サンチョパンサの憂鬱

トラブルは人を暴く……

人の品質、真偽はトラブった時に如実に表現される。
それは人間が試される時が不調、不遇の時だというのと似ている。

どちらか一方が相手を屈服させ支配している?といった歪な関係は参考にならない。どんなに卑劣であろうと支配力によってその関係は継続されるからである。

人間性次第でトラブる必要がない時でも凄まじいトラブルに発展することもある。一方どうあっても此方に非がある!関係の瓦解は必然だ!と覚悟を決めていた所を相手の人間力によって救って貰う事だってある。

お互いの人間関係の強度はお互いの人間の品質の乗数がその関係の強度を示すのである。

変わらぬ定数の筈だった常識というものの認識に大きな誤差がある昨今では、その読み違いが大きなトラブルを呼ぶ事が珍しくない。

何度か書いてきたけれど……人の筋道論で齟齬を来すならそれは即刻停止、撤退 が一番の策となる。ソコを深追いすればトラブルは泥沼と化すのみである。

後になって技術論で反省してみてもそれは的を外してる。
大抵の普通の事柄が大きく崩れる原因はそこの人間的素養に起因しているのである。

経験則で考えれば、技術論、予想される方法論よりも先ずは、その相手の素養のレベルこそ必須の情報なのである。トラブルの八割はそんな幼稚なレベルで起こっている。

触らぬ神に祟り無し!と三十六計逃げるに如かず(逃げるが勝ち) という二手で……人間性の違いに起因するトラブルに対する自己防衛策は完備されるのである……。

卵とニワトリなんだけど……相手の根幹的な素養って奴が……トラブルとなって露になる所が厄介な面である。
人間の生活にトラブルは付き物だからトラブルを恐れて交流をやめるわけにはいかない。

人間社会に齟齬は起きる!……遅まきながら相手に回復不可能な素養を発見したら……全ての感情を停止して離脱に専念せよ!……それが人間関係の現実論だと思う……。

経験則から……『人間性の是非論』を幾ら振りかざしても『相手には受信能力』が無いからである……。
それは官僚達に対して『道徳論』を切々と説く事に似て……自己満足以外に手にする事は出来ないのである……。
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