この私をそんな風に、こんな風に扱い侮辱の限りを尽くしたアイツらが赦せない。
『赦すと楽になりますよ』……なぁ〜んてものの本には書いてある。ソレが出来ないから苦労してるんだよぉ!となる。
逆説的に言います。逆こそ真なりって話です。
大切極まりないあなた自身が怒っているのです。何より誰よりあなた自身が赦せない!と怒っているのです。
生半可に赦す?そんなの『妥協』です。自分の真意に逆らっちゃ駄目なんです。
怒り、恨みなさい!
怒り抜き、恨み抜く事が肝要なんです。
何をしていてもフッと浮かぶアンチクショウ、コンチクショウ達の思い上がった下劣な顔が浮かんでは消える。
随分と時間が経っているのに今日の出来事みたいにそのセリフが聞こえても来る。
心は疲弊し、そのお陰で新しい取り組みさえ疎かにもなる。
それでも恨み抜く、怒り抜くのです。
とうとう疲れ果て、何を行う事も、考える事も出来なくなります。
その時人はやっと『その事の限界』に辿り着いたという訳です。
その事に費やした時間や感情や心情が、奔流となって自分に戻って来る感覚がやって来ます。
肩の力は抜け、激情が荒れ狂っていた心の水面が貴方の前に静かに広がるのが分かります。
僕には何度もそんな経験がある。
敵に怒り、恨みの感情を向けていたんじゃなく、『そんな目に遭った自分を赦せなかったんだ!』……という事が理屈抜きに自分の中に入って来る……。
そんな感覚は誇らしくもあり、恥ずかしくもあり……何より自分の事が健気で愛おしい?
酷い目に遭う前より数十倍自分の事を好きになることが出来た瞬間でした。
親が優秀な子供しか愛せない?
失敗するドジな子供を嫌悪する?
そんな愛し方で自分に接していた?事が分かったのです。
何とも薄っぺらい自己愛だった?と自分のマヌケさに笑いが出て来た経験はとても貴重な体験となりました。
何かのものの本とか?所詮他人事として喋られた他人の綺麗事を真に受け自分を嫌悪する?そして渋々『敵を許した事にする』パターンはとても多いけれど……これ『安分かり』です。
それは赦したんじゃなく自分を侮辱した相手に対して『単に妥協した』だけなのだと心得て欲しい。
そんな安易な手続きで人を赦す?なぁ〜んてことは出来っこないのです。
自分を赦してなかった?という事に思い至ったら、『そんなのを敵認定してた』自分が何とも志が低かったことが理屈抜きに理解出来ます。
『そんなの』どうでも良いや!となり『そんなの』は烏合の衆の中の一人に帰って行きます。
折角自分が抱いた『思い・感情』なのですから大切に扱いましょう。トコトン突き詰めて確かめて上げるのが『自分に対する礼儀』なのです。
そういう自分に対する向き合い方こそが『自分を大切にする』という事だと今の僕は考えています。その基本姿勢を繰り返す内に、人も大切に出来るようになる。