サンチョパンサの憂鬱

望みを知らない知識は暴走する

賢明って言えば?……一番賢明な奴は、勉学に限らずどんな分野でもかなりの大バカな奴だ。
但しそこには一つ条件があり、『自分のバカさ加減を正確に知ってる』人間だ。

『自分が知らない事を知ってる』から何でも兎に角素直に聞きまくるのである。
こういう人の知恵って奴は単に知ってるだけじゃなく『深い』のである。
必要を感じて取りに行く情報の強みなんだろうなぁ……。

一番質(たち)が悪い のは知識を知識として知ってる人間だ。
そのプライドが邪魔して、肝心の使い方を知らない。知識は知識として項目毎に孤立して立っていて知識同士の連関とか反応は起きない。そうやって単に『暗記してる情報』は使い様がないのである。

賢明なおバカは、その論が何故必要か?無くて困ったから知っている。
その論をブロックの一つとして目指す全体像の完成形を意識しているのである。

知識、情報は『持っておくだけで』学校は誉めてくれる。学校秀才はそこで完結してしまう。
社会は知識と情報を『使って何かを構築する』人を社会秀才として尊重する。

不思議なんだけど、おバカを自認してる人間は知識なんて、そんなものは幾らでも借りれば良い事を知ってる。

あるコラムを読んでると、無知の無知の典型的な人間がいてやたらと人のコメントにチャチャ入れてる。そして持ってる知識をひけらかす。

所が有効な論理で反論されると、気色ばみ徐々に感情的になり……最後には幼児の様に、
『バカ、バカ!お前のカアチャン……』レベルの激情を撒き散らかして……半泣き状態で勝ち誇るのである。

一つ一つの知識は成る程精密で正確なんだけど『論を戦わせると』……言葉尻とか些末な一ヶ所の間違いを指摘して問題を矮小化していくのである。当然論理性はないから、追い詰められる……そして、お前のカアチャン……で何時も終わる……。

読んでてイタイ!イタイけれどどうし様もない。その人に自分は無知だという『自覚が無いから』である。

小ガネ持ちのカネの使い方ってとてもイジコクて醜悪だけど……小賢い人間も同様その知識は、その人を惨めにする為の方便(道具)かの様である。

『道具に振り回される』ってとても滑稽だけど……生半可に持ってるだけだとそうなっちゃう?……。人間の哀しさである。

道具って持ってるだけじゃダメなんで……それで以て自分を活かしたい!と望む時、初めて目的が見えてくる。その為の方便、道具として持ってる知識を有用に使える様になるんだと……思う。

目的を偏差値とか大学名なんぞに設定する所から間違いは始まる。
だから手段ばかりを磨いて喜んでる人間が出来上がる?そんな気がするのです。
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