サンチョパンサの憂鬱

不安払拭は一意専心スタイルで

慢心には多分に独り善がりの臭いが漂う。
と同時に一つ一つの事柄に具体性がない思い込みによって嫌でも独善的な不遜さを伴っている。
いわゆる『根拠の無い自信状態』である。

基本的に自信という奴は過去的なものに対してであって、演ったこと、こなした事に対して抱けるものであり、これから取り組む事に対して、自信あり!という状態は自分に関する限り全くない。

これからの未来的な事に関して自信があります!という場合、準備に『やれるだけの事をやって来たから』……未来に起きる『どんな結果であれ引き受ける事』が出来ます!……といった意味じゃないか?と僕は思う……。

自分に関して考えてみると……終ったこと、演った事に対してしか自信というものは持てた試しがないのである。

準備に余程の努力が出来たからどんな結果であれ『悔いはない!』……そんな心理になれたことは多々あったけれど……。そこを見て、自信を持っていると周囲が誤解してくれてるだけなのである。

所詮人間は終わった事、過去に関してしか自信は持ちようがないのだと思う。
『自分というモノを検証してる』人なら必ず……そうなると思う。

慢心する人は、自分に自己疑問を持てないから自分を検証しない、出来ない。
だから何時も根拠なく自分に万能感を抱くから不遜なニュアンスが付きまとうのである……。

検証無き自己肯定は単に思い上がってるだけなのである。ポジティブシンキングなんてのも下手をすれば慢心になりかねないから注意を要すると思う。

基本的に『やった事にしか……』自信は持てない様になっているのだと思う。
だから『未来に対してした努力』には自信が持てるけれどその結果は、誰にも分からない…。

だから……未来に対して手に出来る最高のメンタル状態は『起きる事を引き受ける覚悟』までだ。

『万能感に支配され』、人に、事に絶えず君臨し、支配しようとする心……それは自信ではない。そのスタンスは『慢心』と『独善』の為せる業(わざ)に過ぎない……。

自信を持っていると見える人は、これからに対しては、ビビりながらもどうしても欲しいから一つの目標にエネルギーをフォーカシングして挑む。必然的に『一意専心スタイル』となるのである。
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