そのバンドが多数派、ボリュームゾーンだからである。
右となればワァーっ、左となればワァーっと反応する。
そうやって『多勢の見映え』を使って散々演って来たけれど……『結局どうなのよ?』という『結果』については責任を取らない烏合の衆。
そんな連中が厚かましく意味のないカネをせしめる?なぁ〜んて時間が長いこと続いて来た。
SNSのニュースに『そんな時代の顕著な変化』の例として『コンサルタント会社の倒産件数』が過去最多を更新したと載っていた。
従来より、舌先三寸でカネをせしめる典型の商売。何より『自分の吐いた言葉の責任』は一切取らない輩。
一見合法的にして見映えがよろしい?ってんで『アナリスト』を標榜する人間達が跳梁跋扈するのを長い間見せられたものだった。
大きな商業モールで店舗を運営していた時代、花の東京からやって来たコンサル達が、手を変え品を変え数億円の報酬を掻っ攫って行くのを苦々しく眺めてた。
コンサル会社を変えて三度試みた改革は、その度に商業モールのハードの魅力を棄損し、スーパーマーケットのモールの安っぽい雰囲気を強めていった。
元々、公務員達の群れが、民営化で一等地を只で譲り受けた素人集団だから、言葉巧みな東京モンのコンサル達は、赤子の手をひねる位に容易に数億のカネをせしめては帰って行った。
その度にモール運営の人達は『コンサルの言葉に踊り』……各店の人間達はそんな彼等に愛想を尽かして退店していった。
だからそのモールは『ゾンビの暮らす街?』といった風情に支配され人が寄り付かなくなってしまった。
この構図は地方行政の『街興し?』の活動にも似たような現象がある。
稀に成功した例は『当事者の住人達』が自ら考え取り組んだモノばかりなのである。
自分の意志によっての取り組み。
自分のハートと頭で考えることの価値は高いのである。
騒ぎの大きさに幻惑され、踊っていた世の中。
しかし、その間に一つひとつの組織の蓄えは底をつき『ない袖は振れない』となった。
日々の少ない稼ぎでこなさなきゃならない責任を負っている人間達・組織には『そんな戯れ言』に踊って上げる余力も気力もなくなったのである。
財務省を中心にした政府・官僚軍団は、それでも十年一日の如く定型のお題目を唱える事を止められない。
倒産の憂き目を見るまで止められなかったコンサルよろしく彼等も行く所まで行かなきゃ分からない。
そんな事にお付き合いする余りカネは国民にない。無い袖は振れない。コンサル倒産と同じ構図である。
シロアリは食い尽くすまで食らい続けるものである。
刹那に放たれる言葉。瞬間に賞味期限も消費期限も無くなる。
今、世の中に『意味ある言葉』を吐ける人間しか未来に向けて消費・賞味期限を設定出来る仕事は出来ない時代がやって来ている。
『断末魔』っていう。
官僚諸君や守旧派達の刹那に吐く言葉は今や断末魔そのものの様相を放っている。
悲劇はそれに気付けない、慢心し切ってしまった彼等のタカを括った姿である。
言葉は只だけど?目に意志を湛えた人の言葉は時間経過と共に大きな価値を創出して行くものなのである……。