♫〜♫ 尾崎豊『フリーズムーン』の一節
1985年発表
♬〜♬ 中村あゆみ『翼の折れたエンジェル』 1985年発表
奇しくも同じ年に発表された二つの楽曲が何故今頭の中に蘇って来るのだろう?
若い奴にフツフツとわくリアルな激しい苛立ちが、支配的に迫ってくる世の中のしきたりってのに辛うじて対峙していた最後の時代だったからなんだろうか?
♫……みんないい気持ちになりたくて
何度も息を止めてみるけど
そのたび 金網にへばりついては 転げ落ち
いつでもさみしい思いをしている……♫
そのたび 金網にへばりついては 転げ落ち
いつでもさみしい思いをしている……♫
♬……少しずつ ため息覚えた Eighteen
“もし 俺がヒーローだったら
悲しみを 近づけやしないのに・・・”
そんな あいつの つぶやきにさえ
うなづけない 心がさみしいだけ……♬
二つの楽曲を並べてみると『ヒーローでありたい男』と『ヒーローに期待したい女』がそこにいる。青臭いけれどその気持ち…よく分かる!
女は既に世の中の巡りやこれからの二人に起こる大体の脚本の運び……『頓挫・挫折』が待っているであろうあらましを予感しているのである。
あの頃と似たような顔つきで
みんなだまりこくっちまう……♫
♫……今でもストリートには
ガラスの破片が星のようにちらばっている
それはまるで あの頃の俺達の夢みたいに……♫
♬……もし 俺がヒーローだったら
悲しみを 近づけやしないのに・・・
そんな あいつの つぶやきにさえ
うなづけない 心がさみしいだけ……♬
悲しみを 近づけやしないのに・・・
そんな あいつの つぶやきにさえ
うなづけない 心がさみしいだけ……♬
今から思えば資本(カネ)って奴が自然人の汗にまみれた労働を嘲笑う様に瞬時にして生身の人間の年収を超える金額を生む?という現象が既に始まっていた。
♫……夜はいつでも 凍りついていて
置きっぱなしのバイクにまたがると
昔みたいな気持になっちまう
ボンネットに寝転んだやつらは
この街で一番さみしい 星をみつけ
誰にもわからないような 一人言をつぶやいている……♫
♫……いったいなんだったんだ こんな暮し
こんなリズム いったいなんだったんだ
きっと 何もかもがちがう
何もかもがちがう 何もかもがちがう……♫
昔みたいな気持になっちまう
ボンネットに寝転んだやつらは
この街で一番さみしい 星をみつけ
誰にもわからないような 一人言をつぶやいている……♫
♫……いったいなんだったんだ こんな暮し
こんなリズム いったいなんだったんだ
きっと 何もかもがちがう
何もかもがちがう 何もかもがちがう……♫
♬……チャイニーズ・ダイスをふって
生きてくふたりの夢を誰もが いつだって 笑いとばした……♬
♬……翼の折れたエンジェル
あたしも 翼の折れたエンジェル
みんな 翔べない エンジェル……♬
みんな 翔べない エンジェル……♬
この時代から十年も経つと真っ直ぐで直向(ひたむ)きな努力なんて殆どの人が信じなくなった。何より若者のメンタルは支配的に振る舞う世の中に対して怒りを持つなんて気力は喪失してしまった。
1985年ってオウム真理教の大事件もあった。
『高学歴者と言われる人間達』が多くこの教団に属し活動していた。
既に有名大学から有名企業で幸福になる?そんな世の中に流布された定番のルートを高学歴者自体が信じなくなっていたのである。
AIが、あと三年もしない間にかなりの分野から自然人を追い出すであろうことは既定の運びである。
皮肉な運びだけど……この二曲に登場する若者達の『怒り・不安・夢・展望・表現…などなど』こそが自然人に残された『希望のゾーン』となった。
心血や汗や涙を慰め希望に誘う様な提案力こそが求められる時代の到来である……。
コインの数量は大きくなるほど心の渇望を深く拡大していく。
カタルシスを人に届けられる様な音楽、絵画、映像、ハイタッチな介助・介護、看護などなど。
エッセンシャルという言葉だけじゃない『心の琴線』に触れ揺さぶる提案力が求められる。
要するに『心の力量』の密度を、深さを、高さを積み上げていくしかないのである。
んじゃ、どうする?
答は簡単なのである。
不安は努力しなくとも手に入る?何時でも何処でも向こうからやって来る。
コツは『それを手放さないこと』だけである。
計算もなく、ただひたすらにそれと向き合うことこそが答をくれるのである。
だから『他者と競う必要』は一切ない。資格試験なんてものもない分野である。
その答えは『私だけのもの』であり、それだからこそ希少性という価値を持つのだから……。
ゲームに逃げ、ドラッグにすがり、スマホに依存する?……それじゃ折角の宝の山に背を向ける事になる。
悩み苦しみこそが宝の山なのですからね?
決して楽って話じゃなく、ランナーズハイ?そんな質の『楽しみ方』なのです。
苦しいからと走るのを止めてちゃランナーズハイは手に入らないのですから……ね?
フィジカルじゃ既に皆さん実践しています。
ジム、ヨガ、ランニング、ウォーキングさまざまにね?『難しく辛いこと』を楽しんでいる。
まんま、そのやり方をメンタル世界に持ち込めば良いのです……そう!その辛さ、苦しさこそを『楽しんじゃえ!』って事だと思います。
最後に『心痛・心労』と悩みを楽しむことは全くの別物であるとお断りしておきます。