サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……間違いの後こそ……

人も組織も必ず失敗し間違う。それは当たり前の話。

ニッポンの組織も個人も何故か?この『当たり前』を忌み嫌う様になったんだな?……と僕は最近気が付いた……。

ここ三十年、この国では『その当たり前の間違いとか?失敗』はないかの様な人工的な空気が支配する様になった。
でも何時も何処からか?隠し切れない腐臭が漂い来るのである。

僕達はその空気を遠慮がちに吸い込み、さも当たり前に世の中が運ばれているよね?なぁ〜んてなあざとい顔をして…生きて来た……。

教育委員会の『イジメは無かった……』という伝統芸能に付いては嫌というほど書いたからそのことの中身云々は端折る……。

何が言いたいか?……そんな組織の些末な中身の一つ一つじゃなく『明白に間違っている!』という明々白々の事実に対して……何故?大の大人が拒絶反応一辺倒となり頑なに受け入れなくなったか?という事である。

旧統一教会の『政治家の関係者達』も証拠の映像が出ても尚、認め受け入れない頑迷さに辟易となった。本人も観てる方も何一つ救い様がないよね?……。
彼等は『自分の間違いの事実を認めたら負け!終わりだ!』という幼稚な強迫観念に強く支配されていた様に見えた。

『間違い・失敗』を恐れる風潮って何故?上から下までニッポンの津々浦々、隅々まで広まり定着しちゃったんだろう?

『トンネル效果』でノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈さんの逸話を読んだことがある。
ゴミが一切ない状態を実現しなきゃ出来ないと悩んでいた彼に……掃除のオバサンが放った一言……。

『いっそ、汚し切ったら少々の汚れなんて気にならないのにね?……先生って大変ですね』という一言だったというエピソード。
彼女の言葉にヒントを得た江崎玲於奈さんは発想そのものを切り換える事が出来た…。

詳しい物理学の理論は分からないが?このエピソードは示唆に富んでいると思う。
昨日新潟の60歳の校長先生の少女買春という性犯罪に付いて書いた。

彼はその歳まで『自分の不徳・汚さが無い綺麗でご立派な人間として生てきた』為に人生そのものが本当に汚れてしまった……と。

『人間の前提』って奴を嘘偽りのない『真っ当なモデル』に戻さなきゃ……これからは何も始まらないなぁ……と僕は思うのです。
『人間はロクでもなく汚いし腹黒いし煩悩の塊である』という『誰もが知っている事実』を人間の座標軸に据え直すことが急務なんだと……。

でもね?のべつ幕なしその汚さ振り撒いてちゃ世も末って事になる。
『だから?どうしようか?』と……そこから全部を組んでいけばイイんじゃね?何回間違えても再チャレンジして修正出来るでしょ?

コレが人間の物事の取り組み方の王道だった筈ですよね?

若い男達は『女に拒絶されること』を世の終わりかの様に恐れ、トライしなきゃ失敗はしない?……なぁ〜んてな『不戦敗』という本末転倒の策に逃避する。

コレも失敗こそ当たり前の世界。だから?下手な鉄砲は数撃たなきゃ『始まらない』という当たり前の立場を取れば何も怖がることはない……。

頓挫・挫折・蹉跌etc……おおよそあらゆる失敗を実際に演じて来た僕は……知っている。

何度かの大きな敗北、失敗、挫折くらいで『終われるほど人生は楽じゃない』のです。
世の中はそんなに簡単に人生を終わらせてはくれなかったのです。

この事実こそ怖いのです。
人生は死ぬまで終わらないという事実に対しては背筋をピンと伸ばして挑むしかないのですね。

終わらせる事が…一つだけ方法がある。  『自分から負けること』です。自分が諦められない人には終わりはやって来ない、来てくれないのです。

何が言いたいか?

負けが怖いなら負けるまでチャレンジしたら分かります。負けなんか怖くはない。
そんな事で『終わらない人生の長さ』こそ畏怖を以て付き合わなきゃならないんだと誰でも分かります。

先述の若い人達の様な『不戦敗』ってとても危険です。
誰も、自分まで『自分が負けたことが分からない状態』は時間の空費しかありません。何もしないのだから何も起きない、何も生まないもの。

時間は命そのもの。どれだけ頑張っても何れ時間は尽きるのです。

『何しに生まれてきたの?何して生きてきたの?』が死ぬまで何一つ分からない人生……それこそ怖い怖いストーリーだと思いませんか?って僕は言いたかったのです。
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