と保全』のためだったのか?と……この曲によって実感させられた。

自らを『出来損ないのカメレオン』と歌う表現は自嘲の臭いを散りばめておきながら……強烈な自己発現、決意表明なんだなぁ……と頭を貫かれた気がした。

『皆が食べてるメニュー・アイテム選定』と『誰もが?演ってるセックスへの手続き』をドラスティックに簡便にしてくれたネット、IT機器……。

利便性は人間から『思考の手間』を省く事と引き換えに意思決定と選択権を恐ろしく奪い狭めている事に気付くのである。

グルメサイトに紹介される店の数に比して……『選択出来る動機のカテゴリー』は激減している。
居酒屋群、らーめん群、回る寿司群、牛丼&ハンバーガーといったファストフード群……。

何時気付けるか?
ソロソロ『食のルネッサンス』に手を付けなきゃね……ホントの意味でのプロフェッショナルが姿を消しちまうんじゃね?
そんな事を思うのである。

『当たり前に、普通にしていること』が実際は人間の本筋から大きく逸脱してしまってること。
素直に思うそんなこんなをユックリ書いて見たいと思った次第です……。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「リアルなフィクション」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事