無難な道を捨て、理念を追及するカッコ良ささえ感じたものだった。
しかし……よど号、浅間山荘事件、テルアビブ乱射事件の時代に至ると、世間知らずの学生の行き過ぎた火遊びってな稚拙さが浮き彫りになった。
時代というのは庭園の借景見たいな役割を果たす。
皆が豊かになって行く道すがら、搾取だの労働者の権利要求などといった提案は急に色褪せたモノになった。
当時の日本は共産主義?と世界から言われた様に、富の分配はかなりフェアに国民全体に配られていたから、彼等インテリの机上の理想論は説得力を失ったんだと思う。むしろ滑稽なニュアンスさえあった。
岡林信康の『私達の望むものは』は時代遅れの労組の決起集会位がお似合いとなった。
『私達の望むものは……』と唄っていた集団は『私の望む……』という単数、個人の欲望追及の時代へと姿を変えていた。
そして今、少数の恵まれる者達と多数の貧しい者達の区分けが進み、貧しく分断されている個・個人達が、共助、共有、共感、共生への連携を模索しなければならない時代になった。
当時とは違う、インテリジェンスを必要とする社会活動家という存在が光を放ち始めている。
借景とする社会が……1億総プチブルから貧富・格差社会へと変貌したからである。
✳悩み多き者よ 時代は変わっている
全ての事が あらゆるモノが…… ✳
✳もうどうでも良いのさ詰まらぬ事は考えないで そこからの道を急ぐのさ
それが、もっとも肝心さ……
されど私の人生はされど私の人生は✳
斎藤哲夫 『悩み多き者よ』
『されど私の人生』 の一節
もうどうでも良い!……それで殆どの事は終えられる。
されど……自分の人生は自分以外の何かによって終わるまで終えられない。
ゴールを自分に引き寄せ手っ取り早くフィニッシュ!って訳にはいかない命……。
ならば、ならばである……自分の生きる意味を探すしか無いんじゃね?幾つになってもね?
『何もしない事』を『何も出来る事がない!』と安易に横着な誤訳なんかせず……帰り道を変えてみる事なら出来る。
ソコラ辺りから手を付けて見ればどうだろう……。
三浦雄一郎氏は……標高500メートルの近くの山にチャレンジ。
惨めに脱水症状になってしまった。
しかし、ソレが最高齢のヒマラヤ登山敢行へのスタートだったと記している……。
如何に栄光の時間とは言えその『過去に生きる』のは死ぬほど退屈で虚しくそして辛かった……と。