サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……基本的気遣いの発・受信能力

人の世だから……当然、気遣いって奴は人と人の間を行き交うものである。

相手にのみ、『気遣いをさせる事』が当たり前化し、当然として振る舞える人間が異常に増えている……。

立場的に何かがある訳でもない、人と人とのイコール関係の場面で……自分は一切の気遣いを見せない……。
その気遣いの意味を知らないのか?
と思えば……人が自分にソレを演ると烈火のごとく怒り狂うのである。

『自分は演っても良い』が『自分が演られるのは許せない!』となる歪で奇妙『特権意識・選民意識?』なのか知らないけれど……あえて悪く言えば凡庸と平凡の領域に住まう方々がソレを演る。

猿の群れの……その他大勢的実力の猿達が演る弱いものイジメの感覚……その野卑な風景を想起させられるのである。

路上飲みに夢中の方々も……単独でソレを演る勇気はない。インタビューはお口揃えて『皆、我慢が限界だから……』なんて事を宣う人種……『基本的気遣い』を自分の辞書に載せてない多数派の集合円はシンクロしているのである。

世の中の流れは皮肉なモノで……今からを生きるのに絶対必要条件の『基本的気遣い』エンパシー。

ソレをスコーンと欠落させてしまった多数派も、気付きを得てる少数派も、質こそ違えどとても苦しい時代に向かう……。

何時の丗も結局、その苦しみを抱えて走り続け『ランナーズハイの領域』まで運んだ奴が人生を謳歌する……。
ソコに、人生の味わいとか生き甲斐というモノが用意されているんだろう……と思う。
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