サンチョパンサの憂鬱

コンセプトは必然性を呼び寄せる

狂った様に……ネットで陶器製の大角皿を探し続けでいたら何かに取り憑かれたみたいだとスタッフに笑われた……。

その行動に至る前に僕の中で少なくとも二年間は考え続けたテーマを彼等は知らないから無理もない。

若い頃から考えていたメニューの提供の仕方の一つだが……説明は難しい。どうすれば?どうすれば?と思考し、その具現化のキーとなるのがその大皿だった。

魯山人が考えた『食堂』は大正時代当時は素晴らしかっただろうが……そんな『洋食屋』の残り香が店に漂っていることが次第に我慢できなくなったのが切っ掛けだった。

和をふんだんに使ってこそ映える洋食メニューとなる……言葉にするとアリキタリな雰囲気となってしまうけれどそのキーとなるのが突然頭の中にポンと浮かんだその大皿だった。

兎に角、その皿が手に入らないと『これからはない?』そんな気分になった。
端から見れば思い付き?と変わらない。昔ビーフシチューを提供するのに南部鉄の小鍋を使った時も長い時間を経てコレだ!と閃いた経験がある。

長い時間を掛けた思考から閃いた一品は全体を激変させる威力を発揮するのである。

どうしたら良いか?……分からない。

その『分からない』を未解決のまんま心に抱き続ける事はとても苦しくとても楽しい。
技術、センスの才能はさておき……その『思い続ける力』において僕は才能がある!と思う。

幾千万というアイデアをボツりながらやっと『辿り着く一つ』の力を僕は信じている。
この大皿が届く日を待ちわびるだけで……どんなに苦しい事もクリア出来るのである。

どうやら未だ……楽じゃないけど僕は『楽しんでいる』のだとすう……。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事