サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……過去と未来

社会運営のスピードアップと複雑化。

一つのトラブルに引っかかってる内に、その次
が、またその次が重なる様にやって来るという具合の世の中……。
人間がお互い心の起承転結をこなせるペースに合わせられた時代は遥か遠い過去のこと。

余程のメンタル強者か?人格者か?無神経極まりない人間しか適応出来ないという無機質化する社会環境。
当然メンタルを損なう人は多い。

『他人の難儀とか悲惨な状況』は何時しかありふれた日常と化していく。

刹那のアカラサマが処世術では必携の心得となり、『取り敢えず無事だと自分を演出』する為の『カネと立ち回り』に人は血道を上げる。
それを誰が責められるか?
それこそ恐怖心に駆られた人間を善悪なんぞで語ることの無意味……である。

心弱き人ほど『終わった過去の事』に心を縛られ動けなくなっていく。
容赦なく『積み残され続ける現在』がなおのことその人の心を圧迫する日々が知らん顔して過去になっていく。

自分の弱さが露呈すると……宗教がやって来る。コンサルがやって来る。セミナーの誘いもやって来る。
それは大抵、希望色に着色されたワラなんだけど……?

騙すも地獄、騙されるも地獄……。

そんな状況に在る人達に……。
なけなしの気力を奮って『止まれ!動くな!!』と自分に命じて欲しいと思う。

即刻『自分のこと以外の要素』の受容を一切断つこと。そしてそれでも辛いなら自分をあらゆるコミュニティから物理的にも切り離し休養させることに専念することである……。

誰かの為のイイ人の自分が『自分に取ってイイ人』に変わるまで辛抱強く動かないこと。

長くても三ヶ月もすれば……『大きな意味がありそうに誰かによって演出された過去』の正体が実はなんの意味もなかったことが理屈抜きに心に染み込んでくる。少なくとも僕はそうだった。

健全な空腹感が蘇り、自分の為に自分をコンビニへ向かわせようとするようになる。
自分の未来の始まりである……。
自分が食べたいから食す。眠りたいから眠る。何処かに行きたいから移動する……。

コミュニケーション?なんて大仰に世間は言うけれと……。
誰かと話す必要より、話してはならない事の方が何倍も多かったと気付けると思う……。

『自分に何かを期待する様になった人間』は誰でも未来を見る様になる。
未来に向けて『自分に今はない何か』を調達しなければならないからである。

本当に欲しいモノなんてそんなに沢山ある筈もなく。本当に関わらなきゃならない人間もそんなに多く居るわけもなく……一意専心で以てユックリ無理せず進めば良いのである。

最近思うようになった。
過去なんて放置したって構わないんじゃね?って。
過去の事は人の心と同じ。今更、変えようがないのだから。

過去に頼る人は必ず『大御所となって』過去に安住するようになる。
そして……自分の周囲に自分より弱く劣る人を配置してふんぞり返る様になる。

コレが……『堕落』と呼ばれるものである。
昨日書いたけれど……堕落したくなければ?
未来に何でも良いから『自分が挑み続けるテーマ』って奴を用意するしかないと思うのである……。




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