サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……『評論』ってかなり怪しいかもよ?

複雑怪奇に絡んでしまった問題を……因数分解して『単純化』して問題の根本を提示することは極めて大切な事だ。

その時……絡み合った事情や論点をサラサラって分離、整理して『シンプルなテーマ』を浮き彫りにしてくれる『因数』は決まって『そもそも論』である。そもそも論は『そもそもの目的』を思い出させるからだだと思う。

報道とか?評論って一体『何を目的として』なされるのか?
『問題を知らしめ詳しく理解させる』為だと思うんだけど……。

出来る限りセンセーショナルに注目させ
『耳目を多く集める!』を第一義とするミエミエの商魂を隠す事も無く『そんな作品』が数多く露出し羅列される。

この現象は視聴すればするだけ……おバカになってしまう?そんな空虚感を抱くようになった。
見出しは凄い事?とみせては『思考・編集』の跡がない『短絡的ストーリー』……大抵、先に安易な誘導先が決まっている。

〇〇が神対応?……〇〇と☓☓が論争ときて実は番組内のギャグの応酬とか?……そんなのは論外として、政治のネタとて手順は同じ。
観念的結論ありきから『短絡ストーリー』が作られている……。

経済対策が急がれる!!と一方で主張、政権がその政策を発表すれば…財源はどうすんの?
また赤字国債だ、国民にツケをまわすのか!と演り問題をコマギレ、短絡化しては騒ぐ。

そのスタイル……誰もが演るから価値はない。

単純化は『問題のエッセンス』を提示する…。
短絡化は問題を『分り易く化粧して問題の本質を隠す』のである。

最近若いのから歳がいってる奴まで『何か話せよ』とやって来るけれど……『目的を持たぬ人間』に何を話せというのか?……そんなのは短絡的に効率よく結論だけを欲しがっているのである。

だから僕は『お茶を濁して煙に巻くの術』を編み出したのである。
短絡には短絡を……である。

大体にして様々の要素や事情が『複雑に絡み合う問題』を抱えるまで…、何故?と思考し続けられる人自体が絶滅危惧種の時代なのである。

『分からない!!』は自分の次の伸びシロだけど……難解を面倒臭いと同時通訳して避ける風潮は最早……文化的程度として固定化し始めてるのかもね……?

単純化されたシンプルは空っぽとは対極にある
究極の搾り続けた思考の果てに広がる世界なのである……。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事