サンチョパンサの憂鬱

後悔のメカニズム

不思議な事だけど……自分の心の奥にある本意とか本心で生きようとすると、心理的に、経済的に条件的に、当面の難儀を請け負う羽目になる。

『直ぐ楽になり』、『直ぐ心理が報われて』、『リスクに悩む事がない』方法も同時に目の前に提示されるけど……これはまた『自分はホントは?……』などと暫し後になってから悔やむ羽目になる。

これを天秤にかけて悩める人は少ない。
本心や本意をベースに生きると報われるかどうか?『何の保証もない』のである。

だから凡庸に生きてきた人は、『自分が傷付かない方』、『自分が直ぐ楽になれる方』を……将来後悔するかも?なんて疑問もなく採用する。

『ホントの自分』を世に問うのはとても怖いのである。純な自分の想いが拒絶されるなんて耐えられない!と即決してしまう。

時として、人は知らず知らず、自分がその時本気で望んでいた?事を後になってから知る。何時も通りのリスク回避を計り、直ぐ楽になった筈なのに、時間の経過と共に息苦しくなる。

それが後悔と言うものである。

ほんの一部の人は……拒絶されようが、恥をかくリスクあろうが自分の想いを世の中に真っ直ぐ問いかけながら生きている。
自分を追及する楽しさを知った人である。

自分の後悔の数は……自分が自分の想いを裏切った数なのである。

『演ってみなはれ!』は後悔しない為の呪文である。

兎に角自分の想いを最優先してみる。その恐怖も躊躇いも放り投げ……演ってみなはれ!と呪文を唱えて思い切るのである。

自分の恐怖心や猜疑心なんてのは、演ってしまって現実になってから悩めば良い!と覚悟するのである。

それを現実に演った後、その人はご褒美を貰う。演りもしないで考えたアレコレは現実には正体は何も無いのだと学ぶのである。

実際に負けても、既に自分の想いを請け負ったという勇気を手にしているから、そんなリスクは思いの外簡単に解決に導けるモノなんである……。

自分の心はとても素晴らしくもあり、自分に後悔ばかりさせる怖いものでもある……。

後悔は自作自演の三文芝居。

自分の妄想がありもしないストーリーを描き、空想を現実に持ち込み自分に演じさせる一人芝居なのである。

大切な事は……過去の事なのに後悔には現実にアレコレと検証できるサンプルが何一つ残されていないことである。

そりゃそうだ!……自分の想いは懐の奥深くに仕舞い込み、現実の陽の目を見させていないのである。
自分の本意、本心はこの世に産み出されることなく単なる空想として頭の中で終わるのである……。
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